見出し画像

故郷ではない箱根に、わたしは母に会いに行く

私は桜が好きだ。といっても日本人の9割が好きだとは思う。
別に桜のことや種類に詳しいわけではない。
ただ、ものすごく好きなのだ。

さらに、ここ数年で桜に特別な思いを持つようになった。
それには理由がある。

コロナ禍真っ只中の3年ほど前に母を亡くした。

それからしばらくは、一人になりたくて仕方がなかった。
一人で何もない場所に行って、ただ自然に囲まれたい。
毎日キーボードを叩きながらそう思っていた。
メンタルには自信があったし仕事も普通にしていたし、大丈夫だろうと思っていたけれど、消化しきれない何かがそのような欲求として出ていたんだろうと今になっては思う。

半年ほど経って桜の季節が来た。
すこしでも自然を、と、都内方々の桜を時間をみつけて見に行った。
しかし桜は思っている以上に満開の期間が短い。
仕事と天気の都合であまり満足に見ることができなかった。

そんなときふと、箱根に行こうと思った。
都内から行きやすく、気温も低いので桜が残ってるかも、と思ったのだ。

**

思い立ったが吉日。
1週間後に有給を取って金曜日の午後から箱根に向かった。
金曜の夜に一泊して、翌日早朝から行動を開始した。

いつも出かける日は必ず曇天か雨の筋金入りの天気に恵まれない女なのだが、その日は雲ひとつない快晴だった。

宿を出てすぐのところの小道に、桜の木がいくつか植っていた。
風が少し吹いて、ざあ、と桜の花びらが舞った。
私はハッとした。

木の隙間から朝日が溢れて花びらを照らしていた。
そこには誰もいない。
はらはらと桜の落ちる音が聞こえるほどに静かだった。
一生忘れない程に清廉で美しかった。
しんとした、凛とした美しさがあった。

その日何かが起きるような、そんな予感を持ちながら、箱根鉄道に乗り込み目的地の宮城野早川堤へ向かった。
宮城野早川堤は早川沿いの堤約600mにわたり、約120本のソメイヨシノの桜並木が続く、桜の名所だ。

強羅駅で下車をして照りつける太陽の下を20分ほど歩く。
春でも歩くと汗が吹き出してくる。

近づくにつれてザーッと言う水音が聞こえてきた。
そして、目の前に広がった風景に息を呑んだ。
しばらくずっと橋の上からこの景色を眺めていた。

桜は満開〜ちょうど散り始めの頃だった。
その日は少し風が出ていた。
川沿いを歩きく。桜吹雪がはらはらと舞って川に落ちていく。

私は、途中で立ち止まり、ただずっとそれを見ていた。
見事に咲いた花が風に吹かれて花びらとなり、空に舞うのをを、ただじっと見ていた。

川の流れる音、鳥のさえずり。
それ以外に桜の舞う音が聞こえてくるような気がした。

そして「ああ、もう母には二度と会えないんだな」と思った。

母が生きている間は、一緒に出かけることに煩わしさを感じたこともあった。
今更になって、つれてきてあげたかったなどと思う。
でもそれがもう叶うことはない。

すべてには限りがある。
この世の全ては無限ではない。ぜったいに限りがある。

それを改めて思った。

ただ、悲しくはなかった。
桜が咲いて美しく舞って散り、花びらが川に流れ土に落ちている景色を見て、これがいのちであり、わたしたちもその一つに過ぎないと思ったからだ。
我ながら、凡庸な感性だと思う。
ただ、文字で追うのではなく誰かに教えてもらうのではなく、心でそれを感じた瞬間だった。

なぜか全ての命がそこにあるような、母がそこにいるように感じた。

**

それから、毎年(といってもまだ3回目ですが)わたしは箱根に桜を見に行く。
はじめて訪れたときのような感情が湧き上がるわけではないけれど、毎回不思議なふわふわとした気持ちになる。
あの時の、いのちの何かを見た気がしたあの気持ちが温かく心の中に流れてくる。

母に会いに行っているような感覚。
母はお墓よりもあの場所にいるような気がするのだ。
一緒に訪れた場所でもない、なんのゆかりもない。
それなのに、今年もきたよ、と呟いてしまう自分がいる。
母への全てを、あの時あの場所に置いてきたからかもしれない。

**

箱根は桜の種類が多いから長い期間桜を楽しむことができると、旅館の女将さんがおっしゃっていた。
本当にその通りで、いろんな色の桜があって見ていてとても楽しい。

それまでにも何度か行ったことはあって、もともと大好きな場所だった。
自然が豊かでのんびりとしていて、こじんまりとしていて、箱根ならではの文化がある。

3年前から私にとって大切な場所にもなった。

故郷でもなんでもないけれど、私は箱根に母に会いに行く。





この記事が参加している募集

#この街がすき

43,239件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?