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日本に突如生まれた未開拓の地。これから大人になっていく子供のような街とは?

9月6日に行われたICCサミット KYOTO 2022の7分間のプレゼンテーションコンテスト「ソーシャルグッド・カタパルト - 社会課題の解決への挑戦」で弊社代表の和田が優勝いたしました。

ICCサミットとは?

Industry Co-Creation ® (ICC) サミットは、「ともに学び、ともに産業を創る。」ための場です。毎回300名以上が登壇し、総勢900名以上が参加し、参加者同士が朝から晩まで真剣に議論し、学び合うためのエクストリーム・カンファレンスです。次回は2022年9月5日〜9月8日 京都において「Industry Co-Creation (ICC) サミット KYOTO 2022」を開催しております。
ICCサミットに登壇・参加する方の多くはリスクテイクして起業した事業家・チャレンジャーの方々で、前回 1,000名近くの参加者が一堂に集まりました。

▼発表内容

地域の100の課題から、100のビジネスを創出する株式会社小高ワーカーズベースの和田と申します。

私は、福島県南相馬市小高区という 原発事故で、1度は無人となってしまった街から今日も参りました。そこで、多様なローカルビジネスの創出に取り組んでいます。

現地について、おそらく、震災当時のネガティブなイメージのままの方も多いんじゃないかなと思いますので、今日は「なんだか避難指示区域だった地域が、ちょっと面白そうじゃないか」と、そんなふうに感じていただきたいな、という風に思ってます。

2005年7月:システムエンジニア時代

そんな私は、以前、東京でシステムエンジニアとして働いていました。
2005年にUターンして、今でいうリモートワークですね。それで、2社のベンチャー2社のCTOをやらしていただいてました。

2011年3月:震災発生

しかし、2011年3月原発事故が発生。
自宅が避難指示区域となった。私は、家族とともに、6年間もの避難生活を余儀なくされました。自宅にいつ戻れるのか、戻ったところで暮らせるのか、そんな先行き不透明感と大きな喪失感、 そして、何より家族と自分自身の大事な大事な人生が、テレビのニュースに映っている、一握りの人間の意思決定によって振り回されている。

この理不尽に対する怒りと、それを許してる自分自身の情けなさ、これらの感情は、ベンチャーでいくら経済的に成功したところで、払拭できるものではないと、そう感じるようになりました。

2012年1月:七五三

これは、震災の翌年に、地元の神社で撮影した七五三さんの写真です。
住民不在のゴーストタウンで、七五三を申し込んだのは、我が家だけだったそうです。私たち家族はいずれ帰還すると意思を固めていたんですが、多くの住民は「もう店も仕事もゼの街で暮らすことなんかできないよ」と口にしていました。

しかし、その店や仕事を作る事業者からすれば、いやいや、住民0の街で商売なんか成り立つわけないとそういう話に当然なってしまうわけなんです。先に帰還するべきなのは、住民なのか、事業者なのか、 この卵か、ニワトリかの硬着状態がいつまでも続いていました。僕は、この写真を見ながら考えました。

今のこの降着状態をブレークスルーするためには、やはり仕事と暮らしを同時に作っていくしかない。そして、それができるのは、子どもたちとともに帰還を決めている若い住民で、かつ起業経験がある自分だけなんじゃないか。そう、気づいた時に、猛烈な使命感が湧き上がってきました。

2014年5月〜2018年12月:小高ワーカーズベースの立ち上げ

そこで、まず、駅前に小さなコワーキングスペースを作って、物理的な仕事ができる環境を整えました。

まだ、街灯も消えたままの真っ暗な町に、まず明かりを1つつけるというところからのスタートです。

2014年12月〜2018年3月:おだかの昼ごはん

次は、お店が1軒もなかったので、地元のお母さんたちと食堂を始めました。
人もいない、汚染された街に、誰が飯を食いに来るんだと 散々言われたんですけれども、おかげ様で大繁盛しました。

それだけでなく、ここに避難中の方々が食事に来ることによって、バラバラにされた地域、コミュニティが再生されていく、そんな起点にもなっていきました。

そのうちに「あいつらができるんだったら、俺も再開しよう」と、そんな事業者さんもポツポツと出てきました。

2015年9月〜2018年12月:東町エンガワ商店

それから、「やっぱスーパーとかコンビニないと帰れないよね。」と、そういう声を受けまして、公設民営でスーパーを始めました。

こちらのお父さん、オープン当日に涙を流しながら、和田くん、ありがとうと握手を求めてきたんです。実は、彼は 震災当時まで、地元でスーパーを営んでいました。おそらくスーパー再開って、ほんとならば、自分の役割 だけども、年齢的にそんなリスクは取れないと、そういう葛藤を抱えていたんだと思います。

でも、肩の荷が下りたんでしょうね。その強く握られた手のひらから、その安堵感が伝わってきた時に、 このお父さんのためだけに、でも、自分が頑張ってやってよかったなと自分も思わず、涙ぐんでしまいました。

どうせもう、若者は帰ってこないよ

こうして、生活環境が少しずつ整っていったんですけども、一方で、住民には強い諦めの気持ちもあったんです。とはいえ、若者たちはもう帰ってこないようにということです。

そこで、若者たちに魅力的な仕事を作ることで 、帰還は難しくても、まず通勤ぐらいの動きは作り出そうと考えました。

ターゲットにしたのは、子育て中の女性です。なぜなら、帰還するかどうかの決定権を握っているのは、彼女たちだからです。

2015年8月〜:iriser

始めたのは、ハンドメイドのガラス工房「iriser」です。

家庭の事情に合わせて、自立的に働きながら、かつ可愛くて、おしゃれなものを生み出せる職人になれる、 そんな仕事で彼女たちに訴求できるのではないかと考えました。私も職人になりたいと そう熱望して、無人の街に通い始めた彼女たちは、7年間で、こんな素晴らしい作品を生み出せるようになりました。

工房には人々が訪れるようになり、さらには美大や専門学校でガラスを学んできた若者や外国人までもが職人になりたいと、 この避難指示になった街に移住するようになってきました。

自ら100の事業を創るのは大変・・・!

しかし、ここまでやってきて痛感したのは やっぱり自分たちだけで100の事業を作るってのはめっちゃ大変だなというところです。

2016年6月〜:NCL南相馬

そこで、起業希望者の誘致と支援ということを始めました。
住民ゼロからのフロンティアを一緒に開拓しようぜと、そんな呼びかけに賛同してくれた13人が移住して、うち7人が起業しました。

2019年3月〜:小高パイオニアヴィレッジNA→SAプロジェクト

起業家たちのよりどころとして、宿泊できるコワーキングスペースを始めました。

昨年からは、29歳以下の創業支援プログラムをスタートすることによって、 被災地支援ではなくて、自己実現のフィールドとして、この小高区を選択してくれる、そんな若者が増えてきました。

創出した事業の数 『22』

こうして、直接的・間接的に生み出した事業は22となりました。100まではまだまだ遠いんですけれども、原発が廃炉される30〜40年後までには必ず実現したいと思ってます。そして、その頃には1000人を雇用する1社に依存した、そんな地域じゃなくて、 10人を雇用する100の多様な事業者が躍動する、そんな自律的な地域に生まれ変わっていると確信しています。

ここまでの話を聞いて、なんだか面白そうな地域じゃないかと気になってきた皆様、 ぜひこの成熟し切った日本に突如生まれた未開拓の地。そして、これから大人になっていく子供のような街、これを体感しにお越しください小高でお待ちしております、ありがとうございました。

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