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大條宗綱(大條家第八世)

通称:長三郎、左衛門、三郎左衛門
生誕:天正十三年(1583年)
死没:元和三年(1617年)十二月二十四日
諡名:心月院本室円公居士
父母: 大條宗直(大條家第七世)、新田景綱の娘
兄弟: 大條市蔵(詳細不明 / 一部系図に名前あり)
妻:中島宗求の娘
子供:なし(大條実頼四男宗頼を養子とする)

大條宗綱は天正十三年(1583年)に大條宗直の嫡男として伊達郡大枝邑で誕生しました。
その後、家督を継ぐまで、大枝→大蔵→北目→蟻ケ袋→長部と幾多の処替を経験し、慶長十五年(1610年)七月十日、父宗直の死に伴い、26歳で大條家第八世の家督を相続しました。

その家督相続から三年後の慶長十八年(1613年)、磐井郡大原邑へ知行替になります。なお真偽の程は定かではありませんが、大原邑時代の宗綱が「悪地頭」であったとの言い伝えが「大東町史 上巻 185〜187ページ」に記載されております。  
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「大原町誌」には悪地頭として次のように出ているが、参考のためそのまま記しておく。大条長三郎が長十郎となっていたり、その伝えにも多く誤りがあるのはどうしたわけだろうか、誰かの伝えと誤り伝えられたのかも知れない。
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(大東町「大東町史 上巻」1982年)

筆者は正確な現代語訳ができないのですが、「領民が相続や年貢関係での対応に不満を抱き、伊達忠宗、茂庭左月へ陳情し解決してもらった」のような内容でしょうか。
領民とのトラブルという不名誉な記述となりますが、いい部分だけを抜き出す大本営発表のような投稿は避けたいので、ありのままを記載いたしました。

なお上記の通り、「長十郎」となっていたり、この当時11〜12歳の伊達忠宗(伊達政宗の息子)が家臣とその領民の紛争に介入することは考えにくく、他の誰か言い伝えと混同されている可能性は大いにあると思われます。
そもそも片一方の主張だけでは、紛争においてどちらに正義があるのかは判断が難しいですね。

話は変わりまして、慶長十九年(1614年)七月十一日、伊達政宗へ蝋燭を百挺献上し、その御礼の書状を受け取っております。
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・(1534)大条長三郎宗綱宛書状案
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(仙台市史編さん委員会「仙台市史 資料編 11」2005年)
蝋燭なんて珍しい進物だなと思いましたが、調べたところポピュラーな献上品のようでした。

そして同年十一月の大阪冬の陣へ従軍したと伝わっております。
※この大坂冬の陣にて、従兄弟の大條元頼(着座大條家第二世)が亡くなってます。

元和元年(1615年)大阪夏の陣へ出立するも、後発組であった為、駿州で大阪城陥落の一報を受け帰国しました。

その翌年の元和二年(1616年)九月、亘理郡坂元本郷へ知行替えとなります。ここで遂に大條家の明治までのホームグランドとなる坂元の地を拝領しました。

蓑首城跡(坂元神社)
山元町公式HPより

豊臣秀吉の奥州仕置きを契機として、父宗直の代からなかなか本拠地が定まらなかった大條家でしたが、蓑首城(坂元要害)に居住し、以降252年この地を治めました。

①~⑤ 大條宗直
⑥~⑦ 大條宗綱
Google Mapsより(一部加筆)

坂元は仙台藩南方に位置し、仇的であった相馬氏(中村藩)との国境の最前線ということで、重臣の大條宗綱が配置されたのでしょう。
お隣は伊達成実を始祖とする亘理伊達家があり、分家である着座大條家の丸森(後に尾山へ処替)ともご近所となりました。
そして何よりも先祖伝来の地であった伊達郡大枝邑とも近く、25年ぶりに大條本家が仙台藩領南方に帰ってきました。
大條宗綱はこの時に仙台藩奉行に就任したとのことです。
この奉行就任の背景に関して、こちらで筆者の推測を記載しておりますが、大條宗綱自身も大阪冬の陣において政宗の目に留まる何かしらの功績を残したこともあると思います。

元和三年(1617年)十二月二日 伊達忠宗(後の第ニ代仙台藩主)と徳川秀忠の養女 振姫との婚儀のことで江戸へ上ります。しかし同年十二月二十四日、江戸で僅か33年の生涯を閉じました。
正確な死因は記録が残っておりませんが、一説によるとコレラであったとも伝わってます。
宗綱は子供を残していなかった為、従兄弟である大條宗頼(叔父 大條実頼の四男)が跡目を継ぎます。

坂元の地を拝領し、奉行職(家老)へ就任するなど、順風満帆なキャリアを歩み始めていた大條宗綱ですが、残念ながら33歳と若くしてこの世を去ることになりました。
しかし「坂元 大條家の始祖」ということで、坂元の領民の宗綱に対する思慕は強かったようです。
この後252年続く大條-坂元の歴史はこの大條宗綱から全てが始まりました。

◼️参考資料
伊達宗行氏 「翠雨山房夜話(上)」 1988年
伊達忠敏氏 「大條流伊達家記録」1988年
本田勇氏「仙台伊達氏家臣団事典」2003年
佐藤司馬 「大條家坂元開邑三百五十年祭志」1966年
平重道 「伊達治家記録」1973年
仙台市史編さん委員会「仙台市史 資料編 10」2005年
大東町「大東町史 上巻」1982年

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