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学部長の教科書⑤リーダーシップ編 第1ステップ−緊急課題の認識 「虫の目」編

前回の続きです。学部変革の第1ステップは、学部長が正しい危機感を持ち、その危機感を学部全体に共有することです。そのためには、学部長はIRデータを活用して「鳥の目」で学部を俯瞰してみることが大事です。ただし「鳥の目」で問題を発見できたとしても、その問題が生じている理由については、データからは読み取れないことの方が多いと思われます。解決策の一つとして、より精緻なデータを収集して鳥の目の解像度を上げる方法もあります。しかし、ここでは全く別の方法である「虫の目」によって自らの学部にレンズを向け、そのことを通じて洞察を得る方法について述べていきます。

「虫の目」とはなにか

「虫の目」については、文化人類学者からコンサルタントやジャーナリストに転身を遂げたジリアン・テットが提唱する「人類学的視点(アンスロビジョン)」を参照してみましょう(ジリアン・テット『Anthro Vision−人類学的思考で視るビジネスと世界』日経BP、2022年)。テットは、「虫の目」のことを「人類学的視点(アンスロビジョン)」と言い、次のように語っています。

二一世紀の社会には、大規模な統計データやビッグデータを使ったトップダウン型の分析をありがたがる風潮がある(データセットの規模は大きければ大きいほどよい、とされる)。このような高度な演算が重要な洞察をもたらすことも多い。しかし私は(タジキスタンにある)オビ・サフェド村での経験を通じて、ときには鳥の目ではなく虫の目で世界を見て、両方の視点を組み合わせることに価値があると知った。徹底的に地域に密着し、縦横斜めからある状況を立体的に探究し、自由回答形式の質問を投げかけ、人々が語っていない事柄に思いを巡らすことが大きな恩恵をもたらす。他者の世界を「身体化」し、思いを共有することに意義がある。

前掲55頁

詳細はこの本を読んでいただければよいとして、テットは人類学的アプローチを、インテルやGM、英米の投資銀行といった場所に応用しました。その結果、インテルのエンジニアは自分たちと同じように消費者が考えると思い込み失敗を繰り返していること、GM経営陣による戦略と現場の従業員の非公式な行動にギャップがあり、問題が解決されていなかったが、それに誰も気づいていなかったこと(カンバン方式を導入したのに、従業員は在庫が欠品して怒られることを恐れて在庫を個人のロッカーに隠すようになった!)、さらには、リーマン・ショック直前の金融界がデリバティブやクレジットなどの水面下のリスクに対してみんなで目を背けていたことなどを次々と明らかにし、大きな話題となりました。

人類学視点(アンソロビジョン)とは、「ありふれた現実の中に潜んでいる事柄に気づき、他者に共感を抱き、問題に対する新たな洞察を得るための知的フレームワーク」だと言います(p.9)。つまり、「気づき、共感、洞察」というプロセスを観察者自身が経験し、自らも変化・成長していくことがポイントなのです。これこそが、学部長が変革を起こすうえで必要な視点だと私は思います。

学部長が「虫の目」を獲得する方法とは?

では、学部長はどうしたら「現場に密着し、縦横斜めから現場の状況をみることで、ありふれた現実の中に潜んでいる事柄に気づき、他者に共感を抱きつつ、問題に対する新たな洞察」が得られるのでしょうか?

「自分にレンズを向ける」ことは、それほど簡単なことではありません。文化人類学の素養を持っている学部長は少ないでしょうし、自分が長く所属してきた組織に対して「未知の世界」を見るように観察することは、たとえ学部長が文化人類学者だったとしても難しいはずです。

他の手法として、社会学の分野で使われる「エスノメソドロジー」があります。我々の学部を他者がどのように見ているか、他者の語りに耳を傾け、その語りの中からパターンや洞察を見出す手法です。学部からみて「他者」とは、高校の先生や学生、地域の人たちのことだと言えます。しかも、これらの他者は無関係な他者ではなく、まさに大学の「ステイクホルダー」です。こうした人達が、教員といかに違う視点で学部を見ているかに耳を傾け、「既知のもの」が「未知のもの」に見えてくる経験をすることは、学部の課題を見直すうえでとても重要だと私は考えています。

高校の先生の視点で学部を見る

学部長になると、進学説明会や高校訪問等で高校の先生と顔を合わせる機会が増えます。ただし、そのほとんどは高校の先生に向けた一方的な説明になりがちです。そうではなく、高校の先生が学部をどう見ているのかに耳を傾ける機会を作って見ましょう。それはアポを取った上で高校訪問をすることです。

高校訪問の一例として、私が13年前に、はてなダイヤリーで書いた「学部長、高校訪問に行ってみた」(2010-08-23)という記事を紹介しましょう。ある高校を訪問をした時に、その高校の先生から次のように言われたのです。

「おたくの大学には、かつて20名単位で受験生が出ていたけど、今はほとんど他大学に行っています。なぜだかわかりますか? そうなった理由は、退学者が多いことですよ。うちの卒業生がどんどん退学していったんです。退学した卒業生は、高校に遊びに来て、実情をよく話してくれました。生徒達は口コミで情報をよく聞いています。大学入学直後の講義の様子(私語等)や、レベル等がひどいと聞きました。他の大学に進学した卒業生は退学しないんです。楽しそうにしています。」

高校先生のこの言葉は私にとって大変ショックでした。それまで、大学で活躍している学生のことを紹介すれば、高校の先生は大学を評価してくれると思っていたからです。しかし、この先生の発言によって、私の認識は完全にひっくり返されました。以降、大学で面白くなさそうにしている学生が大学を退学することを考えず、学ぶことで成長し、大学の学びを面白いと思えるようになることこそが、学部教育改革の重要な視点だと考えるようになりました。

北陸大学に移っても、最初の1年間は集中的に高校訪問を行いました。高校の先生が我々の大学や学部をどう見ているのか率直な意見を聞こうと、「耳の痛い助言をくれそうな高校の先生を紹介してほしい」とアドミッションセンターにお願いをして、アポを取ってもらいました。当時、10校程度回ったと記憶しています。この時もまた、高校の先生から耳の痛い助言をいただき、そうした真摯な姿勢を持つ高校の先生に評価されるような改革が必要だと痛感したのです。

学生の視点で学部を見る

次に、学生の声に耳を傾けてみましょう。それも、「4年間で自分なりの目標を達成したい」と考え、教育熱心な先生の授業やゼミに参加している学生ではありません。いわゆる「その他大勢」の学生の声に耳を傾ける機会を作ってみましょう。実に多くの学生が「大学はスポーツをやるために来ました」とか「授業は我慢の時間です」とか、「特に学業面での目標はないのでアルバイトを充実させたいです」と考えていることに驚くかもしれません。

A大学のA君はなぜ大学を退学したのか」という今から10年前にはてなダイアリーに書いた記事は、退学を選択する学生になりきって書いた文章です。これぞ「虫の目」といえるかもしれません。実際に、この記事は、学部の退学防止策を考える上で重要な視点となりました。

続いて、これも10年ほど前に書いた「E君はいかにして大学に進学し、ジャージを脱いだか」という記事も紹介します。この文章は学生の中でも逸脱した層に光を当て、「北九州のヤンキー学生のジャージを脱がせてスーツを着せる」ことも大学の使命だという趣旨で書いたのですが、意外なほどの反響がありました。これも、「ありふれた現実の中に潜んでいる事柄に気づき、他者に共感を抱きつつ、問題に対する新たな洞察」を得た例として参考になれば幸いです。

教員が見ている「学生」とは誰のこと?

そろそろ我々大学教員にレンズ向ける準備ができたでしょうか。高校の先生や学生の語ることに耳を傾けているうちに、自分たち教員をも「虫の目」で眺めるようになってきているのではないでしょうか。

我々はよく「学生のため」という言葉を使います。実際、多くの大学教員は、学生のためと思って教育にエネルギーを注ぎ、学生に愛情を注いでいることは確かです。そして、教育熱心な教員ほどやる気のあふれる学生に囲まれます。教員の情熱と学生のやる気の好循環が生まれるのです。

しかし、そうした教員も、モチベーションが低く、授業を受けることを苦痛だと思っている学生と関わる機会はほとんどありません。そういう学生は厳しいゼミを志望することなく、また志望したとしても選抜の段階で落とされることでしょう。実際、ゼミ選抜で落とされ続けた学生が集まるゼミがあることも確かです。同じ「演習」科目なのに、授業の雰囲気や到達内容が全く違うことは容易に想像できます。が、実際にどんなゼミが行われているのか、他の教員は知ることはないでしょう。

いずれの先生も、「目の前にいる学生」とは、自分のゼミの学生のことで、他の学生はあまり目に入りません。「うちの学生はやればできる学生ばかりだ」という先生と、「うちの学生はできない」という先生に分かれがちなのは、ゼミによって所属する学生層が大きく異なってしまうからです。大学の教員は、自分のゼミや授業にいる目の前の学生を、学部全体の学生と混同しがちです。

今の大学で重きを置かれている卒論ゼミは、教員に授業内容を任せすぎているせいで、学部全体あるいは学年全体を見渡す仕組みがうまく機能しないことが多いようです。これは、卒業時までに学生全員を共通の育成目標(DP)まで引き上げるという「体系的で組織的な大学教育を展開」することと矛盾します。

モチベーションが低い学生が集まると、学びの雰囲気は悪くなります。この悪循環が成績不振問題や退学問題を引き起こしがちです。非常に優秀でオープンキャンパスなどで活躍する学生がいる一方で、一向に退学率が下がらない学部があれば、こうした構造的問題が存在しないかを疑ってみるとよいでしょう。

教員は「学生を主語」で考えているか?

続いて、教員の事例をもう一つ紹介しましょう。とある大学でミドル教員の先生方に、オープンキャンパスで高校生向けに学位プログラムの特徴を語ってもらうというワークを行ったことがあります。ある先生はわかりやすく、ある先生は親しみやすく、学位プログラムの特徴を語ってくれました。さすがだと思ったのですが、一点気になったのは、全員が、うちは○○学を学べる学部だとか、○○学を学んで○○という資格が取れる学部だという内容の説明だったことです。これは「供給側」の視点です。学生が4年間の学びの結果、どのような力を身につけて社会に出ていくのかという視点から説明してくれた先生は残念ながら一人もいませんでした。

「学生を主語にする」ことは、学部単位でDPを策定する時も、教員単位でシラバスの到達目標を書く時もやかましく言われています。それを先生方は理解はしているはずです。しかし、学部のコンセプトを短く高校生でも伝わるように説明してくださいと言うと、自分たちを主語にして語ってしまったのです。

「学生を主語にして考える」こととは、「学修者目線」で学位プログラムを捉え直すということです。「教学マネジメント指針」では次のように書かれています。

学修者本位の教育の実現とは、学位を与える課程(学位プログラム)が、学生が必要な資質・能力を身に付ける観点から最適化されているかという「学修者目線」で教育を捉え直すという根本的かつ包括的な変化を各機関に求めているものである。こうした要求に具体的に応えていくことは非常に大きな困難を伴うものであるが、各高等教育機関が今後もその社会的使命を十分に果たしていくためには、多くの努力を重ねる必要がある。

「教学マネジメント指針」太字は筆者

この箇所の意味の深さに気づくことこそ、学部長が危機感を正しく持っていることの現れではないかと思うのです。

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