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9月15日:不安は不安の顔をしていない

ふと高校時代の一コマを思い出した。1年生の秋にガングリオンができて、そのときはガングリオンと知らず、何だろうと思いながら練習に参加。そのときは調子が悪い時期で、どうにかよくしようと練習量を増やしたり先生に聞いたり、色々色々したのだが一向に良くならなかった。で、顧問の先生のある日、ふとしたタイミングで、手首にあるガングリオンを見せた。身体に詳しい先生でも分からず、「これは不安だよねぇ」と言われた。そのときに、あ、わたしは不安だったんだ、と気づいたのだ。それまで不安に気づかなかった。先生の言葉でハッとしてからは、プレーの調子もどんどん良くなった。ガングリオンも無事とった。

そうそう、そうだった。「どうもー不安だよー」と不安は寄ってこないのだ。いつの間にかもうこれしか方法はない..と視野が狭くなったり、よくわからないまま本領発揮できなかったりするのが、不安というやつだ。

今日はひとつの冊子の入稿日。その冊子はわたしのできなさが露呈して、結局かのこさんに途中で編集担当をお願いすることになったもの。そうなった後は、申し訳なさと悔しさとでずっと胃が痛く、どうしたって湧き上がる往生際の悪い衝動をなだめるので精一杯だったのだが(これがどうにかなるには本当に時間がかかるナァ)、今やっと、そういやずっと不安だったんだろうな、と思った。思えた。生活する余裕も、実際なかったんだと思う。夜ご飯、ちゃんと作れてなかった気がする。

それに気づいたのは、今日の定例で「身の程を知ろうと思いました」と言った後。それを笑ってもらえた後。「成長だね」と言われた後。だ。

遅いけど仕方ない。不安は不安のかたちをしてない、多分。アンド、不安なときは視野が狭いので気づきにくい。不安に気づける準備は自分でしておきたい。視野が狭まらない工夫もしておきたい。


・近しい人に不安を感じているときの自分の傾向を伝えておく。
・仕事のルーティンとは別の、習慣を持っておく。
(日常のもやもや出しレッスンは本当にいい。毎朝やってる。)

まずはここカナ。

段階が一つ下がったようで、多分下がってない。身の程になっただけ。“身の程”は悪い言葉じゃない。緻密に、確実に、成長しよう。ここまでは思えている。言い聞かせてるのではなく、思えているので、またひとつ成長である。

まだまだ登る階段は多いが、進んでいると思う。ちゃんとワクワクもできるようになってきたのを確認できたのも今日はよかった。修行・成長のため、だけじゃない、ワクワク感、やりたいぞの気持ちが頭角を現してきた。ぞ。修行と思い込むのも、良し悪しだな。


今夜はこれからランニングをして、夜ご飯をつくります。レンコンと大根、にんじんをスライスし、茹でた豚肉と和えたサラダを作る予定。たのしみー。

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