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【仕事の話】定期的な会議は必要か?

海外の企業文化やトヨタなどの業務改革が浸透し、定例会議などを止めようという流れが、ここ数年広まってきています。
コロナ禍をきっかけにテレワークや三密回避が広まり、強制的に集まりにくくなったことも要因でしょう。
ともすれば、「会議なんて無駄だ」という振り切った意見もあるようです。

では、これまで行われていた定例会議というのは無駄だったのでしょうか。

前提:❝会議❞は必要だ

文章で100%は伝わらない

企業でもチャットアプリが普及し、SMSやLINEのような気軽なデジタルコミュニケーションができるようになりました。
ファイルデータを共有できるし、相手の時間を不必要に拘束することもない。履歴を後で見返すことができ、「言った言わない」の問題も起きにくいです。
ただ、前提としてこれらは文章でのコミュニケーションになります。(電話やビデオ通話はここではおいておきます。)
自分の言いたいことを文章で完璧に伝えられる人はどれだけいるでしょうか。noteを書いている今も、かなり頭を使いますが、この程度です。
書いたつもりでも相手がどれだけ理解し、共通の認識になっているかは分かりませんよね。

会議=会話をする場所

文章の限界を会話によってクリアできると思います。
思ったことをすぐに口に出せ、それに対するレスポンスも即座にできる。
文字起こしすると同じ反応でも、表情やタイミングで伝わったかを推察することができます。
変に文章にすることに脳を使わないので、テーマに集中できるし、思いもよらぬアイデアや意見が得られるかも。
コミュニケーションとしての会話の優位性は存在し、仕事の場でそれができるのが会議だと思います。

じゃあ、定例会議は?

定例会議自体が悪いわけではない

普段の会話を意識すればコミュニケーションが取れ、わざわざ定例会議を開く必要はないように思います。
しかし、話したい事・気になっていることって、明確なテーマとなり得るものばかりではないのでは?
普段の仕事で「ちょっと気になる」「こうした方がいいんじゃ」と思うことは多いですが、それを発言する場ってなかなかありません。
でも、定例会議があればそこで発言できませんか?

定例会議はチャンス!

私の場合、係会議を週1回行っていますが、これに向けて「何か話すことはないか」と意識しています。
場があることで、ミスや見落としの防止、小さくても業務改善に繋がる提案がしやすいです。
明確なテーマがないからこそ、誰もが平等に発言する機会を手にすることができます。
下位の職員ほど、自分の考えを伝えるチャンスだと思います。

❝無駄な会議❞はなくすべき

会議撲滅運動のきっかけ

最近の会議を止めようという流れは、集まること自体が目的となり、時間と労力(特に下位職員の)だけを奪う会議はやめるべきというものだと思っています。

私のところでは、以前は定例会議がありませんでした。
その結果、業務の進捗や処理状況が把握できず、業務のミスが発生しました。
これを防ぐために係会議を定例で行うことになりましたが、はじめはダラダラとしたもので、定時後にやっていたこともあり、帰りたいのになかなか終わってくれない状況が続いていました。

目的もない、読めばわかることを一から説明する、結局何も決まらない。
そういう会議はなくすべきだという考えには大賛成です。

会議はツール。要は使い方次第!

そこで、時間を朝一にし、30分から1時間で終わらせるように決めました。(守れてませんが...)
また、前日までに議題をリストアップしてもらい、それ以外を話さない、議題がなければ開催しないこととしました。
個人的にですが、資料も事前に共有しておき、ゼロスタートにならないようにしています。
まだまだ改善の余地はありますが、以前よりも効率的に各自が抱えていることを把握し、解決できるようになったと思います。

やめればいいってもんじゃない

業務効率化というと無駄の削減、引き算の考え方をする方もいると思います。
とても重要だと思いますが、何でもかんでも切り捨てるのではなく、やり方を変えることも効率化です。
定期的な会議が無駄だったのではなく、結局、それを行う人間が無駄なものにしていたのだと思います。
みんなが楽しく安心して仕事できる環境を作るために、会議もツールとしてうまく使っていかなければなりません。
そのためには、工夫を続ける、些末でも考えることを止めないことが大事ではないでしょうか?

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