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民藝と茶の距離について

ヌル庵で南條さんとお茶してたら民藝と茶はどんなふうに落合陽一の中で融合しているのかと尋ねられた.考えたことがなかった.茶禅一味と茶民藝一味に私の中ではなっていた.これは柳の楽焼批判などがあることを前提として茶民藝一味なのである.民藝と民俗みたいなものなのかもしれない.

茶禅一味に並ぶには民藝を前のように一文字で表す必要がある.これは難しい.ヌルは頑張って漢字になったのでがんばれば民藝も漢字になる可能性がある.

私は井戸茶碗も楽茶碗も民藝もテクノ民藝も茶民藝一味だと思っているので,柳のいう自然さを失った茶道というものも計算機自然の中の自然(人為の滑稽さも含めて自然の循環性の中にある)という視点に立っている.人間も動植物も常民も皆計算機,計算機も計算機なのであるからだ.

人間もまた自然であり,自然もまた伸長していると考えるプロセスは近代の初手で柳田國男あたりに語られているが,アントロポセンというニワカ用語で盛り上がる現代のド文系論客たちは今頃どうしているのだろうかと思い出してしまった.(毒殺である)
人間もまた計算機自然の一部であるのだが,そのときに人・計算・元来の自然の三すくみを貫くものは計算である.


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