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問われるリーダーシップの意味

[日本経済新聞] 休業手当100%国が補助、小規模企業向け雇用調整助成金

これほどまでに「遅きに失する」という言葉が合う話があるだろうか。

国全体に向けた施策を決めるのに時間がかかるのは分かる。だから、自治体と比べて動きが遅くなるのも当然。だから、実施するのに時間がかかることはしょうが無いと思える。

しかし、今の日本政府の問題はそこじゃない。リーダーシップとは本来、どこに向かうかを決めることではないのか。どうやって向かうとか、いつまでかかるとか、そこはリーダーが勝手に決めることでも1人で考えるべきことでもない。つまり、目的地の設定が、リーダーの役割だろう。

この話で言えば、どうやったら100%保証できるかの話は後回しで言い。実現方法は後で考えるから、とにかく100%保証する、それができるために全力を尽くす、少し時間がかかるかもしれないけど、一日でも早く実現させるから一緒に頑張ってくれ、という話。100%を目指そうとするかどうか、その指針を示すことが大事。それを、コロナ危機の最初期にしていれば、それだけで救われた命がどれだけあったか分かっているのだろうか。

これも、失敗を許容しない日本人の気質に問題があるとは思う。もし100%を目指すと宣言して、実現できなかったら袋叩きにされる。だから、実現可能な中途半端な目標設定しかしない。そして、実現可能なレベルの努力しかしない。そうじゃないだろうよ。

実現可能かどうかじゃなくて、やるべき事という観点でまず目標を決めて、そこに向かって持ちうる全てをぶち込んで動くというのが正しい順番ではないのか。フランスもそう、ニューヨークもそう。掲げた目標は非常に高いし、実現できるかどうかも確実じゃない。でも、その目標に向かって動く以外に無いのであれば、無茶を承知でそのような目標設定をし、死ぬ気でそれを実現するために動く。

仮に最初に掲げた目標を達成できなかったとしても、誰の目に見ても本気で動いていれば、それを叩く人はいない。もしそれでも叩くような人は、ただの外野。そんな他力本願で自分自身のことを自力でやろうとしない人の口先だけの野次は無視すればいい。正しい目標を設定し、それに本気で取り組んで、やるべき事をきちんと共有して、まさに一丸になって動くことができていれば、最後に失敗したとして文句を言う人はそんなにいない。むしろ、結果を待つまでもなく、そのような姿勢自体が指示を受ける。世界中でまだパンデミックが終息していないのに、大きく支持率を上げている国家主席が多くいるのはそういうことでしょう。

そして、一緒に頑張ってくれという姿勢が非常に重要。俺が頑張るからではなく、あなた達頑張ってでもなく、それぞれ頑張りましょうでもない。一緒に頑張るという感覚。今の日本にはこの感覚が決定的に欠けている。政府を仲間だと思えない。

日本政府がぜんぜんダメだと感じるのは多分、政府と国民がまったく繋がってないからかもしれない。安倍首相だからというのではなく、日本の政治システムは、自分たちの内閣を自分達のリーダーだと感じにくい構造をしている。永田町にいるおっさん達は、何かよく分からない下らない話をビービーやってる嫌な奴らで、自分達と関係無いところで色々なことを勝手にやっては迷惑をかける存在。でも、地震や台風みたいな天災と同じようなもので、お上ってのは自分達ではどうしようも無いから、耐えるしか無い。その代わり、失敗したら徹底的に文句を言う。つまり、日本という国は、民主主義に見えて、実は江戸時代と本質的な統治体制があんまり変わってない。

そしてそれは政治体制だけの問題ではなく、私自身も含めて、日本人には、自分たちのリーダーは自分で選べるということの実感がない。これだけ全世界で同時に国家元首の力量が「同じ課題」に対して試されたことは人類史上初めてだし、それをリアルタイムで情報共有できる、しかも純粋に国民の観点からの意見を比較できるのも初めて。日々様々なニュースに晒される中で、いかに自分たちのリーダーが酷いかを痛感し、私もこのような人々に自分たちの生活を委ねてきてしまったことを悔いるばかりである。

これを機に、日本の政治、そして日本人全体の民主主義に対する意識がアップデートされるかもしれない。日本国民は、憲法によって自身のリーダーを選ぶ権利が保証されている。私を含めて多くの国民が、その権利を放棄して文句を言うだけという姿勢を続けた結果が、今の日本の大惨事を引き起こした原因だと思う。リーダーは国民に対して責任を持ち、国民は自分たちが選んだという事実に責任を持つ。それが正しい姿。

そのためにはまず、なんたら選挙区制みたいな小賢しい制度をやめて、自分たちのリーダーを本当に自分たちで選べる構造に改革することと、リーダーを自分で選ぶことの意味を子供の頃から教育することが必要なんだと思う。

日本の政治体制は、明治維新という大きなアップデートの75年後、太平洋戦争という大きな傷みを伴うアップデートを経て今に至っている。そして、その更に75年後、2020年、今度はパンデミックという誰も予想しなかった厄災によって、強制的なアップデートに迫られている。

今の日本には新たなリーダーが必要なことは間違い無いが、同じく国民全体が、自分でリーダーを選ぶという民主主義の意味を深く考え直すことが重要ではないかと思う。今すぐ成果を出すことは難しい。今すぐ体制を変えることも難しい。でも、「このままにはしない」と決めることはできる。何から始めればいいか分からなくてもいい。重要なのはそこではなくて、「どうすれば良いかは分からないけど、とにかく変える、体制が変わることに自分も協力する」と決めること。その決心が何よりも大事。その決心さえできれば、あとは少しでも役に立ちそうなことを、少しずつでも始めればいい。まずは、そもそも民主主義とは何かを学び直すとか、勉強が苦手なら、「自分で上司を選べるとしたらどうするかな」と妄想してみるだけでもいい。

自分のリーダーは自分で選ぶ。そのためには時に戦う必要もある。そして、選ばれたリーダーに責任があるのと同様、選んだ自分にも責任がある。たったそれだけの民主主義国家においては本来当たり前の意識を持つこと。まずはそこから始めることが、いま私にできること。

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