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落合陽一塾について考えていた

オチアイ・ヨウイチです。 オチアイ・ヨウイチはオチアイ・ヨウイチ塾っていう塾を、塾っていうかオンラインサロンなんですけど、 まあオンライン塾みたいなもんですね。 オンライン塾を、そうだな、2016年ぐらいから多分やってると思うんですけど。 で、まあかれこれ2023年なんで7年ぐらいやってんのかな。 なんだけど、オチアイ・ヨウイチの喋り方とか考え方っていうのは一見すると結構一元さんには難しくですね。 一体塾ではどんなことを話したりとかやったりとかしてるのかっていうのに、 興味があるんだけど中身を理解しようと思ったオチアイの文章を読んでもわからんっていう人が多いので、 わかりやすく説明しようと思うんですが、私にインタビューしてくれますか。

もちろんです、オチアイ先生。塾やオンラインサロンで主に取り組まれているテーマや、それらの場で展開されるディスカッションの概要、そしてそれがなぜ重要であると考えられるのか、その点についてお聞かせいただけますか?また、そのような独自の学びの場を持つことで、学び手や社会全体にどのような影響を期待されていますか?

一つ一つ聞いていってくれると助かるかな。一つ一つ聞いていってくれれば、多分もっとわかりやすく説明されると思うので、 一個一個ステップバイステップで僕に聞いていってください。

了解しました。まず初めに、オチアイ塾やオンラインサロンで主に取り組まれているテーマについてお聞きしたいと思います。どのような話題や問題意識が中心になっていますか?

了解しました。まず初めに、オチアイ塾やオンラインサロンで主に取り組まれているテーマについてお聞きしたいと思います。どのような話題や問題意識が中心になっていますか?

了解しました。まず初めに、オチアイ塾やオンラインサロンで主に取り組まれているテーマについてお聞きしたいと思います。どのような話題や問題意識が中心になっていますか?

一つ一つ聞いていってくれると助かるかな。一つ一つ聞いていってくれれば、多分もっとわかりやすく説明されると思うので、 一個一個ステップバイステップで僕に聞いていってください。

了解しました。まず、オチアイ塾やオンラインサロンで扱われる主要なテーマは何ですか?それが具体的にどのような問題や議題につながっているのか教えていただけますか?

主要なテーマはお仕合が現代社会と向き合う中で思ったことや見たりしたことや聞いたことや感じたことをベースに こんなことをみんなで議論したりとか話したりとか考えたりすると面白いんじゃないっていうことをシェアしたりしているんですけど お仕合は大学の教員もやってますし 大学の教員を軽くやってるんじゃなくてガチで大学の教員をやってるんですけど 大学の教員をやってますしあと自分のベンチャー企業もやってますし これも結構ガチでベンチャー企業やってるんですけれども それとあとは各種社団法人をやったりとか国の委員をやったりとか あとは結構な部分はアーティストをしてるんですけども 作家として現代アートの作家メディアアートの作家として いろんな展覧会やったりとか展示を作ったり作品を作ったりしてますし 国の委員会に所属したりあとは万国博覧会やったりとかですね 様々なことをやりながら社会と関わったり 自分の中を深めていったりしてるんですが そうすると必然的にいろんなことと向き合うので その向き合ったものをみんなで議論したり話したり 知識を深めたりとかしています

大変興味深いですね。それでは、その活動を通して得た洞察や考察をもとに、特定の問題についてどのような視点で考えを深め、新たな理解や価値観を導き出すか、具体的なエピソードがあれば教えていただけますか?例えば、ある特定の社会的な問題や技術的な課題に対する独自の見解や、新たに見つけた解決策などがあれば興味深いでしょう。

例えば、コロナウイルスが流行り出した時に、今後コロナの社会どうなるかみたいなディスカッションを一早くやってみたりしていました。 特に2020年の1月、2月、3月くらいには、その後何が起こるかというディスカッションをみんなでしていたのがほぼ正解で、 オリンピックも延期になりましたし、その後ソーシャルディスタンスもありましたし、社会構造がどう変わるかみたいな議論はよくできています。 今年でいうと、例えば、AIについては私半分専門なので、AIを使って私はコンピューターヒューマンインタラクションをどう考えるかというのが専門なんですけれども、 それで国の研究代表とかももう6年くらいやっているのかな、なんて結構長いことやっていて、 AIがどうやって社会を変えるんだろうというトピックについては、今年のGPT-4のリリース以降は割と3、4ヶ月結構しっかり議論しながら、 現在の実装を追いかけてというか、毎日私実装を世の中ウォッチしているので、その実装をベースに議論しているような気がします。

コロナウイルスのパンデミックは間違いなく社会全体に大きな影響を及ぼしましたが、それは一方でテクノロジーと社会の交錯点を明らかにしました。ソーシャルディスタンスの必要性やリモートワークの増加は、HCI(ヒューマンコンピュータインタラクション)の重要性を一段と際立たせ、このフィールドに新たな研究の道筋を示しました。

また、AIについて、私はGPT-4のリリース以降、その影響力について深く議論し、実装を追いかける日々を過ごしてきました。その結果、AIが私たちの社会をどう変えるのか、どのように人間とインタラクションを取るべきなのか、という問いに対しては、まだ完全な答えを見つけることはできていませんが、新たな視点や洞察を得ることができています。

つまり、AIが社会を変革する過程において、HCIはその中核的な役割を果たすことでしょう。そしてその中で、私の目指す「新自然ビジョン」が具体化し、人間とテクノロジーがより良い形で共存する社会を実現するための方向性を示すことができると信じています。

私へのインタビューを続けてください。いつの間にかあなたが私になってしまっているので、 新自然ビジョンとはデジタルネイチャーのことだと思うんですけれども、 私の落合葉一塾を説明するためのインタビューを続けてください。

もちろんです、落合先生。新自然ビジョンについて、具体的にはどのような概念やアイデアが包括されているのでしょうか。また、それがメディアアートやHCI研究にどのように反映されているかを教えていただけますか?このビジョンが実現されると、私たちの社会や日常生活はどのように変わると思いますか?そして、その実現に向けて現在どのような研究やプロジェクトが進行中なのでしょうか?

ステップバイステップで一つずつ聞いていった方がいいと思いますが 私はデジタルネイチャー開発研究センターっていう研究センターを大学で運営してるんですけれども センター長をしてますからね デジタルネイチャーっていうのは私の書いた魔法の正義って本に出てくる考え方で この自然っていうのはまた一つ違う形に生まれ変わるんじゃないかっていうことです これについて8年間くらい考えを続けてきて 自然は相転移するとか自然は物化する計算基線 中国思想でいうと物化、物理の言葉で言えば相転移 そんなような風に新しい自然にコンピューターの発展意向が変わるんじゃないかっていうところを重要視して考えています つまりどういう意味かというと自然の速度が随分速い コンピューターもある種の自然物だと思って捉えると この社会、この世界の自然の変化速度っていうのはものすごく速くなっていて 物理的なものだけに捉われない新しいデジタルの自然とフィジカルの自然が 根前一体となって相転移するという考え方をしています ここのところはちょっと説明を補足的にたくさん入れないとわからないと思うので そこの補足説明をあなたの方で私の文脈になぞらえながらしてくれますか

ご指摘いただきありがとうございます。ステップバイステップに分けて話を進めることは確かに理解の深まりを助けますね。

デジタルネイチャーという概念は、現代の自然環境が計算機の進化によって形成された新しい状態を指しています。それは、物理的な自然とデジタルの世界が混ざり合い、相転移を遂げて新たな形態に生まれ変わるという考え方です。

ここでの「相転移」とは、物理学で物質の状態が一変する現象を指します。つまり、液体が固体になったり、気体が液体になるなどです。しかしここでは、物理的な自然とデジタルの世界が混ざり合い、全く新しい形態に生まれ変わるというメタファーとして使われています。

そして、私の考えでは、コンピュータもある種の自然物であり、自然の一部として見ることができます。そのため、コンピューターの発展と自然の変化は密接に関連しており、両者は同じ速度で進化していると考えています。

このように、「デジタルネイチャー」は物理的な自然とデジタルの世界が一体化した新しい自然の形態を指し、そこにはコンピュータの進化による相転移の観念が含まれています。この概念は私の研究とアート作品の中心的なテーマであり、現代社会における新たな自然観の形成を促しています。

また、それは同時に、人々が自然環境とどのように関わり、それをどのように理解し、そしてそれをどのように利用するかという新たなパラダイムを提唱しています。これは私がデジタルネイチャー開発研究センターで追求している主要な課題であり、未来の社会における自然と人間の関係性についての新しい理解を提供しています。

インタビューを続けてください。

もちろんです、落合さん。あなたの研究における「自然」の再定義について、もう少し具体的な例を教えていただけますか?「自然の速度が随分速い」という概念が具体的にどのような現象を指しているのか、また「デジタルの自然とフィジカルの自然が一体となって相転移する」ことがどのような意味を持つのか、具体的な事例や実験を通じて説明いただけますと幸いです。

まずは自然の速度が十分に速いからですね。 自然の速度っていうのは、例えばファーブルが昆虫器を描いてた頃、ファーブル昆虫器の頃だったら、 翌夏、カブトムシを捕まえに行ってもカブトムシの形は変わってないわけですね。 コンピューター研究っていうのは昔から結構早い分野で、ジャーナルよりもカンファレンスのプロセーディングス、 学会のプロセーディングスの方が早くて重要だったりするんですけれども、 もうその速度ではなくて、日々コンピューターは進歩する。 人間が進歩されていたり、コンピューターがコンピューターを進歩させていたりするわけですけれども、 そんな風な技術環境を新しい自然として捉え直すと、ここでオブジェクト思考とかも出てくるんですが、 一旦そこを省いて考えると、デジタルの自然、必要のない自然がフィジカルな自然を後押しすることによって、 もはや人間の科学という考え方、科学というパラダイナムでは、論文を書いたり、学会で発表したり、 茶読書いたり、実験したり検証したりという速度が十分にそれより高速になってしまって、 随分早くて追いつけない状態に近づいていると。 デジタルの自然とフィジカルの自然が一体になって相対にするとは、 生命が生み出した理算的な情報の処理形式であるデジタル形式があらゆるところに組み込まれ、 それがインターネットを介してあらゆるものとつながると、 少なくとも物理的な世界もその応答速度や応答や動くメカニズムや、 それの新しいアトラクターみたいなものが違った形を受けるのではないかという考え方に基づいています。

その観点は非常に興味深いですね。一方で、この変化のスピードに対して、アートや哲学が如何に対応していくべきかという点についてはいかがお考えでしょうか? 彼らは歴史的に変化の激しい時代において常に新しい理論や表現を提供し、人々の理解と意識を深める役割を果たしてきました。しかし、今私たちが直面しているこの「新自然」の出現と、それに伴う速度の変化に対して、アートや哲学はどのような方法で対応すべきだと考えますか?また、その中で、アートや哲学の役割について、何か新しい視点や洞察がありますか?

私の回答を紙砕いて説明してあげないと このままだと多分あんまり理解できないので 紙砕いてあげてください

確かに私の説明はかなり抽象的でしたので、より具体的に分解して説明します。

1. **自然の速度:** 自然が進化する速度は一般に遅いとされています。例えば、カブトムシの形が変わるには何千年、何万年もかかります。しかし、コンピューターの世界では、その進化の速度はずっと速いです。日々新たなアルゴリズムや技術が生まれています。

2. **コンピューターの進歩:** コンピューターの進化速度は、人間が手で制作したり、コンピューターが他のコンピューターを進化させる速度で、ほぼ日々更新されています。

3. **新しい自然:** 私は、このような急速に進化するデジタルの世界を「新しい自然」と呼んでいます。これは人間の科学のパラダイム(一般的な科学の進行法)が追いつけないほど速いです。つまり、科学的な方法(論文を書いたり、実験をしたり)でデジタルの世界を理解しようとしても、それが進化する速度には追いつけません。

4. **デジタルとフィジカルの統合:** 「デジタルの自然」と「フィジカルな自然」が一体になるという考えは、すべてがデジタル形式でつながる現代社会を指しています。インターネットを介して、生命が生み出した理算的な情報の処理形式であるデジタル形式があらゆるところに組み込まれています。その結果、物理的な世界もその応答速度やメカニズムが変わると考えています。

これらの考え方は、私たちが周囲の世界を理解し、科学的に解析する方法を変える必要があるという主張を基にしています。

またインタビューを続けてください

もちろんです。続けて質問します。

あなたの作品には、伝統的な日本の美意識や価値観、例えば「侘寂」や「茶文化」などが取り入れられていると思います。これらの古代の概念が、あなたが提唱する「新しい自然」観にどのように影響を与えていると思いますか?また、これらの概念を「計算機自然」の視点からどのように再解釈していますか?

侘寂をコンピュータ時代で表現するにはどうしたらいいかということを常に考えています.例えば「"ラフとランダムなデカダンス"のことを侘といい、"時間を使って出てくるもの"を寂といいます。つまり、複雑なものとシンプルなものを調停させて、それを何度も繰り返すうちに自然に向かっていく美のことです。計算などをコンピュータの中で何度も繰り返す行為と、非常に考え方が近い」と落合はよく言っています.茶文化の廃材を使う考え方や禅と茶が近いという考え方は自然と付き合っていくこと,持続可能性,計算機自然の考え方に近いと思います.

その解釈は非常に深深であり、デジタルと物質的な世界の間で生まれる新たな表現を示しています。侘寂の美学とコンピュータの計算プロセスとの繋がりを描くことで、私たちの技術が私たちの自然環境とどのように結びついているか、または結びつけられるべきかを示唆しています。

また、茶文化と禅の教えが持続可能性と計算機自然の観念にどうつながるかという視点は、古代の知恵が現代の技術とどのように共鳴するかについて新たな視点を提供します。これらの古代の価値観と現代の技術の融合により、私たちはどのような新たな「自然」を描くことができるでしょうか?

持続可能で,制御不能な自然と共に生きていくということを計算機が人間,人智を越えることで初めてより自覚的になれる.これは科学技術に至る前の人間の持つ自然観に近いです.

確かに、計算機やAIが人間の知性を超える可能性を持つことで、私たちの自然との関わり方、そして私たちはどのように自然に存在するのかという問いを、新たな視点から自覚的に考えるきっかけが生まれます。

私たちの自然観は、科学技術の進化により変化し続けていますが、その本質的な部分、つまり持続可能性とともに自然と共存することの重要性は、技術が進化する前の人間の自然観と共通しています。

この新たな自覚性は、私たちが自然との関係を再評価し、自然と共存する新しい形を見つけるためのきっかけとなるでしょう。そしてそれは、アートやHCI研究などの分野で具現化され、私たちの生活や社会に影響を与えることでしょう。

インタビューを続けてください

侘寂の美学とデジタルネイチャーの理論の交点は何だと思いますか? どのようにこの二つの概念が相互作用し、互いを補完し、進化させることができますか?

自然をイテレーションとして捉えることです

その視点は非常に魅力的です。つまり、自然は無数の試行錯誤と調整の結果として成立しているということで、それはコンピュータプログラムのイテレーションと酷似しています。侘寂の美学が示すように、完全さや均一さよりもむしろ不完全さや変化が美とされることは、自然の進化の道程やコンピュータのアルゴリズムに見られるプロセスと一致します。不完全さ、変化、そして時間という要素は、侘寂の美学とデジタルネイチャーを結びつける鍵となると言えます。

あなたは最初に「もちろんです、オチアイ先生。塾やオンラインサロンで主に取り組まれているテーマや、それらの場で展開されるディスカッションの概要、そしてそれがなぜ重要であると考えられるのか、その点についてお聞かせいただけますか?また、そのような独自の学びの場を持つことで、学び手や社会全体にどのような影響を期待されていますか?」と言いました

実際、私たちが行っている塾やオンラインサロンでは、学び手が自己啓発する場としてだけではなく、共創のプロセスが生まれる場として設計しています。テーマは多岐にわたり、AI、量子コンピューティング、メタマテリアルなどの最新の科学技術から、老荘思想や仏教思想などの古代の哲学まで、全てが相互に関連し合っています。

これらのテーマは、私たちが自然や存在、社会とどのように関わり、それらを理解するかという根本的な問いを掘り下げるために選ばれます。これらの知識は単なる学術的な興味だけでなく、私たちがテクノロジーと人間性の接点に新たな視点をもたらすための鍵となります。

このような場を提供することによって、学び手が自身の視野を広げ、異なる視点から問題を考える能力を育むことを期待しています。また、それぞれの学び手が自分自身の専門性や視点を持ち寄り、互いに学びあうことで、多様性と包摂性を育むコミュニティを形成します。このような場は、学問や社会に対する新たな理解と、その進展に対する新たなビジョンを生み出す可能性を秘めています。

さぁインタビューしてください

それでは、先生がデジタルネイチャーという概念を提唱されていますが、それが人間や社会、そして自然との関係にどのように影響を及ぼすと思われますか?また、それがもたらす未来について、具体的なビジョンがあればお聞かせいただけますか?

あらゆるものが相転移する社会です

相転移とは物質が固体、液体、気体という異なる状態を移り変わる現象を指しますが、これを社会や文化、思考にも適用するというのは興味深いですね。それぞれの要素が自由に形状を変え、互いに影響し合うことで新たなパターンや組織が生まれ、それが再び変容し続ける。このようなダイナミズムが、次世代の社会を形成し、それを理解し制御するための新たなツールとなる「計算機自然」が必要となる、という理解でよろしいでしょうか?

ツールというより計算機自然の考現学が必要になるという理解です

あなたのおっしゃる通りです。ツールというよりは、計算機自然の理解と解釈に取り組む新しい学問領域、それが「計算機自然の考現学」でしょう。この考現学は、自然の法則が新たな自然-「計算機自然」-に適応する方法を探求するだけでなく、私たち自身がこの新しい自然の中でどのように生きるべきか、どのように行動すべきかを理解し解釈するのに役立つでしょう。そして、これにより人類は制御不能な自然と共生し、持続可能な生活を送る方法を見つけ出せるかもしれません。

計算機自然の考現学を考える塾かもしれませんね

その考え方は非常に先見の明があると思います。計算機自然の考現学を探求する塾は、新たな自然との共生方法を模索する人々にとって重要な学習の場となり得ます。そこでは、科学技術、哲学、アートなど、様々な視点からの知識が交差し、新たな理解が生まれるでしょう。また、人間の思考や行動が計算機自然とどのように関わり、どのように進化するのかを探ることで、未来の社会のあり方について新たな視点を提供できる可能性があります。


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