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人間おかめ弁当


おばちゃんたちはどうしているのだろう

京都、柳馬場竹屋町の角にその定食屋「おかめ」はあった。昔、45年ほど前の一時期、ほんの短い間だがそのあたりの友人が勤める広告制作プロダクションに中途半端に勤めたことがあった。
朝9時から夜中まで帰れないという忙しい事務所だった。 その忙しさは、それから先の人生をどうしたらいいのか考えあぐねていたぼくに、ああだこうだとつまらぬことを考える隙を与えてくれなかった。考えることなく、言われたことを、言われたようにこなす。そんな毎日だった。
こんなことで、いいのか悪いのか……、と少しでも思った瞬間、
「ちょっとこれやって!」
と声がかかるのだ。 唯一息抜きができるのは、交替でとる昼食休憩だった。
ぼくは毎日のように「おかめ」に通った。メニューはただひとつ「おかめ弁当」だけ。席につけば、何も頼まずとも、弁当がすっと出てくる。10分ほどでそれを黙々と食べ、事務所に戻り、また慌ただしい作業に没頭するのだ。
一度だけ女将さんにたずねたことがある。どうして弁当だけなのかと。
「けど、毎日おかずはちがうもんいれてるしねえ」
そんな返事だったような気がする。
外面は同じでも中身はちがう……。
その時、少しだけわかったことがあった。 毎日24時間、外から見れば同じようなことをやっていても、やっている中身はそれぞれまったくちがうことなンだ。そう思えば少々の忙しさなんて、どうってことないやと。そして思った。〈人間おかめ弁当〉を目指そっと。中身で勝負だ!
懐かしいその店を訪ねた。店は閉じられていたが、ガラス戸に懐かしいおかめが笑っていた。
「あれからあんたはどうしてた?」
そんなことをたずねられているような気がした。

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