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これまでがんばってきたのだから

もう頑張らない場合と、せっかくなのでもうちょっと頑張る場合がある。

それはさておき、自分の「ふつうにめちゃ失敗する」部分もいい加減受容できてきた。
今日も仕事で、大きな勘違いをしていて3時間ほどの作業が無駄になったが、「そういう所あるよね!」とアルカイックスマイルを浮かべる始末だ。

以前は、嵐のように悔しがり、自分を責め、怒って泣きたい情緒になっていたので、大人になったのか諦めがついたのか鈍くなったのか。

んふふと苦笑いをしながら、妙に静まった心を抱きつつ、でもすこしやられていたところがあるみたいで、無印良品でお菓子を買って帰った。

そんな毎日、このままでいいんだろうか。自分への過剰評価をやめられてからは生きやすくなったが、「なにくそ!」と努力をするのも辞めてしまった気がする。今日も帰ったらお菓子を食べながらYouTubeで好きなゲーム実況をみるつもりをしている。

適切に自分と向き合いたいよ。

これまで一応の努力みたいなものをしてきて、大学に入り、それなりの壁にぶつかり、大学を出て、就職して、働いて、家賃と税金を払って暮らしている。奇跡みたいだ。十分誇るに値する。それは認めたい。認めよう。

そこから、もう頑張らない場合と、せっかくなのでもうちょっと頑張る場合と。

一歩踏みとどまって、今日は後者でやってみよう。

自分は自分だけのものではない。せっかく、これまで身につけた知識があり、過去に買った本があり、それを身につけて社会に生かすチャンスがあるかもしれないのだから。それがもしかしたら、利他であり、ちっぽけな使命なのかもしれない。


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