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映像と物質,そしてヌルヌルに辿り着くまでに.文脈なきゲームに文脈をつくるために.

映像と物質の探求を始めたのは学部の頃だった.2011年くらいから足掛け12年くらいの長い旅は色々な立ち位置を経由して今につながっている.
ピクセルを高周波で回し始めた大学4年生.

この頃は繰り返される高速な明滅刺激に興味があって,物質的なものを作っている.2011年はそうやって過ぎていって2012年.なんとかこの粒を小さくしたくなる.

これが高速で動き始めた頃がコロイドディスプレイである.

https://www.youtube.com/watch?v=nSqJXWSQvkU

https://www.youtube.com/watch?v=hE2CStcAO8o


この頃,もしものエジソン的映像装置自体を作り出すシリーズも作り始めた.幻灯機じゃないもしもを作り続ける活動である.

立体アニメーションを作るには軽い物質を駆動して,視界全部に満たしてやると良い.

2013年,そのまま色々考えている間に,物質の側を動かして映像を作ろうと思ったことも多々ある.

https://www.youtube.com/watch?v=IOqp3LQNMvE

音と光の間にいる学生時代だ.


2014年はそのまま熱狂的に過ぎていったものの,映像装置としてみたときに,そこにモノが浮かせないといけないのも不自由であるので,空中描画を始めてみる.物質と映像の壁を壊せ.2015年になってしまった.

2015年,2016年とそんなことをやっている裏で,映像的な素材である鏡と向かい合う時期が続く.

浮いた鏡は映像を映してるみたいに見える.回る装置をそのままアニメーションと投影系に入れた物質的なフィルムを作りたくなってくる.zoetropeでなくzoetrographだ.こうやって2016年が終わってしまう.

スマホから出てくる.

2017年,立体映像と触覚ばかりやってると目で見ることの方をハックした方が映像と物質の間を超えられるのではないかと思ってそっちに行く.

浮かぶ鏡と波面と水面の間に親和性を見出しながら,レンズ,鏡,映像の間をゆく

2017年も終わり,2018年になってしまう.

波の形をした鏡を探している.

魚の表面に計算機自然を探す日もあれば
水面を揺らす日もある

いろんな探し方があるが,生物と水面とミラーとレンズとディスプレイとAR/VRの間から物質と映像の間を探求しだす.ここが長い.

2019年になってしまう.映像から質量へ,物質を考える時間が流れる.質量への憧憬へと回帰する.

質量への憧憬はダダイズムでもあり,ファントムレゾナンスでもある.

 鏡張りの風景,映像装置,デジタルネイチャー,物質と映像の間に.

常設展を作ることにエネルギーを先ながら映像と物質,触覚と実質,質量ある自然と質量のない自然を探求しながら,映像と物質の垣根を縫い続ける.

2020年になってしまう.忌々しいコロナ禍.民藝,未知への追憶,質量への憧憬,映像と物質の間の探究は続く.

質量への憧憬が伝わるようになってきてもまだ,計算機自然と映像と物質の間を縫い続ける.

道具の目につく仕組みが徐々に消滅し,
最終的には波に磨かれた小石のように,
自然な形状を持つ何かが僕らの手に委ねられる.
これは素晴らしいことだ.
だが,それと同じように素晴らしいのは,
実際に機械を使用する人間の意識からも,
機械が少しずつ姿を消していくことだ.

サンテグジュペリの人間の土地に出てくる一節です.

自分が万博で担当するのは自然とデジタルの融和により,
そこで磨かれる命,芸術が見出される瞬間を見出し,
未来のビジョンを考えることです.

自分はこれまで,
波に磨かれた小石を拾い集めるように,人工物と自然物の融和し,
質量ある実体と,質量のない計算機の中の世界の間を反復し,
メディア芸術と計算機研究と表現活動を通じて,
デジタルネイチャーともいえる,技術生態系とともにある,名前のまだない新しい自然を探してきました.

新しい自然は多様な技術環境の上で,
人の身体的・認知的な多様性と親和し,
あらゆる現象を音楽のように共感覚化していくと信じています.

https://note.com/ochyai/n/n05ec4b0d3581

2021年になってしまう.LEDも映像的な,そして物質的な素材である.

観念的なものを塗り替えることもあれば映像的であることもある.そして物質であることもある.

点光源から再生され続けるフィルムは物質的な記憶である.
波,映像,物質,鏡,質量への憧憬.

ヌルヌルのことを考え続けている.


https://chizaizukan.com/news/4J4NcDoYXs64nP0HZrwmJH/

2022年になってしまう.


ヌルヌルが極まってくる.




毎日映像と物質の間を考え続けている.端折った文脈も多々あれど,たまにまとめてみると,こんなふうに私には毎日つながっているのだけれど,つながって見えないのかなぁと思うこともあり.たまに書くのは重要である.

嬉しい批評


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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から2年以上経ち,購読すると読める過去記事も800本を越え(1記事あたり5円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…

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