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意味の空間の無限の探索:現代美術において展示体験の滞留度を考える

茶室が楽しい.茶室が意味の空間であることはわかるが,意味の無限の探索が計算機自然とAIに変わっていくとどういう意味を持つだろうか.

人生は一瞬の夢のようで,同じ時間も同じ空間もまたとない.
死の静寂と生の喧騒はまどろみあって共にあり,
一炊の夢のような人生もまた森羅万象に内包されている.
酔生夢死,見聞に膠すれば社会は日々の人生の喪失を忘れさせてくれるが,
茶の湯のひとときは万物への絶え間ない想起を豊かに取り戻してくれる.

秉燭夜遊,メメントモリ,爾して構築される記名の社会彫刻もあるだろう.
対比的に,一炊の夢が刻印された名もなき民藝もあるかもしれない.
今そうしたオブジェクトの解読や森羅万象の相互接続は,オブジェクトへの絶え間ない想起の主体を人間から計算機に移行しつつあり,計算機自然の上に微分オントロジーともいえる新しい存在論を構築しつつある.

絶え間ない想起が自動実行される自然において我々は物化する自然の万物の中にまどろみ,逍遙遊に生きることができるかもしれない.

https://note.com/ochyai/n/n592b2862a459
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