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目標ない

目標を、もつこと
は本当に正解なんだろうか

いいこともある。
いいことしかない。
わけではなくて、きっと、
悪い面や、向いてない場合もある
のではないだろうか。

年末になり、
年始がくるこのタイミング。
来年はどんな年に、と
抱負を考える時期でもあるのだけど、
そういえば、ここ数年、
抱負、ねぇ、、、
と考え始めて
ちがうこと考えて終わってることに、
さっき気づいて。

目標って、なんだろうか。
きっと、がんばるひとには
必要なんだろうな。
わたしは、がんばること自体が
きっと向いてなくて、
目標を立てると
めげる。

思い出せるのは
自立するんだ!
という漠然とした目標。
自立の意味も、定義もわからなくて、
ひとりで生きれるように
なること(主に金銭的に)
と思っていて、
それはそれは、つらかった。
いや、
つらいおもいは全然してないんだけど、
一向に自立なんてできる目処も、
方法もわからなくて、
(やみくもに働く以外)
いつまでたっても、
目標になんて達っせずにいる
そんな自分への
ふがいなさ、の、つらさ。
気持ちのつらさ。
これは、多分、
世の人の比にはならない程度の
たいした辛さじゃないんだけども。

そうか、自立なんて、
できやしないんだ!
できないって、わかってればいいんだ!
と悟ってからは、
なんとも生きやすく、
自分のできることを
自分のキャパで、
人に甘んじながら、
生きてきた。

目標。
目標をたてて
それで奮い立って、成功するひとも
いるのであろう。
それがないと
生きにくい人も、
いるのであろう。

わたしはというと、
目標は、
未来を邪魔にするものでしかなくて、
目標に向かって生きるということは
未来を決めなきゃいけない
という息苦しさがあって、
それで、
新年の抱負を考えるときに
決めたくないなー
と思って、
「かんがえる」
という抱負にするんだと思う。

私が造形の先生してるのは
目標だったんじゃなくて、
たまたまで、でも、
たまたまやってたら、
とっても好きな、肌に合う仕事で、
天職で。(自称)
目標にしてたら
きっと、
なにかしらイメージの目標にしばられた、
自分ではない、誰かをめざした、
そんな先生に、
なって、
いや、なりきれなくて、
やっぱり、
苦しかったろうと思う。

そうだ。
やっぱり、
だれもが、ではなくて、
わたしには、向いてない。
という話なんだと思う。

そして、私のように向いてない人も
きっといくらかはいるのだと思う。

無理に目標も抱負もいらなくて
全体に漠然としたまま

そうだ。
笑って死ぬ、
が目標くらいな私だから、
その途中は
ふわっとして、
そのときの私でできることや
得たものを手に
ホワホワと
生きていきたいと思うのだよ。

そう、笑って死ぬことが
目標ではあるのだけど、
執着はしてないの。

死ぬ時は、死ぬ時で、
多分、選べないんだから、
できるなら、笑って死にたいけど
そうならなくても
いたしかたない。

目標じゃなかった
場所と、仕事と、
暮らしかた、
目標より、
ほわーっと夢だった
犬との日々。
幸せな日々。

ひとつひとつ
選んでここまできてるけど、
目標じゃなくて
目の前にわかれみちがきたときに
わたしはこっち。
と選び続けて
今がある。

未来にくる道を選んでおく、
のではなくて、
歩いてたら、
今、
目の前に分かれ道がきたから、
さあ、どっちにしよう
どれにしよう
って
目の前のものを
選んでいきたいと思う

でもね、
きっと自立なんかできちゃって、
ひとりで生きれてたら
この方法じゃ
ぼろぼろだったかもしれない。

自立できんわ。
って、堂々と生きて、
目標をもって生きている人が
周りにいるから、
目標なんてわからんわ。
って
生きていけてる
そんな気も、してるんだ。

やっぱり
人は違うって
いいよな。

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