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同居人が誕生日らしい

就寝26:00
起床10:00


うわー。
お酒飲み過ぎて頭がふわふわするー。
今日も書くのか?
こんな時間に書くもんじゃないけど楽しいからいっかー。
(サムネは最高に美味かったスパイスカレー!)

今日同居人のPくんが誕生日だった。
「形を持って残るもの」って条件付きの誕プレをねだられた。
彼は僕がノンデリカシー人間で、何も言わなければどっかで飯を奢るとか日常の何かを肩代わりするとかで済ませるタイプだともう知ってしまっている。
だからこうやって言う事で僕に成長の機会をくれてるんだと思う。

普段誰かにプレゼントをすることなんてない。
珍しいことだったからなんか楽しかった。
自分のエゴを押し付けて変なプレゼントにするよりは彼に合わせたいなと思った。
でもまるでセンスのない僕が服とか食器とかを選べるわけもない。
彼に合わせているかつ自分が選ぶのが得意なものにしようと思った。
カタカナ語使うならマーケットインとプロダクトアウトのどちらもを意識したかった。

1分ほど悩んで本をプレゼントすることに決めた。
ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」にした。
前から彼におすすめしていた本だったからいい機会だ。
彼は主体性や行動力があって自由な奴で、内省をめっちゃしてる。
この本のテーマである「それでも人生にイエスと言う」は彼に合っていると思う。
彼ならちゃんと読んでくれると思うし、今の彼にいい影響を与えるはずだ。

てゆーか、この本は僕がめっちゃ好きなんだよな。
浪人時代に乱読してた時に偶然出会った。
フランクルはユダヤ人でナチスドイツに収容所で虐げられた時に主体的に人生に答えを自分から出す自由に気付く。
ナチスでも自分の身銭を切ってユダヤ人の為に防寒着を買う人も居れば、ユダヤ人でも同じユダヤ人を蹴落として自分は助かろうとする人がいた。
自分の置かれた境遇に関わらず自分の人生に対して尊厳のある行為をとるかどうかは自由である。
彼の妻と両親は収容所で死んでしまったが彼は彼の妻の生死に関わらず夫婦の愛を信じることができた。
フランクルは、どのような境遇であっても信じることと正しく善く行動することは自由にできると。
そうする時真の自由が獲得できると説いた。

「人生の意味を問うのではなく、自分が人生に意味を答えるのだ。」とフランクルは言う。
このフランクルの考え方は僕にめちゃくちゃ影響を与えている。
浪人して大学落ちまくったこととか発達障害を持ってしまったことに文句を垂れるんじゃない。
この本のおかげでそうなったからこそできる行動を取っていこうと思えた。

でも最初読んだ時は、「綺麗事じゃん、そんなの無理だよ。」とか「自由意志なんてあるの?」とか思う自分もいた。
しかしフランクルが正しいかどうかを疑うこと、議論することにさして意味はない。
彼を信じるかどうか、また信じて行動するかどうかのみに意味があるように思う。
つーか、色々書いてたら読みたくなってきたな。

今日マジで色々あり過ぎてやばかった。
スリランカ人の訪問者が作ってくれたスパイスカレーがバカ美味かった。
ベナン人と英語で漫画・アニメトークした。
特に呪術廻戦のアンチトークが楽しかった。「宿儺強すぎておもんない!!」
同居人がなんかトラブってた、マジびびった。
ボドゲで酒飲んだ勢いで煽りまくった、俺やっぱ酒癖悪過ぎる。
色々これから深掘りして書いたり書かんだりしてこ。

とにかく楽しかった!
誕生日おめでとう!今年もよろしく!!!

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