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豊かな人生

何か趣味を持たねばならない、と焦っている。
体験の哲学のようなやってみたいというよりも、何かしなければと。中年の思春期というやつだ。
趣味があればもっと豊かな人生がおくれ、これからもそうなのではないか。

たとえば、ギターやピアノを練習していれば、今だって仲間と練習をして、次の演奏会にわくわくしているのではないか。
筋トレをしていればよかったのではないか。健全な心に健全な魂が宿る。自分自身に絶望することなく、昨日の自分より少しでも強くなっているのではないか。
英語を勉強していれば良かったのではないか。言葉は人を豊かにする。いろいろな知識にふれたり、体験ができたのかもしれない。

もっとこんな人生もあったかもしれない。しかし、もうやり直しもきかないけど。
だけど、今からでも始めれば、残りの人生は何か違うのではないか。

僕もそう思っていたし、この数年はそうしようとしていた。
いつでもそうだ、何かをはじめるのは今が一番若い。今しかないのだ。

しかし、探しても探しても趣味は見つからなかった。
見つけるものではない、見つかるものだ。

足元をみても、何も落ちていなかった。

今年も早いね、もう衣替えだよ。
そう話すたびに背筋がぞっとする。

「○歳から始めた○○で人生が輝く、いつスタートしても遅くはないのだ」と言った、眩しい人たちが紹介されている。

しかし、どういうことだ。
それが当たり前ならばなぜテレビで褒めたたえられるのだろうか。

当たり前のことではなく、それは特別なことなんじゃないか?

世の中の中年たちは、本当はやりたいことも見つけられないまま、
絶望的に時間が過ぎていき、死が近くなる恐怖におびえているのではないだろうか。

僕もそうだ。みんなそうだと信じたい。
昔からの友達に会いたい。
話がしたい。






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