大駱駝艦創立50周年記念二本連続公演『おわり』、『はじまり』

麿赤兒の辿り着いた地平

大駱駝艦が創立50周年公演を二本連続公演として上演した。これは、まさに偉業と言っていい。
それは20年より30年、30年より40年が凄いというような時の長さの話ではない。麿赤兒が50年の歳月をかけてほとんどゼロから作り、練り上げた身体メソッドと哲学を若い艦員たちと共有し、その成果を二本連続公演として結実させたことの凄さである。

『おわり』の幕が開いてほどなく、若い男性舞踏手4人が銀色に光るバネ状の物体を頭上に乗せて舞うシーンがある。その足運びの美しさは、まさに50年かかって麿が練り上げた駱駝メソッドが麿の孫のような世代にキッチリと受け継がれていることを示す見事なシーンだった。さらに、その4人の中に藤本梓が吸い込まれるように加わった瞬間、5人の呼吸はスッと融合して一つになり、5人の足さばきはまるで地を這う蜘蛛の脚のように見事に連動して滑ってゆく。こうした見事な舞は、身体メソッドと哲学を共有する強固な集団にしか作りだし得ないものだ。
そして、銀河三姉妹のうち、ケンタウロスを舞っていた梁鐘誉(ヤン・ジョンエ)。彼女は大駱駝艦に入艦する前は、韓国人ダンサーとして祖国の大学で古典舞踊からモダンダンスまでの基本メソッドを学んできた舞り手だが、これまではその素養が舞踏と齟齬を来すことが多かった。ところが、今回の『おわり』では、その素養がキチンと生かされ、しかも尚かつそれが大駱駝艦の身体メソッドに吸収・融合されることによって、見事な美しさを描き出していた。
大駱駝艦という強固な集団の持つ強さである。
そして『はじまり』。
この『はじまり』という作品で、麿はこの50年間の大駱駝艦公演で一度もやらなかったことを四つもやって見せた。一つは幕開きに麿が板付きで登場すること。二つ目は麿が開演から終演まで舞台に出突っ張りだったこと。三つめは麿が群舞を、しかもユニゾンで踊ること。そして四つ目は麿と艦員が合唱することである。
こんなに突き抜け、解放された麿をこれまで観たことはない。
そのことを最も敏感に感じとっていたのは、他ならぬ艦員たちだろう。
この公演では、大駱駝艦の舞踏手すべてが麿の世界を共有し、麿と共に舞台に立つ喜びに溢れていた。突き抜け、解放され、ある境地に達した麿も、その悦びを分かち合うように、最も若い艦員まで含めて全員にソロシーンを作り、与えていた。
これも、これまでの公演ではなかなか見られなかったことである。
何が麿をしてそこまで突き抜けさせたのか。
それは、この二本連続公演の作品上演順を見ればよくわかる。
この二本連続公演は『おわり』で始まり、『はじまり』で終わるのだが、これはどうしてもこの順でなければならなかった。なぜなら、これは10の10乗の68乗という途方もない長い時を挟んだ滅亡と再生の物語だからである。
これは麿が開演前のアナウンスで言うような「宇宙論」などではない。これは麿が50年かけて辿り着いた「神なき世界の神学論」なのである。

舞踏の創始者である土方巽は、西欧におけるキリスト教的価値観に常にアンチの立場を取ってきた。それは彼の踊りがクラシックバレエに対するアンチから始まっているからだ。
バレエダンサーの身体は理性によって完璧にコントロールされている。人間の身体は放っておけば邪悪に、淫らに堕ちていく。だからこそ、人間は理性によって自らの身体をコントロールしていかなくてはならない。それがキリスト教の教えであり、バレエダンサーの追求する究極の身体だ。
たとえば、東方キリスト教会を代表するロシア正教には、主流派教会から分離した古儀式派と呼ばれる諸教派がある。これは主流派教会からはラスコーリニキと蔑称されているのだが、それは麿が以前手がけた『罪と罰』の主人公であるラスコーリニコフの名前の由来でもある。この諸宗派の中に、去勢派と呼ばれる一群がいる。人間の身体は不浄なものであるという考え方を徹底的に追求していった結果、この教派の男性は男性器を、女性は乳房を自ら切り落としてしまう。そこまでするほどに、人間の身体は邪悪で不浄なものだと言うのである。
ところが20世紀初頭、そうしたキリスト教的価値観の根源をなす「理性」を否定する者たちがヨーロッパ社会に出現した。それがトリスタン・ツァラのダダであり、アンドレ・ブルトンのシュルレアリスムであり、アントナン・アルトーの「残酷の演劇」である。
土方はこれらのキリスト教的異端派の概念を自らの踊りの中に取り入れることによって、まったく新たな身体表現を創り上げようとした。理性によってコントロールされるのではない身体、頭で考えるのではない踊りを創り上げようとしたのである。土方がある時、作家の石原慎太郎に、「三島(由起夫)さんは本当に人間は頭で考えると思ってるのかな。私はそうは思わない」と言ったというエピソードは、土方のこうした考え方を最も直裁に表している。
しかし、アンチはどこまで行ってもアンチでしかない。異端は正統が存在することによって異端であり得るのであり、「暗黒舞踏」は「光の世界」という「正統」がなければ異端であり続けることはできないのだ。
70年代に入った日本が高度成長期の終焉を迎え、「光の世界」という「正統」が対抗軸にならなくなった時、土方は舞台に立つことをやめた。
土方はアンチとしての舞踏ではなく、西欧的キリスト教という「正統」に対等に抗しうる「日本的正統」の物語を作り出そうとする作業に没頭したのだ。それが結実したのが『病める舞姫』である。
しかし、それは舞踏作品として、さらには暗黒舞踏派という集団論として成立したわけではなかった。
ある意味で、土方は最後までアンチから抜け出すことはできなかったのである。

ところが、麿はそこを突き抜け、舞台の上に「日本的正統」の物語を作り出して見せた。しかも、大駱駝艦という集団を率いてである。
それを最も象徴的に表すシーンが『はじまり』の終盤にある。
銀河三姉妹の頭上にゆらゆらと揺れる脳が差し出されるシーンである。
「ご賞味下さい」と差し出される脳の下で、銀河三姉妹はカタカタと踊ってみせるが、その後、麿の頭上にも脳が差し出される。その時、「あなたが思った。ゆえにあなたはあったと、あなたは思うのです」という台詞が投げかけられる。
これは言うまでもなく、デカルトが『方法序説』のなかで提示した「我思う。ゆえに我あり」という命題の否定的問いかけである。つまり、「どうせあんたは、我思う、ゆえに我ありって思ってんでしょ?」という詰問なのである。
それに対して麿はどう応えたか。
その時、それまで麿にピタリと寄り添っていた黒衣の僧の1人(松田篤)が、ダン! と足を踏みならしてその問いを跳ね返す。つまり、麿は理性によってコントロールされる肉体を拒み、10の10乗の68乗という途方もない長い時を挟んだ滅亡と再生の物語に身を委ねるという新たな物語の始まりを提示して見せたのである。
私がこの作品を「これは宇宙論などではない。これは神なき世界の神学論だ」というのは、麿が宇宙論を通じて追い求めていたものが、科学的、物理的な宇宙の成り立ちや構造の解明などではなく、キリストという唯一神を持たぬこの国の中で、我々サピエンスが拠り所にすべき神学論を打ち立てようとしたのだと思うからだ。
宇宙論に手を出すのは危険な行為だ。ともすれば膨大なスケールに圧倒されて不可知論に陥りやすい。しかし、麿はそのような安易な不可知論に陥ることなく、敢然と「脳に支配される身体」を拒否して見せた。あの、人を小馬鹿にしたような詰問を跳ね返して見せた黒衣の僧は、麿が育った奈良大神神社の原風景だろう。麿の身体の記憶の奥底には、10の10乗の68乗という途方もない時の流れに匹敵する時の流れがあるのだ。
仏教には、四十里四方の大盤石を天人が百年毎に羽衣で触れて擦り、これによって消滅しても未だつきない程の長い時の流れを表す『盤石劫』という単位がある。こうした時の流れの感覚を、我々日本人はさほど抵抗なく受け入れ、身を委ねてきた。
麿は宇宙論という西欧的物理学の世界を探求しつつ、遂には日本人独特の時の感覚を取り戻し、それに身を委ねるというサピエンスの救済法を提示して見せたのである。

麿が50年かかって辿り着いた地平。それは土方の『病める舞姫』を圧倒する「神なき世界の神学論」であり、それが舞台作品として結実したということで、麿は遂に大恩人たる土方を超えたのである。

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