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自己肯定ジャケット🧥

今年も“母の日”がやってきた。

自分をこの世に創造してくれた、唯一無二の存在だ。

母は偉大である。
と同時に
もちろん、父も偉大でもある。

私の家庭は、母子家庭の時代が長かったこともあり
母との関係はかなり屈強である。

「やっぱりイナバ百人乗っても大丈夫ぅ〜🙆🏻‍♀️」ばりに揺るがない絆で結ばれてると思う。わかりにくい。すまない。

共に様々なことを乗り越えてきた
最愛のパートナーであり、母であり父でもありそしてたまに姉で、妹であったりもする。

変幻自在だなぁ、おい。

そんな母に、常日頃から

『ただいま!てか、産んでくれてマジでありがとうねぇ〜!』

みたいなラフタッチで生命的感謝は伝えられない性分なので“母の日”や“誕生日”の
明け透けに気持ちを伝えても許される記念日系には、とてもありがたいと思っている。

そんな我、最高の母は、

どうしたことか
めちゃめちゃ自己肯定感が低い。
テコでも動かないレベルで低い。

本人もそれは気づいていて
何か自分の欠点と思い込んでるところをネタぽく、自らイジる。イジけながらイジる。

私が『そんなことないよ。』
と真っ直ぐに伝えても
「親からもそう言われて育った」
「お兄ちゃんにイジめられたから」とか
「学校の先生からそう呼ばれた」とか
原因エピソードは温泉街の湯水のようにふつふつ湧き出てくる。

何故そういう思考回路に陥ったのかを
理解しながらも
そこからどうにも抜け出せないのだ。

こういう話を聞いてると
幼い頃の思い出や、育てられ方って
ものすごく大事なんだなぁと感じさせられる。

そんな自分を自覚している母は
自分の様にならせまいと
私を出来る限り褒めて褒めて育ててくれた。

何かいいことをすると
『あんたはエラい!!』と褒め

テストでいい点を取ると
『あんたはエラい!!』と大声で叫び

『あんたはエラい!!』って言って?と私がお願いすると即

『あんたはエラい!!!!』

ネオバージョンを、私にプレゼントしてくれた。

これのおかげで
私は捻くれることなくとんでもなく真っ直ぐないい子に育ったし←は?


とても、感謝している。

むしろあまりにもそう言われるものだからか
自分の中の第3の目がむくむくと育ち

俯瞰から我を見て
(いや、私はそこまで良くなかったな)とか(全然ダメだななんてしょーもないんだ!)と
自分自身の対話で
冷静に自分にダメ出しすることが多かった。

母はよく自分の“声”を卑下する。

『ガラガラ声だからヤダ』
『ハスキーで恥ずかしい』

そりゃ、母の声はオペラ歌手の様な重厚感溢れる声色ではないし、
ピカチュウみたいなきゃわいい声でもない。
大好きな今井美樹さんみたいな爽やかな声色でも、ないかもしれない。

でも、だからなんだ?
何がいけないんだ?
私にはさっっっぱりわからない。

昔学校の先生から『ハスキー』てあだ名をつけられたというのがコンプレックスになってると話しているが

うん、だから、だからなんだ??
ハスキーだと誰かから貶されたり罵倒されたり陥れられることがあるのだろうか。

私は小さい頃からそんな“ハスキー”と言われる
母の声で
読み聞かせをしてもらい
子守唄を歌ってもらい
思いっきり怒鳴られ
超ド級に罵倒されて、育ってきたのだ。(天変地異レベル)

よって
私は、その声が、とても好きだ。

自己肯定感が失われるときは
たいてい、
愛のない他人から言われた一言だったり
なんの気なしに投げられた呟きだったりするものだ。

私も少し前、衣装を着て舞台上にいると
『ねぇちょっと、お尻、大きすぎ〜』と指摘されたことがある。

そうだ。私は、お尻が大きい。



…だからなんだ????

大きすぎたらこの作品が汚されるのか?
何か悪いことが、私の大きなお尻のせいで起こって皆殺しの血祭りにでもなるのか??

と言いたい気持ちを押し込め
『そうなんです〜大きいんです〜ごめんなさぁ〜い』と伝えた。

今それを伝えられたところで
明日の幕開けにまでに小尻に整形していけばいいのか?その代金は払ってくれるのか?

悪いが私は自分のお尻が好きだし、
骨盤が広いところも気に入ってる。

私のこの大きなお尻で
より一層セクシーに踊ってやろうと思った。

でも人は誰でも
こんな私みたいに、根っからひん曲がった性格←真っ直ぐ育ったんじゃないのか
ではないと思うから

言いたいことは

大切な人に接するように
自分自身のことも大切に扱ってあげて欲しい

ということだ。

“母の声”はこの何十年も
ずっと母のそばにいてくれて、
母のために声帯をすり減らして頑張って発してくれているんだから
嫌いとかはさておいて、ヨシヨシくらいしてあげてほしい。

そんな嫌い嫌いと言っていたら
きっと“母の声”は悲しんでると思うから。

心はワレモノ。体はイレモノ。

この私の体は、私だけのためにあるわけではなくて
誰かのためだったり、もちろん自分のためでもあるけど。
だからそんな自分で自分を
虐めないであげて欲しいな。

自分を卑下したところで、誰も喜ばないからね。

ここまで一緒に歩んできてくれた自分自身のことを心底可愛がってあげて欲しい。

そんなことを、思ったのでありました。

ねぇ

すんごい長くなりすぎて引くんだけどwwwすまなんだ。

エマりゑtherapyのお悩みでも
自己肯定感をどうしても持てないと悩む人がかなり多いから、今日はちょっぴり語ってみました。

私も常に無くしてしまうんだけどね
でも、ヨイショって、着るんだよね。
自己肯定感っていうジャケットを着てみる。
そうしてるうちに段々馴染んで
当たり前の制服みたいになってきたりもするから。

無理矢理、自己肯定感をあげよう!ではなく
自己肯定感あるフリをして、大きな声で自分自身に

『あんたはエラい!!』

と投げかけて欲しいな。

てことで、
そんな母の日に感じた想ひをツラツラ綴りましたとさ。

そして最後に

我、最高の母親へ

あんたは、エラい!!!!!

私、まりゑ、はい。可笑しな人間です。分かってます、ええそうですよね。だもんで、そんな可笑しな人間と一緒にいたら絶対人生に少しの可笑しさをプラスできます。 一家に一人、まりゑ。いかがですか? ここで様々なことをシェアし、ありったけ自分なりの表現で皆様に還元していけるように努めます。