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肉じゃがに埋め込まれたホットクックの基礎

ホットクックを手に入れるとカラフルでオシャレな市販レシピ本に手を出す人も多い。それも良いけど、まずは肉じゃがをつくって基礎を学ぶのも良いよという話。

「基礎」は「簡単」のことではない

「基礎工学部って工学部より簡単なことやってるんでしょ?」と煽られるとムッとする人がいる。ここで言う基礎は「簡単」かどうかの難易度ではなく、「土台」という役割を意味する。科学技術で言う土台は、数学のような理論的裏付けにあたる。

「基礎」だけで腹の足しにはならず、「応用」があって初めて人々の役に立つ。例えるなら、基礎だけの家は雨風しのげない一方で、基礎のない家も安心して住めない(ちなみに基礎工学部に建築学科は無い)ように、両方とも大事。

「基礎を学ぶと何にでも応用がきく」という話がある。狭い領域の「応用」に特化しすぎると分野が変われば使えない一方で、「基礎」は木で言う幹でありどちら方向にも枝を伸ばせる。逆説的ながら、応用に特化し過ぎないから応用が効く。

レシピの背後にある原理原則

本題のホットクック話に戻る。基礎という言葉が持つ「応用を積むための土台」と「転用が効くスキル」という点から、ホットクックの基礎と応用について想像する。応用がレシピであるとするならば、基礎は「なぜそのレシピになったのか?」を説明する原理原則と対応づけられる。

原理原則だけで夕食を作れない一方、原理原則が欠けていれば食材・味付け・人数の違いごとにレシピを準備しなければならず、組み合わせ爆発をおこしてしまう。往々にして人々はレシピを求めるけれど、原理原則を押さえた方がスッキリすることもある。

極端なくらい原理原則に振り切ったのが、勝間先生の実践する「総重量の0.6%相当の塩分を入れる」である。優等生が公式を暗記せず数学の試験中に導出するが如く、勝間先生はレシピを参照しない。

私も0.6%計算で作ったことはあるものの、計算を敬遠する人も多い。ただ、個別のレシピを追っていても、原理原則を探そうとする気概は持ち続けたい。

原理原則の具体例

ホットクックで決定ボタンを連打すると上下操作なしで肉じゃがに辿り着く。「最初に作って欲しい」という作り手の強い意図を感じる。サラッと記述されたレシピの中に、多くの原理原則が隠されている。例えば、以下のようなもの。

・小さく切るとまぜ技ユニットで煮崩れるから、大きめに切る
・先に水分を出すことで焦げ付きを避けられるから、野菜から入れる
・肉を塊で入れると固まってしまうから、2回に分けて入れる

どれも理由と手順が対になった「○○だから△△する」形式で言える。理由「○○だから」を押さえておくことで、初めて挑戦するメニューでも手順「△△する」が想像しやすく、失敗が避けられる。水分量など炎を使った調理とは勝手が違う部分もあって、もともと料理が得意な人ほど常識をアップデートしなければならない。

壱ノ型は肉じゃが

残念ながら、ホットクックに同梱されている公式メニュー集に手順だけが列挙されていて、理由までは読み取れない。原理原則を体得するには、繰り返し作り込んで型を覚えながら、仮説検証で辿り着くしかない。

大根を切る厚さで比べても注意深く読めば、豚バラ大根は1cm、鶏と大根の煮物は3cm、おでんは2~3cmのように違いがあることに気づく。一緒に加熱する具材の熱の通りやすさや、混ぜる/混ぜないを厚さによって変えているという仮説を持ち、他のレシピで検証を試みて探る。

子どもが観ていたアニメでも、壱ノ型から拾ノ型までを徹底的に極めたキャラクターだけが、独自に拾壱ノ型を編み出していた。その型にあたるのが、公式メニュー集にあたる。壱ノ型は間違いなく肉じゃがだろう。

近道としてのヘルシオ教室

...と言うておりますが、「原理原則」の具体例として書いた内容は、ヘルシオ教室の基礎クラスで聞いた内容のウケウリである。いったん話を聞くと、その後に作るレシピから原理原則に気づきやすくなった。

基礎クラスで実習する「肉じゃが」や「無水カレー」は、ホットクックを持っていたら最初に作るもので、教わらなくてもできる。「応用」を期待すると教室の価値を感じにくいけれど、そうでなく基礎クラスは「基礎」を学ぶことに意味がある。いろんなレシピが作りたいからこそ、逆説的だけど基礎を身に着けるのが近道。そのために、肉じゃがは絶好の教材である。

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