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スピード感というビジネス競争力の貴重さ

会社づとめをしていたころ、広報・IR業務を担当していた。

IR(Investor Relations:インベスター・リレーションズ)では、新規の機関投資家との面談をする機会が多々あって、初回は必ず基本的な会社の沿革、ビジネスモデル、組織体制、強みなどを説明する。

強みの説明のさい、しばしば「スピード感」を強みの一つとして挙げた。
ただ、どうも「スピード感」は機関投資家のファンドマネージャーやアナリストには刺さらない。「へー。ほかには?」と次を促される。

そういう反応が多くて、いつしか「スピード感」は説明に使わなくなった。「スピード感ですかねぇ……」という発言の後に流れる、スベった後の気まずさみたいな空気も不本意だった。

なぜ「スピード感」という説明は受けない、刺さらない、アピールにつながらないのだろうか?

考察、説明してみたいと思う。その後、おおいに反論を述べたいと思う。


なぜ「スピード感」は受けないのか

ぼくはビジネスにおける「スピード感」を、貴重な要素だと思っている。基本的なケイパビリティ(組織能力)でありながら、磨きあげればすばらしい競争力となる。

ただ、機関投資家のような分析家には「スピード感」は知的好奇心をくすぐられないらしい。どんな会社でも、やろうと思えば模倣できる気がするのだろう。シンプルにバカっぽい、と思われているのか。

「拙速」ということばがある。

もとは孫氏の兵法にある「拙速は巧遅に勝る」である。すこし拙くても早めに仕上げたほうがよいというポジティブな意味合い。ただ、現代では考えが浅くて軽率、といったネガティブなニュアンスが付加されている。

ビジネスマンたるもの、どっしりと構えて、落ち着きがない様子を見せてはいけない。そうでないと相手や周囲に軽んじられる、そんな空気があるように思う。それなりの規模の企業になると、なおさらである。


スピード感が貴重な4つの理由

単独で動ける個人事業主なら別だけれど、それなりの規模の企業や組織で、スピード感を持ち続けるのは貴重な競争力なのだ。理由を4つ挙げる。

①市場環境の激しい変化

デジタル技術による変革の必要性や、脱炭素や気候変動といった環境への配慮が提唱されている。経済成長じたいを否定する「脱成長」といった主張もある。

既存の価値観が見直されはじめた環境の中では、スピード感をもって「高速に失敗する」ことが求められる。トライ&エラーを繰り返し。そういう環境下で、スピード感は貴重な競争力になりうる。

②リスクを受け入れる企業文化と仕組み

企業や組織では「リスク管理」「ガバナンス」「内部統制」の名のもとに、知らないうちに手続きが増えたり、意思決定にかかる時間が長くなるなど、スピード感がなくなる。大企業病とも言われる。

一方、ベンチャー企業など若い集団ではリスク管理のための適正な手続きが取られず、裁量とともに責任も現場任せになりがちになる。リスク管理とのバランスの取れたスピード感は貴重な競争力になりうる。

③経営者・幹部の情報収集能力と胆力

迅速な意思決定は、経営者や幹部の度量が問われる。迅速かつ的確な判断にのためには情報が必要になる。日ごろから経営者や幹部が現場の情報収集・共有ができているか、アンテナを張っているかが重要になる。

そして、さいごは意思決定をする度量が必要になる。腹をくくる胆力。権力を持つと部下にリスクヘッジする人間が発生する。そうした経営者や幹部は職務怠慢だが、どんな企業・組織でも起こりうる。だからこそスピード感は貴重な競争力になりうる。

※なお②「手続きが増える」と、③「情報収集」は関連する。
自分から現場に情報を取りにいかない経営者や幹部が、書類上で情報を得るために手続きが増えることがあるからだ。

しかしながら、その書類に乗っている情報に臨場感は無く、現場に行かない経営者や幹部向けに書かれたブルシット・ジョブの産物であり、意思決定の役に立つことはあまり無い。

④会社全体でのスピード感が一致

営業部門がスピード感を持って仕事をしても、商品・サービスを開発する技術部門や生産部門にスピード感が無ければボトルネックとなり、スピード感は生まれない。営業や技術など現場部門にスピード感があっても、牽制して止める管理部門の権限が強すぎると、スピードは失われる。

個人では営業と技術、管理が1人なので難しくないが、会社や組織がスピード感を維持するためには、経営者の度量や胆力のもと、すべての組織の感覚が一致していないといけない。そうした組織はまれで、ゆえにスピード感は貴重な競争力になりうる。


スピード感がビジネス競争力となる具体例

キーエンスの象徴「全商品当日出荷」「全商品在庫あり」

スピード感を強みにしていると言えばキーエンス。工場向けセンサーのメーカーであり、驚異的な利益率を誇る企業。ちなみに、企業規模のわりに情報発信に消極的な企業としても知られている。"質実剛健"の社風である。

日経ビジネス記者が、同社の社員やOBへのインタビューを通じて同社の強みをまとめた『キーエンス解剖——最強企業のメカニズム』を引用する。

「全商品当日出荷」「全商品在庫あり」——。キーエンスのウェブサイトには、こんな文句が躍る。同社の象徴の一つである「即納」だ。

「ソクノウ」と社内外で呼ばれるこの体制は、顧客からの注文を受け取ったらその日に出荷する「当日出荷」のこと。顧客が「欲しい」と思ったときに、代理店などを経由するメーカーと比べてすぐに商品を入手できることを付加価値の1つにしている。
(中略)
工場の生産ラインで使われるセンサーなどは、どうしても故障することがある。交換用のセンサーを持っていない場合、メーカーから新しいものが届くまで生産ラインを止めざるを得ない。ラインを一日止めると、扱う製品や規模によっては数千万円から数億円分の商品を生産できなくなることもある。もし納入まで1~2週間ほどかかってしまえば、損失は膨大な額になる。

西岡 杏(日経ビジネス記者)『キーエンス解剖——最強企業のメカニズム』

製造業では、たった1日生産ラインが止まるだけで、数億円の利益が飛んでしまう。この本の中で、キーエンス中田有社長のコメントとしても「『当日出荷』に対する強い思い。営業から生産管理、調達、物流、協力工場に至るまで全力で取り組んでいることが、他者との圧倒的な違いです。」とある。ビジネスの世界において、厳密さと同時にスピード感が重要な好例と思う。


真のスピード感は模倣困難な競争力である

顧客の及第点に届かない品質の商品・サービスや、許容不可能なリスクと引き換えのスピード感では、そもそも競争の土台に立てない。しかしながら、適正なリスクと、一定の品質の商品・サービスをスピード感をもって提供することは十分なビジネス競争力になりうる。

それを許容できるのは経営者や幹部の情報収集能力や意思決定をおそれない胆力である。維持させているのは、会社が一丸となった意識である。組織間の衝突やすり合わせの手間を惜しまないマインドも必要だ。

外部の分析家や批評家からすると「スピード感」は軽んじられがちである。そして一口に説明しづらく、競争力として意識にも上らない。

しかし、真のスピード感は模倣が困難なビジネス競争力である。変化の激しくなる変革の時代だからこそ、この強みを持ち続ける企業や組織は、さらに成長し発展していくだろう。と、願うばかりである。

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