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四人部屋に三週間入院するので、カーテンの向こうの会話を盗み聞きして日記にしてみました

 はじめに

 ある三十半ばの男がいました。その男はバナナが好きでした。プリンが好きでした。でもバナナプリンは特段好きではありませんでした。
 その男は十年以上勤めていた会社を辞めました。理由は色々あるらしいですが、結局は退屈だったことが原因らしいです。生意気にも仕事に飽きたのでしょうか、バナナは飽きないのに。
 辞めて何をするわけでもなく有給とバナナをむさぼる男。惰眠に明け暮れソファでふて寝。
 男が外出するのは、買い物と月一で行っている趣味のフットサルくらいのものでした。細かい話をすればコンビニの収納代行で水道代払ったり市役所に退職後の手続きをしに行ったり、色々あるらしいですが。
 フットサルをしているときは全てのことを忘れることができます。考えなくてもいいのです。その試合の中で起こっていること以外は。ですが、その男はそのフットサルの試合中に大怪我をしてしまいました。右膝前十字靭帯断裂。手術後入院三週間、全治六ヶ月と言われる怪我です。退職して間もない頃、もちろん次の転職先も何も決まっていないときでした。突然やってきた、人生のハーフタイム。
 その男は入院生活で何を考え、どう過ごしたのでしょうか。その男に聞いたのですが、最初に思ったことは意外にも「エッチな看護師さんいないかな」だったみたいです。
 ちなみにその男というのは、もちろん私です。さぁ、男の入院生活が始まります。人の話を盗み聞きしている最低の男の鬱屈と屈折に溢れた心情を盗み見してください。
※本編に出てくる人物名は全て仮名です
※登場する看護師さん等、職業や役職でお呼びする際の敬称は省いております。心では、もちろん皆様に“さん”をつけております。


一日目

 大仰な荷物の入ったスーツケースを連れて、僕はしばらくお世話になる病院に降り立った。前十字靭帯断裂手術をするといっても、手術するまでは比較的自由に膝を動かせるので、車の運転も余裕だ。むしろ手術をしたあとは、何ヶ月も運転できないらしい。本末転倒な気もするが、将来的には絶対手術したほうがいい、と主治医に言われたので仕方ない。人生の終盤に動けなくなり、若い頃の選択を後悔するほど辛いことはないだろうから。
 愛車のデミオの扉を普段より強めにバタンと閉めて、病院を見上げた。
「あれが、お世話になる病室か」
まだ何階に入院するかも知らないのに、なんとなく建物をぼんやりと見つめた。母にデミオを預けて僕は慣れないスーツケースを鳴らし受付へ向かう。なぜか主役の気分になっている自分に気付く。何を考えてるんだ、僕は。主役は主治医の先生だ。頑張ってくれるのは病院関係者の皆様方。僕は黙って寝ているだけなのだ。施しを受け、生かさせてもらうほうなのだ。少しの反省をしながら、同日入院のおじいさんと一緒に看護師の指示を待つ。おじいさんにの横は家族が三人。
「寂しなったら電話してきーや」派手な紫色のズボンを履いたおばあさんが言った。おじいさんとその息子は何も言わない。
「何か答えてやれよ」と思ったが、それは愛される者への嫉妬が源泉だろうか。
 看護師に案内され、身長を測ると一センチ縮んでいた。たぶん昔は少しバレない程度に背伸びをしていたことに気付く。
 退化と成長と不安と嫉妬。
 この数時間の間に感情が入れ混ぜになっている気がする。
 不安を感じながら入室。担当看護師のお姉さんとおばさんの間でうごめいている気配を見せる方が挨拶。同部屋には男が三人いるらしい。入って右奥が僕のベッドだ。他のベッドとの境には些細なカーテン。
 横になると隣のベッドから「プゥ」という景気の良い音。放屁だ。
 思わぬ汽笛で僕の三週間の入院生活は幕を開けた。やけに耳に残る放屁の音。大きなパラマウントベッドに残され一人思った。 「エッチな看護師さんいないかな」


二日目

 今日の昼以降に手術をすると、目の少し離れた看護師に告げられる。目は少し離れているが感情は薄い。いや感情が薄いから目が離れたのだろうか。若いのにもったいないと思った。昨日の夜から絶食している僕でももう少し感情はあるぞ。OS-1という所ジョージが宣伝してる飲み物のみを飲む許可を得る。夏は熱中症対策、冬はウィルス感染対策。結局、年中飲んでくれということか。そういえば、カレーもあえて夏に食べようよと手を招く宣伝をよく見る。あぁ、カレー食べてぇ。
 夕方を過ぎても手術に呼ばれない。不安がトランプで作ったタワーのように不安定に積み重なっていく。主治医が、僕の前の手術の人に予想以上に体力を摩耗して、僕のときに疲れで手元が狂って膝の中の大事な何かを切ってしまったらどうしよう。麻酔の薬と何か毒性の薬を間違えて投与されたらどうしよう。あー、つけ麺食べてぇ。寿司食いてぇ。ゲームしてぇ。不安と欲求がない混ぜになったまま窓から夕焼けを見つめる。
「奥村さん、呼ばれましたので準備しましょう」
 特徴のない同年代の看護師が呼びに来た。さきほどあえて口にしなかった僕の第四の欲求は萎みかかっていた。僕は緊張してても、卑猥なことを考えてしまうのか。そりゃ葬式でも笑える人がいるのだから当然か。
 手術室に降り立つと、母がいた。
「頑張るんやで」
 そう言って、今まであまり見たことのない顔をしていた。やっぱり僕も頑張らないといけないのだろうか。手術室に入ると、走馬灯のように大勢の手術着を着た人達が僕を迎えた。その一番奥に主治医の先生。ドラマだ。映画だ。それのワンシーンだ。
「よっしゃ、頑張ろうな」
主治医が言った。やっぱり僕も頑張らないといけないんだ。頑張れ僕。僕の身体。
 ベットに横になり、麻酔担当の人が僕の口周りに何かを被せた。チクチクとする変な感覚。
 その感覚を最後にしばらく記憶が消えた。どうやって頑張ればいいのだろう、との思いを背に。
 目が覚めると、ちょっと知った天井が見えた。さっきまでいた病室だ。よかった、目が覚めた。頑張ったんだ、きっと。右膝に変な感覚はない。ただ何かとぐるぐる巻だ。そりゃ動かない。
「起きましたね」
近くにいた小太りの看護師が喋った。
「今日中におしっこしてくださいね。この尿瓶に。今日の夜中までに出ないと管を通さないといけないので」
 ペニスに管を通すということか。絶対嫌だ。かと言って、尿瓶に尿をするのも嫌だ。そもそも今何時なんだ?教えてもらうとまだ深夜までには猶予があるので安堵した。
 OS-1以外は飲めないのか、と聞いたら、紅茶のストレートティとかレモンティーだったら飲めますよ、と言われた。幸運なことに僕はレモンティーを持ってきていた。迷わず飲む。中学一年のときに人生で初めて飲んだレモンティーの次に美味しいレモンティーだった。やはり食べ物は状況で美味しさの変動が大きくある。その晩、尿は爽快に出た。尿瓶の満タンまであと少しだった。
「レモンティーは利尿効果高いんですよ」
 よりによって、美人でモデル風の看護師さんにそれを教わり、レモンティーより黄色い尿瓶を持っていかれた。
 それを快感とするには僕の麻酔は切れすぎていた。


三日目

 美人モデル風の看護師が前の晩から引き続き担当だった。ふと尋ねる。
「僕のいびき、廊下に聴こえてませんでしたか?」
自分の病状より何を心配してるんだ僕は。
「聴こえてませんよ」
と、本当なのか、気を使ってくれてるのか、よく分からない雰囲気で答えるモデル風看護師。名前をちらりとうかがう。森嶋さんというらしい。声が低くて顔が綺麗なので、ついキツい印象に見えて構えてしまうが人当たりは優しそうだ。しかしそれはすぐあと取り消さざるを得なくなってしまう。森嶋さんが隣のベッドのおじいさんに切れている。どうやら勝手に自分の持ってきたサプリを飲んだようだ。さっきまでの優しい森嶋さんは何処へいったのか。われのタマ取るぞ、と言わんばかりの剣幕でおじいさんに迫っていた。僕は布団の中でギュッとそれを握った。
 この空間には年功序列など存在しない。それを確信たらしめたのは、僕の向いの大学生くらいの青年と楽しそうに喋る森嶋さんを見たからだ。見た、といってもカーテンがあるので姿が見えるわけはない。だが、それが見えるくらいに楽しそうなのが伝わったのである。嫉妬だ。隣からまた放屁の音が聴こえた。そうか、おじいさんも怒っているのか。初めて隣人と一つになれた気がした。
 どうすれば、森嶋さんの視線をあの男からこっちに向けさせることができるだろうか、と自問していると、「すいません」と男性の声。カーテンを開けたその男性はリハビリのトレーナーだった。イケメンで腕筋も隆々。お姫様抱っこでも、この腹が出た中年をおぶっていけそうだが、車椅子に乗せられリハビリ室まで連れて行かれた。その日は、これリハビリなの?というような簡単なストレッチをしただけだった。拍子抜け。部屋に戻るとお腹に違和感を覚えた。これは、便意か。忘れていた。なぜか無意識に我慢しなくては、と思った。しかしそのときまた聴こえた隣人の放屁の音。
「楽になれ。恥を捨てろ。でないともっと恥をかくぞ」そう言っているように聞こえた。
そうか、万が一漏らしてしまったら、残りの入院生活は終わってしまう。何をしても入院三日目で便を漏らした哀れな男、という印象が残ってしまう。無意識でナースコールを押した。そして祈った。森嶋さんが来ませんように。コインは表が出た。初見のおばさん看護師だった。ほっぺたがピンク色のおばさんだった。
「大きいほう?」と聞かれたので僕は「はい」とうなずく。それについての返答はなく、僕は車椅子ごと個室のトイレに突っ込まされた。
「終わったら呼び出しのボタン押してくださいね」と言われて、一人賢明に便の態勢を整える。こんなにこの行為をすることがしんどいと思わなかった。動かない右脚は箱の上に置いておかないと痛い。左手には点滴。血が少し逆流している。事後、紙でお尻を拭くだけでも支える左脚が悲鳴を上げる。身体中にストレスを感じながらも、看護師さんに連れられて部屋に戻るときには僕の心には一つ大きな陽が差していた。
 この日の感情は忙しかった。昨晩はなんともなかったのに、今晩はやけに腰が痛い。ずっと同じ体勢で寝ていたからだろうか。筋が痛い気がする。それに加えて脚も痛いのだからたまらない。寝れない。脚を庇うと腰が痛い。腰を庇うと脚が痛い。王手飛車取り。もちろんされる側だ。どちらかを犠牲にしなくてはならないが、盤上ではなく自分の身体でおこなわれるそれはひどく苦しく摩耗する。夜中に本日二回目のナースコール。最初、ほっぺたピンクの看護師だけだったが、僕の状態を見てすぐに応援を呼んだ。来たのは男性の若い看護師。二人がかりで僕をベッドの上の方に持ち上げて、ベッドの角度を調整してくれた。僕はまな板の上の鯉だ。ベッドの上のおっさんだ。鯉になると自然と痛みがマシになった。ありったけの感謝を小声で述べて目を閉じた。便意よ、尿意よ。今宵はもう来ないでくれよ、と切に願った。

 

  四日目

 昨日は結局、痛みでまともに寝れなかった。だが、朝方ベッドの角度をほぼ直角にして座ることによって、一時間ほどは寝れた。その姿勢だと腰の痛みがだいぶ抑えられるのだ。それはまるで様式のトイレに座っているようだった。だから個室トイレに入ると人は落ち着くのだろうか。僕は洋式トイレ設計者の心理的アプローチの真髄を見た気がしたが、そこまで大げさなことでもないだろう。
 しかし、急に「入りますね」の声とともにカーテンが開き、若い茶髪の看護師が入ってきた。
「体温測りまーす」
「回診来るのでサポーターと包帯とりまーす」
 なんて、気さくな娘なんだ。
気付けば「ハイハーイ」と彼女にテンションを合わせている自分がいた。
 すぐに回診の医師が来た。少し患部を診てすぐに勝手に頷いて帰っていった。その割には取り巻きが大げさなほどいた。四、五人いただろうか。自分もたいがい大げさな男にだと思うが、完敗だ。あの無表情の取り巻きは何のために来たのだろう。すぐに茶髪の看護師が来て愛想良く包帯を巻いてくれると、さらにそれを思った。名札を見る。小寺さんというらしい。目は細く美人とは言い難いが、何より愛想が良い。笑顔を見るとこっちも笑顔になる。単純な構造だ。この病院はこんなに様々な方法で僕を癒やしてくれるのか。
 朝食のオムレツを見て、さらにその思いは増した。昨日までは完全な病院食といった無味無臭な料理だったが、今日から普段のような料理が出てくるらしい。牛乳を久しぶりに牛乳のまま飲む。美味しい。忘れていた、牛乳自体のポテンシャル。こちらも久しぶりに食べる食パン。ジャムが美味しい。なぜ僕は普段菓子パンばかり食べていたのだろう。彩り緑な気持ちでその日は幕開けだ。幸先が良い。
 リハビリトレーナーのお兄さんとも少し打ち解けた。昨日は二人共警戒していたのだろうか。少なくとも僕は相手がイケメンだと少し距離を置いてしまう。反省。菅根さんという、そのトレーナーは、自分の目標をSNSに書く人が嫌いらしい。僕と全く一緒だ。昨日よりリハビリに身が入る気がする。やはり同じ感覚を持った同性の喋り相手というのは大事だ。
 昼ご飯は麻婆豆腐だった。汗を流したあとに食べる麻婆豆腐の美味しさといったら。僕は、仕事をしていたときより気持ちが充実している気がした。なんか、夢とか目標も生まれそうだ。いや、駄目だ。それが生まれたらSNSに書いてしまうかもしれない。書いてしまったら、こんなにご飯が美味しくないはずだ。
 辛いことは最後にやってくる。その日の夜も腰と脚の痛みが止まらない。痛み止めは効かず、身体をくねらせる芋虫になってしまった僕。しかし、なんの意地か、気遣いか、二日連続でナースコールは良くないと思っていた。ひたすら芋虫になった僕はベッドの横の手すりに身を預け、痛みを耐え忍ぶ。長い人生、我慢も大切だ。今日、僕に与えてくれた充実の気持ちが我慢を与えてくれた。ナースコールはどこだ。意外と遠い。いや、そもそもこれ、押そうにも押せないんじゃないか。遠くて。真っ暗であまり見えにくいし。迫りくる恐怖の闇に、僕は付き合う決心をした。朝になれば痛みは治まる。その希望を頼りに、僕は手すりをずっと震える手で持ち続けた。痛みに耐えれますように。目標を心のSNSに書いた。

五日目


「変な格好で寝てるからやわ〜」
夜通し、痛みを耐え忍んだ芋虫に朝から初見の看護師から冷たい一言が飛んだ。よく見ると、この人もちょっと目がお離れになっている。初日にもお離れの方はいたが、こちらの方はお母さん世代だ。「仕方ないじゃないですか。変な格好にならないと、痛みに耐えれないんですよ」という反抗は朝の痛み止めの薬とともに飲み込んだ。こっちは必死に痛みに耐えたのに、なんて嫌味なやつだ。人を不快にさせるには一言あれば十分のいい例だ。さらに、その看護師は向いの大学生とはケタケタ笑いながら楽しそうに話していた。良いことだとは思うが、その大学生は誰にでもいい顔をしている。だからあの看護師のように芋虫への態度と大きく差別する輩が出てくるのだ。こんなところでも嫉妬の心が出てくる情けない僕。やはり睡眠が不足しているとイライラするという学説は間違っていない。聞かなきゃいいのに、まだ話を聞いていると向いの大学生は二十三歳らしい。彼のような爽やかな男が、人生で一番モテる年齢ではなかろうか。声からしても格好いい顔が思い浮かぶ。それに引き換え、僕は三十五歳の芋虫のおっさん。立ち向かえるわけもなく、白衣の天使との愛憎劇はどうやら果たせそうにない。そう、本当の勝負は彼が退院してからだろう。僕は最後まで諦めない男なのだ。
 隣のベットが何やら騒がしいと思っていると、どうやら放屁の隣人が退院するらしい。サヨナラの放屁が聴けるかと思ったが、何も鳴らなかった。開放感に溢れた今は出ないのだろうか。窮屈さを感じるとそこから抜け出そうと放屁をするのだろうか。なら今出ないのは納得だ。
「君も早く出ていけよ」向いのカーテンの奥に心で語りかける。今日の昼ご飯のメインディッシュは焼き魚だった。昨日の麻婆豆腐に比べると物足りない。失礼ながら今日はハズレ回か、と肩を落としていると小寺さんがやってきた。
「今日はシャワーの日ですよ」
僕は早々に前言を撤回した。
「え、この漫画好きなんですか〜」
脱衣場で、僕のアメニティグッズの袋のデザインを見て小寺さんは喋りかけてきた。なんて自然な子なんだ。僕も負けじと軽口を叩いた。初めて知り合いでも彼女でもなく、夜の店の嬢でもなく、家族でもない人の異性の前で裸になった。もちろん心ではなく身体的にだ。冬というのもあってか、僕の鼠径部のそれはかなりお粗末なものだった。それでも軽口を叩いた。いや、むしろ恥ずかしかったから叩いたのかもしれない。分かっていたが聞いてしまった。
「え? もしかしてお姉さんが洗ってくれるんですか?」僕はそのとき酩酊状態のように言葉の弁がばかになっていた。
「ここ、そういうお店じゃないんで」笑顔でそう返してくれた小寺さんにお風呂場にぶち込まれて扉を閉められる。
 鏡は曇っていたが、自分が異様ににやけているのは湯気越しでも分かった。謎の達成感。しかし右脚をほとんど動かさず身体を洗うのはかなりの徒労感だ。右足はいくら手を伸ばしても届かない。右脚はサポーターで覆われていて洗えない。しかしそんなことはどうでもよく感じるくらいの満足感。これは数日溜まった身体の垢を流せる喜びだろうか。それとも別だろうか。答えは排水口に流れていったが、シャワーがこんなにいいものだとは思わなかった。トイレにシャワー。こんなものに史上の喜びを感じるときが来るとは。 洗い終わったあと、看護師を呼ぶ紐を引っ張った。扉が開いた瞬間、軽口を叩こうと思ったが、本能的にそれは避けた。扉を開けたのは小寺さんではなく知らないおばさんの看護師だった。やはり、人間の本能というものは大したものだ。
 リハビリに行くと、もう松葉杖で歩行する練習をしてみましょうと言われた。たしかに歓迎だ。松葉杖があればトイレに一人でいける。もう誰かに気を使わなくても盛大にトイレで自分を表現できる。しかし思ってたよりも難しい。それでも菅根さんは、上手ですね、と褒めてくれた。嬉しい。だが、一人でトイレに行く許可は明日最終チェックしてからにします、とのこと。先が見えると、人は頑張れる。その夜のご飯はまた焼き魚だった。そろそろ明日は魚料理じゃないですよ、という先が見たかった。
 夜の担当看護師は初めて見るおばちゃん。眼力が強い。なにわのおばちゃんといった感じの人で、こういう人は多少失礼を言っても笑って許してくれそうだから気が楽だし、喋っていて楽しい。それでいて、トイレについてきてもらうのも気を使わない。だが、かと言って、トイレに行くためにナースコールを押すと、別の看護師が来たりする。実際来た。いったいこの病棟には何人の看護師が常駐しているのだ。これでは森嶋さんや、小寺さんに当たる確率が下がるではないか。
 松葉杖を使う練習をしながらトイレに向かっていると、別のおばさん看護師に「なんか恐いわ」と言われた。松葉杖の使い方に安定性がないとのことだ。菅根さんは褒めてくれたのに。だが途中、茶髪で細くて目の大きい美人看護師を見た。この病棟は沼だ。なかなか奥が深い。僕は凛々しい顔で真摯に松葉杖を使って歩行した。隣で姑のように小言を言ってくる看護師には負けない。部屋に戻ると、昨日ほど脚と腰の痛みはないがまだ眠気を妨害するだけのものはあった。良いことがあったら悪いこともある、見本のようだ。昨晩ほど手すりを強く掴まなかったがそれでも芋虫の状態になった。入院するまでは、まさかベッドに寝ることが一番辛いことになるなんて、思ってもみなかった。しかし、すでに僕は痛いときに、自分なりの楽になるベッドの角度を見つけ出していた。少しずつ好転していくのが分かる。あとは上がるだけだ。僕はベッドの角度をゆっくり上げていった。


 六日目

 空きベッドだった隣についに新人が入ってきた。初めての後輩だ。と言っても、またおじいさんのようだ。気さくに看護師さんと話をしている。どうやら娘が看護師らしい。それを話の取っ掛かりにしているように聞こえる。しかし、対応看護師のリアクションは微妙なものだった。そっけなかった。「えー。私達と一緒じゃないですかー!」とまで興奮して応えてやれとまでは思わないが、せっかく出した話の菓子折りを目の前で捨てられたようで、少しおじいさんが可哀想に感じた。 娘さんよ、今度業務外かもしれないがお父さんを癒やしてあげてくれ。
 だが、人の心配ばかりしてる場合ではない。今日もリハビリが待っている。しかも一人で松葉杖使う許可が出るかどうかの審査があるのにも関わらず、昨日もろくに睡眠ができていない。おそらく五日連続三時間以下の睡眠ではなかろうか。しかし、その割には元気だ。知らないところに来た緊張感やアドレナリンがそうさせているのだろうか。ということは、やはり人間というのは精神の疲弊のほうが身体にくるのかもしれない。だが、リハビリ中に菅根さんと喋るのは楽しいので、それで精神的ストレスは解消できている。世代が僕よりはちょっと下だけど話は合う。好きなゲーム、漫画、スポーツ、音楽。日頃の鬱憤を吐き出すように喋っていた。肝心の松葉杖歩行審査も見事に合格をもらった。「あの、トイレいきたいんですけど」とナースコールで言うことはもうないのだ。行きたいときに行き、したいときにする。全てが監視された部屋の中で、やっと一つ隠れて出来る喜びを得る。元々は自分が自在に出来ていたことなのだが。人生の後半の喜びは、こういうことの繰り返しでしかなくなるのであろうか。
 一度も触れていなかったが、僕のベッドから対角線上の一番遠いところにいる患者は向かいの大学生よりさらに若そうな青年、というより少年に感じる男子だった。高校生くらいだろうか。ずばり、愛想が凄まじく悪い。思春期特有のやつであろうか。僕はもちろん見たことも喋ったこともないが、看護師が可哀想なくらいに冷たくされてるのを見る。喋り声もほぼ看護師さんの声しか聴こえないし、彼が喋るのは沈んだ声で二デシベルくらいの音量の「はい」くらいだ。だからその隣の大学生がより映えるのだろうか。
 この日の夜の担当は小寺さんだった。胸が踊った。そして驚いたことに、小寺さんはその無愛想な高校生とも、きちんと意思疎通を測っていた。他の看護師は誰もが悪戦苦闘していた、貝のように自分の殻に閉じ籠もった彼に。僕は彼女を尊敬した。もっと仲良くなりたいと思った。しかし、そういうときほど変に力が入ってうまくいかないものである。最後に僕のとこに挨拶にきたが、おそらく僕との会話が一番盛り上がっていなかった気がした。恥ずかしく申し訳ない気持ちになる。
 だが、消灯前もう一度彼女が来た。もう一度チャンスをくれるのか。「トイレとか行かなくていいですか?」と彼女。僕は一人で松葉杖でいける事実を隠して「行きます」と言い、ついてきてもらった。別に尿意も便意も何もなかった。あったのはもう少し喋りたいという欲求だけ。誰もいない廊下。やはりリラックスできる。会話がすすむ。誰にも聞かれないというのはやっぱり本来の自分が出せる。楽しい。そうか、僕は皆の会話を聞きすぎていたのか。だから自分も聞かれているという逆作用が生じて、部屋の中ではうまく喋れなくなる。部屋に戻ると、夢見心地だった。この日、僕は久しぶりに六時間寝ることができた。痛みもひいていた。


 七日目

 久しぶりの熟睡で気分は晴れやか、のはずだったが、朝の担当は目離れおばさんだった。また寝ている姿勢のことを、嫌味ったらしく言われた。僕のことを考えているというわけでなく、ただただバカにしているという言い方なので腹が立つ。こっちは何も迷惑はかけていないというのに。そして僕との話もそこそこに、また向かいの大学生とは楽しく談笑。気付いたのだが、この人は必ず最後に大学生を回るようにしている。メインディッシュは最後に置いておくタイプだろうか。ショートケーキのイチゴは、一度のけて最後に大口を開けて食べるのだろうか。悪かったな、スポンジカステラおっさんで。そして、スポンジカステラごめんなさい。いや、スポンジカステラすら畏れ多い。むしろケーキの形を崩れないようにする、周りのセロファンみたいなものだろうか、僕は。
 隣のベッドが騒がしいと思ったら、もうおじいさんは退院のようだ。看護師の娘さんの話は三人くらいにしていたが全員に食いつかれていなかった。何を思い何を感じ、退院するのだろう。僕は、せめて心の中で「おめでとうございます」と言った。
 空いた隣のベッド。だが次の患者はすぐに来た。ふさわしくない言葉かもしれないが大盛況だ。また高校生の男子だった。よく通る高い声だ。次の四月からサッカーの指定校推薦で大学に行くらしい。仕事を辞めて趣味のフットサルで怪我したおっさんとは違う、未来あるセミリタイアだ。いや、彼にすればピットイン程度のことかもしれない。だが、これで部屋内で一番の高齢は僕ということになる。しかもダントツで。恐れていたことが現実になった。女性は、おばさんが若い娘に嫉妬するという話はよく聞くが、男も同じなのだ。若さに嫉妬するのは人間の感情としては避けられないこと。あのころに戻りたい、といくら思っても僕達は戻れない。自分もそんな時代があったはずなのに青春時代を謳歌する若者に羨むのはなぜだろう。自分もその権利を持っていたはずなのに。謳歌できなかった自分への悔いがスパイスとなって嫉妬を引き立たせるのだろうか。そして僕はトイレに立つ。この日、初めて一人でトイレに行ったが、あまりの快適さに五回ほど行った。僕はトイレを謳歌した。おじいさんがこの姿を見たら羨むのだろうか。だとしたら、若さというものに勝つ術はない。


 八日目

 熟睡するのが板についてきた。すると気になるのが自分のいびき。今日までの人生での何人かの証言で分かっているのだが、僕のいびきはかなりうるさい。昔、彼女と北海道に旅行に行ったとき、彼女はドラッグストアでこっそり耳栓を買っていた。今なら、そこに愛はあるんか?と聞いてしまうかもしれない。そんな自覚あるいびきなのに、ここでは誰も不満を言ってこない。おそらく愛も耳栓もないはずなのに。熟睡した朝だけは、申し訳ございませんでした、と心で謝ることにしよう。看護師が他の人に「昨日は寝れましたか?」と聞いて、患者さんが「寝れましたよ」と言っているのを聞くと、看護師以上に僕は安心している自信がある。
 その日の朝はまた初顔の看護師。若い。小寺さんと同い年くらいではないか。細長い目の小寺さんと違って彼女はまん丸で小粒な目。サンリオのポチャッコのような目だ。髪は黒。名前は桜井さんというらしい。愛想はかなり良かった。喋ると楽しい人が増えていくのは嬉しいことだ。最悪の例えかもしれないが、カードゲームで手札に良いカードが揃っていく感覚。僕にロイヤルストレートフラッシュは出せるのだろうか。出たら「人生とはポーカーのようなものだ」とか格好つけて言ってしまうだろうか。それとも所詮はスリーカード止まりだろうか。
 今日のリハビリでは松葉杖でかなり歩いた。かなりしんどいが、その分終わったあとの菅根さんのマッサージとお話は楽しい。その最中、大きな物音が鳴った。音のほうを見ると、松葉杖で歩行訓練していたおばあさんが転けてしまったらしい。僕は人をジロジロ見るのが嫌いなのでなるべく目をそらしていたが、他にトレーナーが近くにいるとはいえ、菅根さんは我関せずの顔をしていた。
 つい余計な気を利かせて「行かなくて大丈夫ですか?」と聞いてしまう。すると菅根さんから予想外の答えが返ってきた。「皆で行ったら、あの人恥ずかしいでしょ」と。素晴らしい考えだ。僕も自分が転けたら、そうして欲しいと思っていたところだった。周りにはもうトレーナーがいる。だから今自分が行くことは特別助けにならないし、その患者さんを辱めることになる。つまり彼は、自分の親切心のエゴで動かないということだ。それだけで、この人は信用できる、と思った。やはり患者とトレーナーのような関係の中には信用があったほうが良い。患者と看護師もその限りではないはずだ。
 その夜の担当が挨拶に来た。目が離れ気味のおばさんだった。僕達に信用はない。信用を得るというのは難しい。だが失うのは簡単。日本の大学の入学と退学の関係性に似ているのではないか。それにしても、この看護師がこの部屋の担当になるのは多いのではないか、と思いながら眉をしかめて寝た。


 九日目

 心臓に負担のかかる朝だった。数日前、トイレに行く途中見た美女看護師が、カーテンを開けて立っていた。「おはようございます」とふんわりしたカプチーノの泡のような笑顔。僕の声は必然的に裏返った。いつものように体温計を受け取り測る。普段より少し高い。当然だ。「ちょっと高いですねぇ」とカプチーノ看護師。君のせいだ。君が僕の平熱を狂わせた。動揺で気の利いたことも言えなければ、名札も見れない。僕の口は開いたまま、カーテンが閉まる。真冬だと言うのに僕の身体は全身にカイロを貼っているくらい暑く、そして熱かった。
 昼ご飯はエビチリが出た。普段でも中々食べれない代物だ。ご飯が足りない。ご飯がおかわり自由のやよい軒システムでないことを初めて恨んだ。
 食べ終わるとすぐシャワーに行くため看護師がやってきた。長身でショートカットの宝塚風の看護師だった。少し恐そうだ。そしてそのときに限って僕はミスを犯した。脱衣場まで車椅子を押してもらい、服を脱ぎ、次の着替えを出しているときに気付いた。「替えのパンツを忘れた」それを伝えると宝塚は「えっ?」と早く言えよという声を出した。恥ずかしながらパンツの置き場所を言うと「待っといてください」と言って部屋に取りに行ってくれた。どのパンツを持ってくるか少し興味があったが、黒地に水色のラインの入った普通のパンツを持ってきた。なぜかがっかりした。そのとき体温を測ったら、おそらく朝より一度くらい下がっていたのではないか。そんなことを考えながら、呑気にシャワーを終え部屋に戻る。すぐにリハビリの菅根さんが呼びに来た。今日は中々ハードだ。朝のカプチーノがなかったら疲労困憊だったかもしれない。今日のリハビリは腹筋を重点的にした。腹筋なんて、四年に一度、今日から毎日百回やるぞ!と掲げておこなう最初の二日間くらいしかやらないので、かなり過酷だった。さらに帰り際、菅根さんが恐ろしいことを口にした。明日は僕休みなので別の担当が来ます、とのこと。そして「女性です」と言う菅根さんの目に何か危険信号のようなものを感じた。そうでなければ手放しで喜べたはずなのに。不惑。不惑。その夜はそう念じて眠りについた。微かな期待を胸に。


 十日目

 やはり菅根さんは警告してくれていたのだ。奥村さん、今日の代理トレーナーには気を付けてください、と彼の目は言っていた。その通りだった。リハビリ室に入るなり、「腹筋なさそうやね」と挑発された。往年の歌で「悲しい色やね」という歌があったが、それを思い出してしまった。人間、追い込まれても余裕はあるものだ。そして怪我した箇所の周りを雑に触られ、膝を曲げてみろと言われる。精一杯、曲げてみるも、「まだまだだね」と一蹴。今度はグリグリと患部を触られる。「痛っ」思わず声が出た。そしてその女性トレーナーの同じ箇所をなぜか触らせられる。謎の高揚。近くで見ると、二重の可愛らしい顔をしている。歳は僕より少し上くらいだろうか。しかし、その見た目にそぐわないスパルタだ。「いつも菅根君とどんなメニューしてるの?」と恐怖の質問。まったり喋りながら、合間に膝をゆっくり曲げたりゆるーく腹筋したりしてますとは、口が裂けても言えなかった。そんなことを言えば菅根さんが危険に晒されるかもしれない。それくらいの圧があった。「菅根さんは完璧にやってくれています」と鷹のような目で言った。スパルタトレーナーは少し笑っていた。男が好きな人だと思われてしまったのかもしれない。そのあとも、適切な苛めを受け、普段より少し長く感じるリハビリは終わった。部屋に戻る途中、スパルタトレーナーは、聞いてもいないのに子供が二人いると言っていた。お母さんなんだ、と失礼ながら思った。そういえば今は温和な顔だ。やはり、人間には誰しも二面性がある。ベッドに戻り疲れた身体と心を癒す。普段より脚が楽になってるものだと思ったが、特段変化はなかった。
 その日は母が来て、追加の着替えを持ってきてくれた。ついでにハイチュウを買ってきてくれと頼んだ。口の中が甘みを欲している。そもそも久しぶりに食べるハイチュウ。こんなに美味しいものが百円ちょっとで買えるなんて。日本のお菓子製造技術の結晶だと僕は思った。目を閉じて噛む。ハイチュウから出る旨味のエキスが歯全体に染み渡る。思い出した。これを食べすぎて子供の頃、何度も歯医者に行った嫌な思い出。それでもまだ食べてしまうハイチュウ。僕はそれを一生食べていく覚悟をした。


 十一日目

 隣のサッカー進学高校生が帰った。正直、甲高い声がうるさく感じていたので嬉しかった。しばらく隣は空けといてくれと願ったが、すぐに新人は運ばれてきた。なんてタイトなスケジュール。そして怪我した人の多いこと。運ばれてきたのは、またもおじいさんだ。この場所におじいさんが来るのは三回目。放屁、娘が看護師、次はどのような個性をもったおじいさんなのだろう。声を聞くと特徴がない。普通のおじいさんだ。よく考えると、以前の二人のおじいさんと声の違いが分からない。おじいさんになると皆同じ声帯になってしまうのだろうか。見た目等で、聞く側が違う声のように錯覚しているだけなのだろうか。
 今日も二日に一回のシャワーの日だ。そろそろだと思っているとカーテンが開く。するとそこにはカプチーノ看護師の姿。ドキンと大きく左心房が鳴った。「包帯とって、サポーターお風呂用に替えときますね」と言い、僕の右足に触れる彼女。血流が本日最高速度で巡る。身体の中をフォミュラーカーが駆け抜けていくようだ。だが神はいなかった。「じゃあ、別の看護師さんが来るまでお待ち下さいね」コインは無情にも裏がでた。そんなことがあるのか。だが、僕は何を望み何に期待していたのか。脳と心臓の鼓動が繋がらない。初見の眼鏡の看護師が迎えに来た。脈拍が安定した。ホッとしている自分もいた。帰ってきた当たり前の日常。外国にいったアバンチュールな人も、帰国したら日本が一番とか言ったりするそれだ。シャワーから帰ってくるとき、僕のアメニティ用のカバンが可愛いと言ってくれた眼鏡の看護師。息子くらいの歳だと思ってくれているのだろうか。怪我が治ったら実家に帰ろうと思った。奇しくも僕の母親も同じような眼鏡をかけていた。
 部屋に戻ってもまだ隣のベッドは騒がしかった。何度もおじいさんの「ありがとう」という声が聞こえる。話を聞いていると便をその場でしたらしい。トイレで出来ないとはなんとも辛いことだ。僕は言えるだろうか?他の患者もいる部屋の中で便をしたあと「ありがとう」と。僕はこのおじいさんのように真の大人になるためにはまだまだ修行が足りない。未熟な男だ。
 少し経つとお昼ごはんが来た。隣から「くちゃくちゃ」とあまり聞きたくない咀嚼音が聞こえた。間違いなく、先程のおじいさんだ。立派に見える人にも必ず隙がある。その日の夜中は廊下で「おーい」とずっと叫んで、看護師を呼び続けるおばあさんがいた。呼んだあとは意味のわからない文句をずっと言っていた。きっと誰しも一長一短あるのだろう。そう思って瞳を閉じた。


 十二日目

「今日は大阪コロナ五千人やぞ」
朝から声が聞こえた。隣のおじいさんが看護師相手にニュースキャスターよろしく、大阪のコロナ感染者の数を伝えている。これから毎日このように知らせてくれるのだろうか。スマホアプリのニュースでも何回かは指で操作しないといけないので、一番楽なコロナニュースを知る方法を得たのかもしれない。案の定、おじいさんは代わる代わる来る看護師皆に大阪のコロナ感染者の数を伝えている。最初は心の中で有り難いと思っていたが、何回も聞いていると少し「もういいよ」という感情が渦巻く。人間とは勝手な生き物だ。皮肉にも、それを聞いている看護師もそのような感情を含んだ対応をしている気がした。
 昼はコロッケが出た。大きなコロッケ二つ。一つは普通のコロッケ。もう一つはカレー味のコロッケ。久しぶりに食べたコロッケ。いや、揚げ物。看護師にシェフを呼んでくれ、と言いたくなるくらいの美味だった。コロッケほど過小評価されてるものはないのではないか、いや僕が過小評価していただけなのか。入院生活はそのような気付きも与えてくれる。立ち止まって、好きなものの再発見をさせてくれる。立ち止まることは決して悪いことばかりじゃないと思っていると、隣から「痛い痛い」の声。おじいさん、どうかしたのだろうか。
「どうされましたか?」
 看護師が駆けつける。
「金玉が痛い」
「へ?」「金玉が痛い」
可愛そうなことに、おじいさんは二回言わされた。すぐさま床ずれが原因だろうということで、おじいさんは寝ている場所を動かしてもらい、事なきを得た。その後、おじいさんは奥さんに電話していた。病院に来てからのあったことを色々と話すおじいさん。耳を疑ったが「金玉が痛かった」ということを殊更強調して伝えていた。夫婦の絆というやつか。僕はなぜか今日食べた二つのコロッケを思い出した。おじいさんは電話の最後、なぜか「あんたも気を付けや」と電話の相手に言っていた。相手は奥さんじゃなかったのか? 僕の布団の中を風が吹き抜けた気がした。


 十三日目

 リハビリ早々、菅根さんに、今日の経過次第で、トイレだけじゃなく病院内のコンビニも一人で行く許可を出せると言われた。俄然やる気になる。なぜなら僕には、ハイチュウをもう一度食べたいという欲求の他に、炭酸飲料を飲みたいという欲求があるからである。元々炭酸中毒といっていいほど依存しているのだが、それを煽るかのように、いつも向かいのカーテンの奥では大学生が炭酸飲料のペットボトルを開ける「シュッ」という音が時々聴こえてくるのである。だが毎日500mlペットボトルの炭酸を一日二本くらい飲んでいた入院前と違い、今はお茶と牛乳だけ。徐々に炭酸離れは進み、別に飲まなくても何の問題もなくなっていた。だが、それは機会がなかったからだけだったのだ。炭酸が飲める、という願いがこの手に近付くと、僕の脳から「シュッ」という音と共に欲望が漏れ出した。普段とはモチベーションが違う上に、以前スパルタトレーナーによって根性を叩き直された僕に不可能はなかった。あっさりと、コンビニへ一人で行く許可をもらい、早速帰りに向かう。だが、そこで気付く。松葉杖をしていたらペットボトルが持てない。いや、厳密に言うと持てるかもしれないが今の自分の技術では危険を伴いそうだ。仕方なく僕はハイチュウとメントスをレジに持っていき、申し訳なさそうな声で「すいません、飲み物取って欲しいんですけども」と店員さんに言った。店員さんは気さくに飲料コーナーまでついてきてくれ、マッチとカルピスソーダをお願いすると持っていってくれた。本当ならあと三本くらい買いたかったが引かれそうだったのでやめた。ナップサックに入れ無事に帰る。そもそも五本もペットボトルの入ったナップサックを担いで松葉杖で帰ることはかなり困難だっただろう。臆病風に吹かれて今回は良かった。 
 夜ご飯。いい匂いがしていると思っているとビーフシチューだった。最高だ。そういえば、対角線上のベッドにいた高校生も退院したらしい。最高だ。夜中にこそこそ友達と電話しているのがとても不快だったのだ。看護師には愛想悪いくせに。まあ、そもそも退院はめでたいことだ。祝いのビーフシチューに僕は心を胸を躍らせた。しかも、食後にはお待ちかねの炭酸がネクストバッターズサークルで待っている。さぁ、いざ食べようとしたとき、何か大学生が看護師には言っているのが聴こえた。何をブツブツ言ってるんだ。こんな美味しそうな料理を前にと思い、僕は聞いちゃいなかった。そのあと、なぜか看護師さんが僕のいるカーテンを開けて料理を一瞬見て閉じた。さすがに気になったが、気にしなかった。箸でビーフシチューのジャガイモを、たまねぎを、にんじんを、肉を摘む。最高だ。すると少し違和感を感じた。しかし、僕は細かいことはあまり気にしない。なぜなら美味しい料理が目の前にあるからだ。すると隣のおじいさんがナースコールを鳴らしている。「どうされましたか?」「申し訳ないけど、スプーンくれますか」
 ん?スプーン?そうか!言われてみればシチューなのにスプーンがない。大学生はこれを頼んでいたのか。看護師さんは僕の料理を見ていた。つまり僕のスプーンを持ってきてくれるはずだ。だが、隣のおじいさんにスプーンを渡したあとも、僕のカーテンは開かなかった。もう三人目のスプーン男としてナースコールを鳴らす気もおこらなかった。なぜなら、さっきおじいさんに届けにいったとき、言えよと思われるはずだからだ。この世界では、自分から言わないとスプーンをもらえないのか。僕は食器を傾け、優勝力士のようにビーフシチューを飲んだ。横を見る。炭酸がプシュッと鳴った気がした。


 十四日目

 隣のおじいさんが退院した。最後にビーフシチューが食べれて良かっただろう。適量をきちんとスプーンで飲めたんだろう。自分の幸せ(匙)は自分で掴みにいかないといけない。彼は掴んだ。僕は掴めなかった。それだけのことだ。
 今日から、リハビリ室へは自分一人で来てくれとのことだった。今までは菅根さんが迎えに来てくれていたのだ。僕はお姫様だった。リハビリ室に入ると、菅根さんの姿があった。しかし、間にカットインしてくる女性がいた。スパルタ教官だ。「何年生まれ?」急に聞かれた。僕は正直に自分の生まれ年を言った。質問の暗黙のルールとして、聞かれた質問は相手に返しても大丈夫と聞いたことがある。恐る恐る聞いてみた。僕の一つ上だった。良かった。なぜか安堵した。僕が歳上だと、これまでのパワーバランスが崩れるのではないかと危惧していたのだ。菅根さんにそのことを話すと、「あの人はそんなの関係ないっすよ」とのこと。年齢で人との距離を測ろうとしている自分が小さい人間に見えた。そうか。あの人は僕の腹が出ているから、腹筋がないから、人間として僕が下だからタメ口を使っていたのか。さすがだ。僕が怯えているのを察したのか、「でも、子供が出来て、あの人だいぶ丸くなったんすよ」と菅根さんは教えてくれた。神が宿してくれたのだ。平和を与えてくれたのだ、と思った。子はかすがいだ。母は偉大だ。
 帰りに、その母なる神に挨拶しようと、ちらりと目を見ようとしたが、目が合わなかった。母よ、あなたはときに気まぐれだ。いや、挨拶するまでもない、ということか。もし、腹筋が割れたら、そのときは改めて「お疲れさまでした」の挨拶をさせてもらいますよ。そんな日は来ないだろうが。
 もうすぐ大学生も退院らしい。ちらりと顔を一度見たがKing Gnuのような顔をしていた。流行りの顔に丸眼鏡。あの丸眼鏡は僕のような丸顔がかけると丸の集合体になってしまう。彼は丸眼鏡でもソリッドだ。彼は自分の夢も看護師に語っていた。将来、海外で英語の勉強もしたいそうだ。素晴らしい。看護師もメロメロなのか「応援してますね」と言っていた。SNSで、いいね!というものもろくにもらったことのない身としては羨ましい限りだ。他人に自分の夢を応援してもらえるなんて。そもそも夢を語る相手がいる、それだけで素晴らしい。世知辛いこの世の中、夢もまともに持てない少年少女が多いという昨今、脚を怪我しても世界に旅立つという覚悟。僕は感心する。だって、コンビニへ行って炭酸を買うだけでこっちは命からがらだから。


 十五日目

 大学生は嬉しそうに去っていった。反対に看護師達は寂しそうだった。何人かは用事もないのに、さよならを言いに来ていた。何人かは用事があるようにみせかけて、さよならを言いに来ていた。どれくらい彼が、入院していたのか知らないが、静かに去っていったこれまでの隣人達が哀れに感じた。しかし、なんてことはない。必ずや、僕もその哀れの渦に飛び込んでいくことになる。気付いたのだ。この世には神に選ばれし人間がいる。この中では世界に羽ばたく大学生。リハビリ室の中では、室内を牛耳るスパルタ教官だ。それはほんの一握りの人間のみ。僕のような弾かれ人間は、弾かれた舞台で精一杯羽ばたこうとするしかないのだ。
 大学生が去り、今部屋には僕しかいないということに気付いた。静かになった部屋。誰も興味のなくなった部屋。僕はここで部屋の一部になってしまうのではないか、不安に胸を駆られたが、それは杞憂におわった。なんと、空きベッドだった隣と対角線上のベッドに一気に二人新人が入ってきた。両方ともおじいさんだ。安心したような、しないような。だが、スパルタ教官に言わせると、そんなことを気にしている時点で小さい男だということだろう。不意に名前が脳に入ってきた。隣のおじいさんは中町さんというらしい。対角線上のおじいさんは室井さん。中町さんは優しそうで、室井さんは頑固おやじといった感じだった。だが、その印象はすぐに覆る。室井さんはしきりに不安を漏らしていた。「緊張する。手術、緊張する」と。気の強そうな人ほど、実は小心者だったりする。 やはり人間は、誰しも仮面を持っている。では、隣の温和そうな中町さんは、仮面の下にどんな顔を隠し持っているんだろう。すると隣から声が聴こえた。「コロナ増えてきたなぁ〜」と。歴史は繰り返すように、患者の性質もまた繰り返す。二代目キャスターの登場だ。
 夜中。そういえば僕にはどんな仮面があるのだろう。そんな答えの出ない闇にまだ痛い足を伸ばしてみていた。退職後、僕は小説を書くことがあった。投稿サイトからコンクールに応募したこともある。ふと見てみると、以前応募したものの結果が発表されていた。自信があるものではなかったし、コンクールは何度か応募したことがあるが一度も引っかかったことはなかった。だが、優秀賞の中に自分のペンネームと作品名があった。手が震えた。脳も震えた。左心房がうずいた。優秀賞といっても、佳作のような扱いだった。しかし、それでも初めてだった。思えば何年も賞というもの自体をもらっていなかった。厳密に言うと、前職でもらった賞はあるが嬉しさはなかった。倍率も低かった。ただ、この賞の倍率はそこそこあるはずだ。僕も少しだけ羽ばたけるような、小さな羽が脇の下に生えた気がした。夜通し興奮は収まらなかった。だがこれで終わりではなかった。僕はイヤホンでロックンロールを夜通し聴いた。バレたら恥ずかしいことだが、今僕はそれを書いている。自分の仮面の下の顔が少し分かったのかもしれない。僕はお調子者だ。


 十六日目

 朝ご飯を食べ終わり、ぼーっとしていると室井さんがナースコールを押した。緊張の手術は、無事昨日終わったみたいだ。「朝ご飯来てないんやけど、ないのか?」とのことだった。可哀想に。スプーンがないくらいかわいいものだ。さぞ怒っているのかと思っていたら、食事後、室井さんはなんと食器を取りに来た食事係に「美味しかったわ〜」と言った。食事係は嬉しそうに「ホントですか〜。嬉しいですわ」とご満悦。彼女は清掃や雑務担当の方だと思うので、自分が作っているわけではないのに嬉しそうにしていた。僕も美味しいと思ったことはもちろん何度もある。麻婆豆腐、エビチリ、コロッケ、スプーンのないビーフシチュー。だがそんなこと伝えるなんて、考えたこともなかった。あの皆の人気者の大学生でも言っていなかった。だが、この室井さんは、いとも簡単にやってのけた。この人も選ばれし人間なのか。
 一方、スプーンももらえない、美味しかった、も言えない僕は身が軽くなった。と言っても、心の話ではなく身体的にである。手術からもう二週間以上が経ち、僕の右脚全体を覆っている大きなサポーターがとれたのだ。代わりについたのは圧迫感の少ない小さなサポーター。つけてから分かったが、やはり心も軽くなった。心も身体も軽くなった僕。夕方、スマホが久々に鳴った。出ると、テレビ局だった。退職後、これもまた暇をしてたので四コマ漫画募集のコーナーに送ってた漫画が採用されたとのこと。絵は決して上手くないので、本当に僕なんかが選ばれたのか?という疑問と、昨日に引き続き、また誰かに認められたという喜び。どちらも景品も賞金も何もないが、その夜のトイレへ向かう松葉杖の足取りは軽くてしょうがなかった。あまりに嬉しかったので、その途中で見かけた森嶋さんについ、そのことを喋ってしまった。森嶋さんはそこそこのリアクションだった。少なくとも驚いてはいなかった。やばい、自分の娘が看護師だということを喋っていた、いつぞやのおじいさんと同じ状態ではないか。だが、それでも良かった。まさか二日連続、興奮で寝れなくなるとは思わなかった。明日、睡眠不足になるのは間違いないが、腰と脚の痛みで寝れなかったあの頃とは全く別物の睡眠不足だ。あの頃がやけに遠く感じた。懐かしく感じた。部屋の住人も大きく変わった。いつしか、看護師と仲良くなりたいという気持ちも減っていた。その代わり別の感情が増えていたんだろう。二日連続、夜通しイヤホンでロックンロールを聴いていた点でお察しだ。


 十七日目

 隣の中町さんに、看護師が喋りかけていた。「中町さんは兄弟とかいらっしゃるんですか?」「全員死んだよ」と中町さん。何という気まずい会話だ。看護師はおそらく、挽回というか、傷を塞ぐためにさらに聞いた。「じゃあ、お子さんはいらっしゃるんですか?」賭けに出たな。これでいなかったらどうするつもりだ。心のメトロノームが音を鳴らす。「二人おるよ」と中町さん。良かった。本当に良かった。看護師は賭けに買ったのだ。人生はポーカーだ。綱渡りだ。
 昼ご飯を食べ終わった昼下がりに、室井さんは退院するとのことだった。桜井さんに積極的に喋りかけていた。女性に喋り慣れている雰囲気の室井さん。桜井さんも心を開いている様子で会話も弾んでいる。どうやら彼は桜井さんがお気に入りみたいだ。色々聞いていた。出身は九州らしく、年齢は二十一歳らしい。僕が全く知らない情報を、会って最初の日に聞き出している。それが最後の日でもあるからだろうか。お父さんと娘以上に年が離れているはずなのに、こんなに心が近付けるのだろうか。室井さんは凄い男だ。それの一端がやはりご飯を食べて「美味しかった」と伝えれるところに集約されている。そういえば、女性は「好きだ」という思いも、声に出してくれないと分からないと大合唱しているのをテレビ等でよく見かけた。
 また一人減り、病室には僕と中町さんだけになった。その中町さんは晩ご飯のあと、衝撃の一言を食事係に言った。耳を疑った。「ごちそうさん。美味しかったわ」と言ったのである。今まで、そんな言葉かけていなかったのに。室井さんリスペクトなのは火を見るより明らかだった。これに関しては首を傾げた。これじゃ何も言わない僕が愛想ないみたいじゃないか。こんな考えだから僕は駄目なのか。スプーンも欲しいといえないのか。それも言えず、美味しかったの一言も言えず。僕は何を言う?桜井さんが血圧を測りに来た。「腕熱いですね」と言ってしまった。ただ、事実、熱かったのだ。だが、何を言ってるんだ。「そうなんですよ、眠いんですよ」と、桜井さん。彼女も何を言ってるんだ。ただ、聞いていくと、人は眠くなったら体温が上がるらしい。だとしたら二日連続睡眠不足の僕の腕は、どうして熱くないのだろう、九州の娘よ。


 十八日目

 朝早く、主治医が僕のベッドを突然訪れた。残念なお知らせがあるとのことだった。聞けば、なんとコロナ感染者が出た(病院側か患者側かは言わなかった)とのことで、不特定多数が出入りする可能性のあるリハビリを中止するとのことだった。期間も現在未定のこと。そして、本来はあと三日ほど入院する予定の僕に今日にでも退院の許可を出すとのことだった。それが何を意味するかは、一瞬分からなかったが、文脈を読み取っていくと、僕に前倒しで退院して欲しいのではないかと思った。なぜなら、リハビリ以外はもうほぼ寝ているだけなのにコロナのリスクも増えるし、病床が一つ埋まるだからだ。僕にとっても、入院を続けてもも費用がかさむだけだ。コロナも移されたくない。本来なら退院することを即決するところだったが、僕は一応親にも相談すると言って保留した。もちろん、心では迎えに来てもらい次第、すぐ退院するつもりだった。だが、心の奥底でそれを寂しがっている自分もいた。日曜日だったので、普段より看護師の数も少なかったからなのか、トイレに行く途中の廊下もひっそりしてるように感じた。よく考えれば、日曜日だからといって看護師が、少ないとは限らない。心の空虚感が減らしたのかもしれない。数時間後、親に電話し、事情を伝えて退院する旨を伝えた。早ければ明日に迎えに行けるとのことだった。明日か。よろしく、と頼んだが、もっと後でも良かったのにと無責任に思ってしまった。


 十九日目

 最終日。看護師は、誰もさよならを言いに来なかった。
毎日部屋のゴミ箱の中身を回収に来てくれていた掃除のおじちゃんだけが、「元気でやれよ」と言ってくれた。最後の昼ご飯には珍しくデザートがついていた。いちごのムースだった。この世で一番甘酸っぱかった。


 おわりに

 入院する前と退院後、何が変わったのかは分かりません。確実なのは、手術後すぐのときよりはサポーターが軽くなったくらいです。他に軽くなったものはあるのでしょうか。分かりません。ただ学校という特殊な空間に身を置いていたのは十年以上も前ですが、思い出すと入院期間の思い出はその感覚に近いものを感じます。今後、人生でこのような種類の思い出が増える日は来るのでしょうか。そんなに機会はないと思います。なぜなら、学校も入院も共通しているのは、始まりは能動的ではなく「受け身」の姿勢だからだです。でも、だからこそ思い出深いのかなぁと思います。何かをしたい、という意欲も大事ですが、何かを受け入れる、という覚悟も今後増えてくる気がします。


#創作大賞2022

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