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8/15 killer tune today すばらしい日々/ユニコーン ~ワクチン接種を終えて

すばらしい日々だ
力溢れ
すべてを捨てて僕は生きてる
君は僕を忘れるから
その頃にはすぐに君に会いに行ける

今日はワクチンを打つ。
駅についてシャトルバスに乗り換えて接種会場に運ばれていく。

バスを降りてすぐに駆けつける誘導係。導かれるまま、というか、他のワクチン希望者のあとを追うようにおずおずと粛々と大規模接種センターに入って行く。大規模接種センターの言葉の響きが少しディストピアっぽいとずっと思っていたけど、とうとう来ることが出来た。

接種券を見せる、並ぶ、本人確認が住所と指名によってなされる、あと2人くらいにも本人照合がなされる、並ぶ。一列に並んだ看護師に予診表を見せる。持病と服薬と食物アレルギーと過去のワクチンの副反応があると記載されている。これは自分が書いた。さらに、先ほどの看護師さんが見落としてはならない箇所を赤丸で囲んでくれた。それがなにやらとてもよくないものを背負っているような気がしてドキドキしていた。医師は問題ないので安心してくださいと言った。次に案内されたのは接種ブースだった。あれよあれよとここまで10分。

緊張してる?と接種ブースの看護師さんに声をかけられる。ふた回りほど上の看護師だった。キリッとしているのだけれど、すごく優しいのだけれど、決してもたれかかることは許されないような、自立の雰囲気が凛とした人だった。わからないけれど、とっても医療、と思った。

椅子に深く座って、腕の力を抜かなきゃな、と思ってる間に、接種は終わっていた。接種自体は全然痛くなかった。おしゃれな雑貨屋に置いているアロマオイルのような小瓶がトレーの中にあった。たしかにCovid-19と書かれていた。脳内のケルト音楽のBGMはいっきに消えて現実に引き戻されたし、もう2年も建とうとしていることがとても印象的な“19”だった。

みんなで予後の15分を待って、次回予約をとり、またバスに吸い込まれていった。港湾の鮮やかのコンテナとクレーン。みをつくし。汚い海。マンション群。曇り。遠くに見えるでかい消費都市。高速のカーブを曲がってるときに、ふと頭に流れてきたのが、すばらしい日々/ユニコーンだった。

すばらしい日々だ。
政治上層部の混乱とはまるで違って、現場のオペレーションはとてもスムーズで力に溢れていた。明るい声を出す明るい人々がたくさんいて、ワクチン接種という一大事業をたしかに進めていた。
すばらしい日々だ。力が溢れてきた。

でも、そのことがすごく切なかった。コロナがあってもなくても変わらず出勤し仕事をする日々、ニュースで見る表面的な情報、医療従事者のかたのSNSで見る惨状、呑気に商店街でテイクアウトを品定めする自分。

幸いにまだ身近には感染者はいないが、知り合いの知り合いくらいに濃厚接触者は出ていて、緊急事態宣言は発令されていて、そしてお盆休みは終わる。

なんだかすべてを忘れたいけれど、それは無責任で、よく覚えておいて生きていかなきゃなという気持ちもじわじわ湧いてきている。普段はなげやりな気持ちでばかりいるけど、高いところから町を見下ろすとすごく思う。

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