年を重ねることのメリット

同い年とひとまわり下の同僚

勤務先の病院の地域医療連携室には、私を含め三人の職員が在籍する。私は社会福祉士、ほかの二人は看護師。うち一人は幼稚園からの幼馴染(病院のHPにその名前を見つけた時驚いた)で同い年。もう一人はひとまわり下、40歳そこそこでバイタリティにあふれる人物だ。

バイタリティあふれる40代

看護師一筋にやってきた40代、なんというか油がのっている。のりにのっている。看護師としてのキャリアを着実に積み重ね、病院内のことも知り尽くしていて、どこに働きかければ何が動かせるかを知っている。患者さんのことも親身になって動く。「この人がついていてくれれば大丈夫」と思わせてくれる包容力。休憩時間もろくに取らずに動きに動く。

主役と黒子

年下の同僚には感心してばかり、一方、同い年の同僚は慎重な仕事ぶり。何かと言えば「それは私たちの仕事ではない」と言う。一見、「やる気がない」ようにも見えた。でも4年目に入り、私の見る目は変わった。バイタリティあふれる40代の同僚は、仕事において自分を中心人物に据える。皆の真ん中で指揮を取る感じだ。一方同い年の50代の同僚は、黒子に徹する。

病棟看護師を主人公に

うちは200床弱のリハビリ病院で、連携室の職員も大きな病院のように多くない。退院支援は病棟看護師が中心で、地連は困難事例のお手伝いという位置付けだ。しかしバイタリティあふれる彼女は自分が中心の支援にしてしまう。患者さんの家族が相談するのは病棟看護師ではなく彼女だ。それはうちの病院の方針と違う。看護部長からもやめるように(中心は病棟看護師と)いわれても、彼女はやめられないらしい。

エネルギーが有り余った状態

私も40代の頃はあんなだったかもしれない。自分の力を発揮して、まわりに認められたかったかもしれない。それはそれで面白かったが、今は変わったと思う。褒められること、感謝されること、認められることよりも、ゴールに行き着くことが肝心なのだ。そのためにどうするべきかで動く。

地に足がついた

患者さんとずっと同じ姿勢で話していたのを、急に動くとどこかが痛んだりする。若い頃には想像しなかった体の衰えを感じる。結構早めに限界が来る。無尽蔵にエネルギーは出てこない体になったから、体力で乗り切ることができない。でもだからこそ、勢い任せでない丁寧な支援できるような気がしている。歳をとって、地に足がついてきたように思えていい。








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