見出し画像

実録レポート・タイ刑務所ファイト潜入➂

カオプルック刑務所内で、少し過ごしただけで、囚人ファイト、囚人トレーナー、囚人占い師、囚人クィティアオ、囚人トモダチ、色んなものを目にする。

※実録レポート①、➁はこちら ↓ ↓

そして本題の囚人ファイトである。刑務所内で行われている「REAL PRISON FIGHTS」は、7試合目までが終了した段階で、囚人ファイター側が6勝1敗と大きく勝ち越している。1勝はイランのムハマド選手が囚人ファイターからヒザでダウンを奪い、終始圧倒して判定勝ちしたもの。

やはりKOか圧倒じゃないと勝てないのか。7試合目の途中から、いよいよ試合時間が迫る中村選手の横に付いて、たわいもない会話をする。

中村選手は「試合が終わった後、ブリラムに行くのは気が進まないですね。でも、インド人も行くから、行くしかないかな」と試合後の心配をしていた。

会長はブリラムに遊びに行くつもり。選手への慰安旅行の意味もあるという。でも、中村選手は試合が終わったら、できればバンコクの自宅でゆっくりしたい。ブリラムに行ったら2、3泊はしないといけないし、会長らのペースになるとのこと。

私の車で一緒にバンコクに戻ることも中村選手に提案する。パームロッジはVIPルームの為、ソファも大きくて快適に眠れそうだ。

しかしながら中村選手は「さっきKO負けしたインド人を1人で、会長らとブリラムに行かせるのは、可哀そう。彼はタイに来たばかりだし、言葉も分からない。付き合うしかないか」とパームロッジでも一緒に過ごしたアリ選手を気遣う。

これから始まる自身の試合の話ではなく、そういった話題になるのは、やはり50戦を経験しているベテランだからか。試合については、今回のプリズンファイトは、勝つためには相手を倒さないといけないと、練習時から会長に強く言われているとのこと。

会長は今までプリズンファイトに何度か立ち会って選手を派遣している経験があり、刑務所での戦い方の経験値も高いそうだ。試合以外のことも、例えば計量終わってからも、支給された食事・水分をとるペットボトルは必ず未開封である事を確認しろと指示されたという。

もちろん、今日のペットボトルについても同じく絶対に未開封であること、ジム以外の人から渡された口にするものは絶対食べるな飲むなと何度も言われたそうだ。

これは毒を仕込まれる事をかなり警戒してのことだが、囚人ファイター側はそこまでしてくるのかと驚いた。

そして試合の時間となった。中村選手はバンテージを撒いて、グローブを着けて入場を待つ。私は応援席に移動し、そのまま黒コーナー(なぜか、青コーナーではない)のコーナーポストのセコンドの後ろのほうに立つ。セコンドは中村さんの所属ジムのベテラントレーナーと、別のジムの若いトレーナーがヘルプで付く。

そして会長とブリラム友人は黒コーナーすぐそばの観客席に座り、じっと中村選手を見守るという様子だ。

リング横のスクリーンには、テレビ用映像が映し出されて、計量時に監視塔をバックに撮影した中村選手のインタビューが始まった。ごく簡単な選手紹介と、「やるぞ」と拳を突き出して気合を入れる中村選手の姿が映し出される。赤コーナーの対戦相手パンサック選手(以下、パンサック)のビデオも流れる。結構年配にも見える。

パンサックの見た目から判断して、年齢は余裕で35歳は超えているだろう。40代かもしれない。やはり全身に、タイの僧侶が彫る、護符的な伝統入れ墨のサックヤンなどが入っている。落ち着いた顔つきは、熟練したムエタイマスターにも見える。

そして選手コールがなされて二人がリングに入場し、ワイクルーが始まった。試合開始前の緊張感が高まり、いよいよである。赤コーナーのセコンドには「トモダチ」のトレーナー氏の姿も見える。

イベント開始時はまだ外は明るかったが、時刻は19時を回り、既に暗くなっている。終業後の立ち見の刑務官の数もどんどん増えている。応援席の100人と刑務官50人が赤コーナーの囚人ファイター側に声援をおくる。

アウェーの黒コーナー、私も気合を入れて応援しなければと、少しだがプレッシャーを感じる。ゴングが鳴ると、会長もブリラム友人もコーナーポスト後ろに移動して立ち上がったまま指示を送る。

パームロッジではビールを飲み続けていた会長は、眼つきが鋭くなり、雰囲気がガラッと代わって勝負師の顔となる。両手を振りながら、「いけいけ、しとめろ」など中村選手とトレーナーに向かって叫ぶ。

そして時折、トレーナーのところに行き、その背中を叩きながら、何やら指示している様子だ。今日の2試合目、インド人ファイター、アリ選手の試合時には見られなかったような本気の会長を見た。

第1ラウンドは互角のまま終わったが、中村選手はまだ硬さが取れない。ややパンサックが有利だったかもしれない。クリンチや逃げるのがうまく、老獪な印象。それでもパンサックの目立った有効な攻撃はあまりなかった。

そして第2ラウンド、中村選手のヒジ、ヒザ攻撃が有効、ヒザをボディーにもらうとパンサックは露骨に嫌な表情を見せる。このラウンドは確実に取っただろう。コーナーに引き返す中村選手に、陣営は拍手「よくやった、勝てるぞ、そのままいけ」と言葉を掛ける。

photo credit : papmuaythai (Khun Panom Yimsri) / 数少ない公開された写真 中村選手のヒザ攻撃にパンサックの顔が歪む

しかし、最終回の第3ラウンド、このまま中村選手が押し切るかと思ったが、パンサックのごまかしになかなか攻めきれず。パンサックは、よくあるタイ人ファイターのように、自分が試合を支配していたかのようにふるまい、時には片腕をあげてリングを走り、余裕を見せる。

このパンサックのパフォーマンスに、ええー、勝っていたのかな、と思いながらもジャッジは「やっぱり赤かな」と採点をパンサックに与えてしまうかもしれない。囚人ファイター側の応援席もパンサックの動きに湧いている。黒コーナーは「いけー、GOGO、とにかく攻めろ」と、私を含めて陣営全員が興奮して叫んでいる。

こうして第3ラウンドは互角のまま試合終了ゴングが鳴った。第2ラウンドに明らかにパンサックは効いていたのに、続く最終、第3ラウンドで、うまくごまかされてしまった印象。一緒に声援を送っていたブリラム友人は両手のひとさし指で×(バツ)を作り、「引き分けだな」とコメント。私は中村選手が勝ったかなと思ったが、公式採点は、赤コーナーを支持していた。パンサック選手の判定勝ちとなった。

会長もブリラム友人も拍手でコーナーから降りる中村選手で讃える。会長は「よくやった、よくやった、あとちょっとだったな」と言葉を掛け、中村選手はワイ(合掌、タイ式の挨拶) をして御礼の言葉を述べる。

力を尽くした中村選手も悔しさと試合が終わった安堵感が入り混じった表情を魅せていた。あと少しで勝利を掴めたと思う。惜しかった。

私は「「タイ刑務所ファイトで激勝し、連敗脱出!」この試合まで、ラジャ、クラビと二連敗だった中村選手は、刑務所ファイトで勝利し、見事に連敗を脱出した」という記事の見出し、内容を勝手に考えていたが、変更の必要が生じた。これも勝負事なので仕方がない。

今回の刑務所ファイト「REAL PRISON FIGHTS」は、全10試合を終えて、囚人ファイター側が8勝2敗と大きく勝ち越しとなった。中村対パンサック戦は、全体を通じて観てもなかなかの熱戦で、ベストファイト賞には選ばれなかったが、準ベストファイトということで、表彰された。

全試合終了後、中村選手とパンサックの2人は再びリングに上がると、スポンサーから賞金が手渡された。判定は負けだったものの、中村選手はこの刑務所ファイトでしっかりと自分の「爪痕」を残せたのではないか。

賞金については5000バーツの大きなパネルを渡されていたが、二者で5000バーツ、ひとりあたり2500バーツとのことだった。受刑者のパンサックには現金でなくクーポンが手渡されるのだろうか。タイの刑務所のこういった面のシステムは分からない。

これでやっと、イベントは終了、もう21時に近い。はやくこの刑務所を出て、パームロッジに戻りたいところだ。中村選手との試合では、パンサックのコーナーに付いていた、服役中の「トモダチ」のトレーナー氏にも別れの挨拶をした。半分抜けた上の歯を見せて笑顔で「またバンコクで、トレーナーをしたいから、以前のジムの会長にも宜しく言っといてくれ」と念押しされる。

こうして、また鉄格子を超えて、所謂、娑婆に戻った。異世界であったカオプルック刑務所には5時間ほどの滞在だったが、全て終わった安心感から、どっと疲れが身体を襲う。

中村選手や、会長たちはこのままブリラムへ向かうため、お別れを告げて先に刑務所を出発する。山奥の街灯もない、真っ暗な道を恐る恐る運転してパームロッジに戻った。

―――

次の日、仕事の用事でコラートの街中にいた私に、中村選手から連絡が届く。インド人(アリ選手)が一緒にブリラムに行くと思ったら、気付いたら他の欧米人チームと一緒に先に出て、バンコクに戻ってしまったとのこと。

彼は第2試合で囚人ファイターにノックアウトされた後、しばらく時間もあり、ネパール人ファイターや欧米人ファイターとよく話をしていた。情報交換のうえ、欧米人チームに一緒にバンコクに連れて行ってもらうようお願いしたのだろう。中村選手は、覚悟を決めてそのまま会長らとブリラムに行くことにしたが、昨夜は遅いのでコラートの街で食事をとって一泊した。

しかしながら、会長と友人は酒癖がひどく、昨日の中村選手の準ベストファイト賞の賞金2500バーツもまるまる飲まれてしまったそうだ。(賞金とは別にファイトマネーは出ている)このまま2、3日行動を共にするのは流石に辛い、と思い直したとのこと。

中村選手もインド人(アリ選手)同様、会長との別行動を決め、すぐにバンコクへ戻るという。「インド人に気を遣わず、最初から別行動をすれば良かった」という彼だが、この件では優しさがあだとなったようだ。折角なので、私の車に中村選手を乗せて一緒にバンコクまで帰ることにした。

車中で「会長と一緒にブリラムに行かずに大丈夫なんですか」と気を遣う私に「大丈夫です。試合のダメージも少々あるし、ブリラムで特別トレーニングがあるというわけでもないから」との話。

中村選手は、タイに腰を据えて、足掛け7年間、タイやカンボジアなどで試合出場を続けているが、こういう感じで会長ともうまく距離を測って、立ち回っているのだろう。刑務所ファイトでは惜しくも連敗脱出とならなかったが、また頑張ってほしいと告げる。

そして、また応援に行きますが、今度は「刑務所」ではない会場で行われる試合でと伝えた。

(終わり)

↓ ↓ 中村慎之介選手の過去記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?