ふみセンセイ

こどもたちと造形あそびをする仕事。 犬2匹と夫との暮らし。 みずこしふみという個体の人…

ふみセンセイ

こどもたちと造形あそびをする仕事。 犬2匹と夫との暮らし。 みずこしふみという個体の人間。 その全部が混ざってできている日々。 日々ぐるぐるぼんやりと考える頭の中。 文字にして整理整頓できるかな。 私の、脳みその、中。

最近の記事

本で旅 連想旅

昨日読んだのは犬のガクの話 とりあえず置いといて、 ここまでくるのの1番最初も、 やっぱり 犬だった。 たどる、たどる 犬を飼ってから、 犬の本をよく読む。 いろんな人の犬の見方や接し方を知ったら、 その犬の反応から、 犬がどんな風に人間といるのか、 飼い主の思い込みもあることを 踏まえた上でも、 色んな人と色んな犬の関係、 知りたいな、と思って しつけの本もエッセイも いっぱい読んでて、 (しつけの本は犬がどう反応してるのか というのを学ぶために読む 正解だとは思わず

    • 失敗=成功

      成功するのは気持ちよくて 成功することをめざして 生きているのかもしれない のだけど ほんとのところは 失敗することが 日々で 失敗を重ねた先に 成功があるのだとも 思う がっくりくるような失敗は ほんのたまに、でいいし やっほーい!やったーい! という成功も ほんのたまにでよくて あ、やった。 っていう 小さな成功を重ねて それと共に あ、やっちた。 っていう 小さな失敗を 重ねることも きっと とっても大事 こどもたちといるときに 大切にしてることは 「できた!

      • 体感的自閉症

        みんなちがうよ みんながちがうみたいに みんな ちがう みんながみんなであるように みんな おなじで ちがう 言葉は使ったり 使わなかったりする 言ってることは 大抵わかってる わかってる けど 言ってること わかるからこそ わからないときって あるじゃない? 納得いかない 理解できない! ってこと 空気をよむことはしないから (これはわたしにとっては長所) 自分の感覚で 納得できないことを 受け入れるには 「みんなそうだから」 なんて わけのわからない理由じゃ

        • グレーと矛盾とグラデーションと。

          20代の真ん中くらいまで 白黒はっきりすることが 正義だと思っていた。 し、 それがエネルギーでもあったような 気もしてる。 生きたり、作ったり、考えたり 乗り越えたりする エネルギー。 でもいろんなところに 矛盾が生じてきて 最初は見て見ぬふりを決め込んで 白と、黒と、 好きと、嫌いと、 正義と、悪だと 思ってた。 それでも 好きでも嫌いでもなく 正義は悪だったり 絵の具の黒は 黒じゃなかったり 見て見ぬふりが できなくなってきて 立ち止まって 考えた。 矛盾のな

        本で旅 連想旅

          コントロール

          ひとをコントロール はできない ということが 本当に わかっていただろうか コントロールを する コントロールを される という言葉はあれど 言葉があるから コントロールができると うっかり思い込んでしまうのかもしれない コントロールなんて できない とわかっているようで それでもどこかで コントロールしようとしてたり してたんじゃないかって ふと 思ったり。 対人関係で、 どうしたらわかってもらえるだろうか どんな言葉で、声で、タイミングで、 と知恵を絞るこ

          読書

          本を読みたい 読みたい本がいっぱい きっと 読み切れない 生まれ変わって ラクダになれたら 本よめないしな。 本をもっと読むために どうしようか と考えて やりたい仕事、 仕事はやりたい。 カワイイ犬たち 犬とは遊びたい 大切な家族 一緒に食べる時間 話す時間は 大事にしたい そうするとなると あと、 どこを読書に当てられるか。 古本で もう売れない(寄付できない) 本は 風呂場で読む。 そして やっぱり ネットからの脱却。 facebookは やめた 情

          目標ない

          目標を、もつこと は本当に正解なんだろうか いいこともある。 いいことしかない。 わけではなくて、きっと、 悪い面や、向いてない場合もある のではないだろうか。 年末になり、 年始がくるこのタイミング。 来年はどんな年に、と 抱負を考える時期でもあるのだけど、 そういえば、ここ数年、 抱負、ねぇ、、、 と考え始めて ちがうこと考えて終わってることに、 さっき気づいて。 目標って、なんだろうか。 きっと、がんばるひとには 必要なんだろうな。 わたしは、がんばること自体が

          2ヶ月人間2ヶ月🐕

          私は生後2ヶ月から 保育園にいたって。 共働き夫婦の 3人目の私は 母はいつも産んだだけ、と笑う。 私は産まれる時ほどの がんばりを した記憶がないくらい 産まれることと 産むことは すごいと思ってるのに 産んだだけど言える 母。 その言葉には 育ててくれた たくさんの人々への感謝がある。 保育園の保育士さんたちは 私をかわいがり 育ててくれた 母と父は 仕事をし、 家に帰れば 私たちきょうだいを 愛情を持って (もちろんたくさん怒られながら) (たいていはきょうだ

          2ヶ月人間2ヶ月🐕

          読書

          遠藤周作の「海と毒薬」を読んだ。 彼の原作、「沈黙」が映画化された時、 告知動画をみて、 みたいけど、みれない みるべきだけど、みれない そう感じた。 そう感じる作品も現実世界も たくさんある、 けど、どうしよう。 と考えて、 随分長い間、 そのままだったのを思い出した。 私が私の価値判断で 知るべきこと、 知りたいことが たくさんあるのだけど、 映画館から、 家に帰るまで、 家に帰っても、 ずっと泣いてた経験があって、 私にとって、映像は 現実に近くて 目の前で起きてる

          生活必需品

          自分らしく 自分のままに 自分ができるように生きる ための必需品は、 みんな違うのだと思う。 だから 生活必需品は、 みんながおんなじ物を リストアップできるものじゃない はず。 地理的、文化的、 な環境が違えば、 生活が変わるのだから 必需品も違って、 その後に 個々人の思想や、感受性のところで 変わってくる はず。 実家で暮らしていた頃、 それから一人暮らしや、 二人暮らしや、居候や、 色んな形で 生きてきて、 今、 自分らしく生きることであったり、 一部、同じ価

          こどものとき

          小学生までは 泣き虫だった。 気は強いけど、泣き虫。 2個上に兄がいたから、 兄を切込隊長に、 兄を盾に、 兄をモニターに、 兄の真似をし、 兄を反面教師にもし、 うまいこと生きてきた末っ子。 気は強いけど、すぐ泣くのが 直せなくて、直したくて、 6年生の頃 泣くのを我慢するようになった。 ほどほどくらいに 泣くように。 それでも泣いてたけど、 我慢の甲斐あり、 毎日泣くようでは無くなって、 泣く時も、悔し泣きが多くなってった。 こどものときって 怒って、泣いて、 寂し

          こどものとき

          こどもたちは考えてる

          造形あそびを通じて こどもたちと 向き合ってる。 こどもたちは考えてる 感じてる わかってる わからないことがあるとすれば それは大人とおんなじ理由で わからないだけ。 経験の足りなさで わからないだけ。 考えてる。 いっつも 考えてる。 うっかり惰性で生きてしまう大人よりも ずっとずっと、考えてる。 そう考えることが そう感じることができるのは、 自分が考えてきた記憶があるから。 考えてた。 保育園の時から、 考えてた。 いつも、考えてた。 そして、理不尽に

          こどもたちは考えてる

          無駄が材料

          昆虫の動きっていうのは データ化して 再現できるんだって。 人間や哺乳類の動きは どうしても違和感が出てしまうそう。 ははーん。 と納得と実感。 昆虫には無駄がなくて、 システム的に、 2進法的に、 動きも、形も、できてるんだろうなー と思って、 そして、 そんな風にして、 昆虫の動きが再現され、 人間たちは再現しきれない、のだとすると、 つまり、人間たちは 無駄を利用することで 完成されてる、 あるいは 未完成であることが、 完成である、 ということなんではなかろう

          犬じゃないものじゃないものが犬

          あーーー すっきりする この モヤっとする表現が すっきりする! COTEN RADIO で聞いた表現 構造主義の話。 (レヴィ=ストロースの回) 哲学の話やらなんやらかんやら で、わかったりわからなかったり の話の中で つまり 犬じゃないものじゃないものが犬 という 言葉に ぐっときたわけ。 そうなんだよね 決めたいんじゃないの でも 決めていいの 自分ではそう決めればいいけど 人は違うのよね 動物園でぶらぶらしてたら 通り過ぎたこどもたちの集団、 タテガミオ

          犬じゃないものじゃないものが犬

          うちの犬たち

          犬が2匹いる 1匹目はジョブス ミニチュアダックス オス、来月7歳 2匹目はダーウィン ペキニーズ オス、1歳半 こどものときから 動物好きで でも飼っちゃダメな家だった 今となっては それでよかった きっとこどものときじゃなかった 私の犬といる日々は。 いつかムツゴロウ王国に行きたい と思い その想いが終わっても、 いつか動物と暮らしたいと言う思いは ずっと持ってた。 お金がかかるのはちゃんとわかってて 残念ながら お金に困らない日々は なかなかこなくて

          非色

          差別の只中 差別すると 差別される の間を 行きつ戻りつ しながら 色ではないのだ という それは あいまいな 色で はっきりした 国のなかで 生きてきた私には 到底 気づけない 感覚と視点と世界 だった 私は果たして 本当に 差別しないで 生きているだろうか 団塊のひとたちは なんて 言ってるよな 日本人だけど 日本人代表に なるつもりはないし 日本人であろうとも 日本人をやめようとも 思わない 多分 私がナニジンかを 決めるのは 私であり 他人であ