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リプトンへの抵抗

コンビニには様々な紙パックジュースが色とりどりと並んでいる。私は、紙パックジュースが大好きだ。美味しいし、捨てやすいし、なにより値段にお得感がある。


だがしかし、皆様は、お気づきでいらっしゃるだろうか。
その内容量が明らかに数年前から減っていることに(体感では8年前くらいから)


そして、種類。昔は棚に二列あったのが当たり前だったのが、今ではほとんどのコンビニが一列。
代わりに並んでいるの、はスタバやドドールなどの高級感のあるコーヒーやら、ザバスのプロテインやら、なにやら飲まずに持ってるだけでお洒落に見える飲料たち。

彼らはよく季節に応じた装いに代わったり、きらびやかに見える衣装に身を包んでいる。
そしてそんな彼らを、街なかで飲んでいる人の半数もまた同じように装飾過多な人に見える。というか、よく見る。だから、彼らの半数は中身が入っていないのにストローに空気圧を送り続けていると私は睨んでいます。

だって、街なかで紙パックのピルクルや雪印のミルクコーヒーを飲んでる人みないですからね。でも、誰も買ってないわけがない。じゃあ、買った人はどこで飲んでいるか?

僕のように、隠れキリシタンよろしく小部屋でチューと吸っているのでしょう。僕は最後、パックを傾けて紙の髄まで吸っています。

話がそれました。
そんな紙パック絶滅時代においても私は、リプトンのミルクティーをずっと信頼し、ほぼ毎日飲んでいました。
理由は2つ。美味しいのと、値上げをしないところ(量はひっそり減らしてました)
相次ぐパックジュース不況のせいなのか、他のものは安くても126円とかに値上げしていってしまったので(それが明らかに売上減を加速している)買う気は起こりませんでした。
おそらく嘘か真か、原価の高騰などもあり、仕方ない部分もあったのでしょう。
しかし、そんな紙パックジュース荒波の中でもただ一人、リプトンはイカダで108円を守り続けていたのです。スタバやドドールがジェットスキーや自家用クルーザーに乗って、タカナシ乳業でさえもバナナボートに乗っているような時代の中でさえも。

私は途中からミルクティーの香りを味わっていたのではなく、リプトンの心意気を味わっているということに気づきました。心意気という味のエッセンスは通常頑固おやじのラーメン屋か、浅黒じじいのカウンター寿司だけかと思っていましたが違いました。

私はリプトンミルクティーの香りを鼻で味わい鼻腔に閉じ込め、また鼻から放出するという自家発電による贅沢時間(ラグジュアリータイム)を満喫していたのです。

ですが、しかし、別れは突然やってきました。
ある日、コンビニにルンルン気分で入ると、リプトンミルクティーはリプトンロイヤルミルクティーと名前を変えて138円に値上げをしていたのです。

それは「恋愛や男なんて興味ありません、え、下ネタとか辞めてくださいよ!」と言っていたアイドルとか女子アナが、イケメンとのお泊り記事を撮られるやいなや「○○さんとは友人を通じて知り合いました。いつも刺激をくれる存在です」と言ったようなものでした。

私は思いました。
「リプトン、お前もか」
と同時に、
「今までありがとう」
その言葉もつぶやきました。
なぜなら、もう買わないことがわかっていたからです。
「ロイヤル」とは名ばかりでただの値上げの言い訳にしかないということも。
どんな商品でも、プレミアムだとか、ロイヤルだとか抗菌だとかつけるだけで、あたかも値上げの免罪符を得たかのように10円、20円は当たり前、場合によっては100円の値上げを行う。
我々はバカなのでしょうか?
しまいには、店に並ぶ商品は全てそのような免罪符の形容詞がついた商品ばかりになってしまいます。
改良しました=値上げ許してね、貧乏人共。
なのです、しかもその改良もおそらく成分量をバレない程度に水増しした程度なのです。
ひどい場合は、全体量を減らすことで、成分濃度増量! とかいうこともあるかもしれません。いや、それはさすがにないとは思いますが、未来はあるかもしれません。


またまた大きくリプトンから離れてしまいましたが、結局そのような意志で私はリプトンにロイヤルがついてからの数年、一切買いませんでした。
変わりに午後の紅茶や紅茶花伝を飲んでましたが、やはりリプトンとはすっきり感が少し違います。

雨の夕暮れ、リプトンに太陽を見た日もありました。

上司に怒られたあの日、リプトンが両腕を広げて「ばっちこい」ポーズをとっているようにみえた日もありました。

でも、それに甘えることは、自分がちっぽけな人間に見える気がしたのです。

だから、ずっと意地を張り続けていました。 

ただある日、僕は何も考えずに、ただただリプトンが飲みたいと思い、ロイヤルがついただけのミルクティーを手に取りました。

家に帰って、飲んで思いました。

「あぁ、俺はなんて無駄な時間を過ごしてきたのだろうか」

ただやはり「ロイヤル」な部分は感じませんでした。

しかし、その虚構のロイヤルに30円ほど多く払ったという事実より、失われた時間のほうが重く感じました。

もちろん、値上げは反対ですし、その土壌をつくっている仕組みにも納得はいきませんが、リプトンを飲むとその怒りのような感情も少し落ち着きます。

ほんのり甘く、すっきりとした喉越し。

もしかすると、この地球に降り立ち、母親の母乳を飲んでいた僕は、そのとき同じような味を感じていたのかもしれません。

ありがとう、リプトン。

ありがとう、お母さん。

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