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時間を止めて観る.落合マガジンの想定鑑賞法

このマガジンを書いているときの僕は一枚一枚結構丁寧に画像を見て上げているんだけど,鑑賞するのにいい感じのデバイスがないか常に考えている.なんでこんなポストをするかというと,単にnoteでの写真の閲覧法の話だけではなくて,ほかのトピックにもつながる話だと思ったからだ.

いつもそれなりに写真の細かいところをじっくり見ながら,そのとき考えたこと,今考えていることを散文調で書いていくマガジンだから,じっくり落合陽一の見てる風景と対話して味わってほしいと思いながら書いている.例えば上の写真だったらフルスクリーンくらいの大きさで↓このくらいにしてみてほしいなぁと思いながら書いている.

じっくり画像を眺めながら言葉を反復する時間を持ちながら対象を鑑賞することって年々少なくなっている気がする.スマートフォンの上で画像コンテンツを眺めればスクロールすると数十秒から1分ぐらいで見終わってしまう.でもじっくり観ると5分ー10分くらいは楽しめるような体験だと思う.考え事をしながらピクセルのキワまでじっくり眺めてほしいと思いながらいつも撮っている.

鑑賞の友は音楽と飲み物と葉巻でもいいかもしれない.最近忙しくて2025までノンアルというのを宣言したので僕はソフトドリンクで.この前の写真展のときのコーヒーはすごく相性がいいと思う.また展覧会するときはコーヒーを出したい.脱線したけど,つまり何がいいたいかといえば,文章や写真をじっくり噛み締めながら時間を過ごす体験というのは格別だと思うんだけど,そういう時間を取るために,小さいスクリーンに分断されたこの世界ではオフラインの展覧会体験とかでしか,そのじっくりとした時間を誘発する仕組みを作ることが難しい.情報の流速が早いこの世界で,流速は緩やかだが,自己との対話が必要なじっくりした体験を作ることは難しい.

(一度フルスクリーンでじっくり見ると何かつたわるかもしれない)

こういう鑑賞時間や体験時間と情報デバイスの課題は,散々言われて当たり前のことなんだけど,スクリーンサイズや小道具を使った時間の切り離しや,体験のちょっとした工夫をするだけで,考える時間を作ったり,豊かな時間を産んだりすることができると思う.とくに,オールドな,言葉と静止画の往復がゆったりした時間を作るのは,クリエイティブに生きる上では必要な余白だと思う.僕はこういう余白を数分でも生活の中に持とうと毎日意識していて,カメラで対象を観察しながら日々その時間を作り出している.

今回の記事でいいたかったことは,情報の流速が緩やかなコンテンツを大きな画面に表示して,じっくり眺めながら,コーヒーとかブランデーとか音楽とか小道具を用意した上で,ゆったりとした時間の中で見てほしい.ということで,そういう時間の確保のお供になれば日々マガジンを書き溜めている僕としてはこの上ない幸いだなぁと思ったところ.この感覚をシェアしたいなと思いました.


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