YOASOBIが嫌いでしんどい

 タイトルのとおり、YOASOBIが嫌いで嫌いでたまらなくなった。「アイドル」の冒頭の「デン!」を耳にするだけで身の毛がよだつので、もう後戻りできないレベルの異常アンチである。

 なぜ今更、と私自身も疑問に思う。Apple Musicのプレイリストに彼らの楽曲が現れても平然と聴き流していたし、過去2回の紅白歌合戦出場時もわりと楽しく視聴した覚えがある。強いて挙げるなら「夜に駆ける」よりは、ずっと真夜中でいいのに。の「秒針を噛む」の方が好きだなあと思ったことがあるくらいで、やり場のない嫌悪感に苦しむなんて夢にも思わなかった。この春、「アイドル」を聴くまでは。

 YOASOBIの楽曲が人口に膾炙し商業的成功を続ける理由は、それなりに理解しているつもりだ。起伏に富んだ高音域のメロディと、ともするとチープに響きがちで平坦な打ち込み音は、一昔前に大量に発表されたボーカロイド楽曲群に淵源をたどることができるし、皮肉交じりの憂鬱を湛えた歌詞は、この時代のどうしようもない空気と調和していて、選び取られたあらゆる表現に2023年の大衆の首を縦に振らせる説得力があると思う。当然それを歌いこなすボーカルの力量はすさまじく、一度聞いたら多くの人の耳に残る魅力がある(私は耳に残るがゆえに嫌になっているのだが)。

 とはいえ、「アイドル」の気持ち悪さは理屈で腑分けできる程度をはるかに逸している。ラップが拙いとか韻を踏まないのはおかしいとか意図的に作られた幼い声の気味が悪いとかいう批判がバズっていて、確かにその通りだと思ったので読んではみたが、こんなことで溜飲は下がらなかった。ラップがおかしいのは星井七瀬の「恋愛15シミュレーション」的なハズし方を意図したからかもしれないし、「推しの子」の星野アイと名前が似ているから、マジで星井七瀬のオマージュである可能性も否定できない。こうなると長年の星井(の歌唱)ファンとしてはむしろ「取り上げてくださってありがとうございます」とYOASOBIに感謝すべきところである。したがって、論理的思考を心がけると好意的な考察可能性が次々に浮かび上がってくるため、私の感情については単に「生理的に無理」と説明せざるをえない。

 まして、これが破竹の勢いで再生されているのを目の当たりにすると一層気分が悪くなる。先日手伝いに行ったイベントでは「みんなが知ってる曲で~す!」のナレーションとともに「アイドル」が流れてきた。さらに、春から同棲している相手が「機動戦士ガンダム 水星の魔女」と「推しの子」にすっかりハマり、優れたアニメーションに優れた主題歌を提供したYOASOBIを絶賛しながら楽曲をスピーカーで再生してくるため、とうとう我慢の限界がきてしまった。YOASOBIのクリティカルな悪口を言おうにも、私の知識では「『夜遊び』の語がもつ軽佻浮薄な負のイメージを、真面目そうなグループが名乗ることによって不当に漂白している」くらいしか思いつかず、しかも「それを言うならポルノグラフィティはどうなんだ」と簡単に論破されそうな始末である。物理的にも精神的にも、大ヒット曲からの逃げ場はこの世に存在しない。

 私にはこれまで流行りのJ-POPを嫌いになった経験がなかったが、今ならばわかる。「世界に一つだけの花」のアンチや「パプリカ」のアンチは、さぞかし辛かっただろう。子どもの運動会や学芸会で何年も連続で使われるのを聴かされて「代わりの曲がないなら全部クシコス・ポストにしちまえよ」という極論に達したに違いない。私も今、巷で流れるYOASOBIが全部クシコス・ポストに置き換わればいいのにと願っている。

 無敵の笑顔でメディアを荒らしてやりたいのは私の方だ。嫌いな音楽のある生活は正直しんどい。物事の好悪に翻弄されるなら、いっそ好きでも嫌いでもないものだけが占める人生の方がよほどマシだろう。メディアがぶっ壊れさえすればYOASOBIの楽曲を一切聴かずに済むのだろうが、どうせ叶わない。誰かが2023年のヒットチャートを塗り替えてくれる日をじっと待つのみである。

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