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解体すべきもの


焼け跡から見つかった紙焼き。岡林信康が写っている。撮影:甲斐扶佐義

もう7年以上前になる。ほんやら洞が焼け落ちた翌日。取るものもとりあえず、ぼくは京都に飛んだ。
そして、後片付けを手伝いながら、解体を待つほんやら洞の暗闇の中で、解体されるものについて考えていた。それは、ひょっとすると、今なおぼくの中でくすぶり続ける70年代に対するノスタルジーなのかもしれないなと思った。
あの頃からぼくは、どうやって時を重ねてきたのだろうか。
あの頃目指した何かを手に入れることができたのだろうか。

何よりもぼくは成長してきたのだろうか。
闇の向こうに何かが見えるだろうかと目を凝らしてみたが、何も見えては来なかった。
だが闇に目が慣れてくると、あの頃のままのぼくが、暗闇の向こうで喪失感に耐えきれず泣いているような気がした。一方で年だけとり、何も変わっていない自分に黒い笑みを浮かべるぼくを強く意識した。
よりどころ、ふるさと、原点……。ほんやら洞を語るとき、必ずそんなことを口にしていた。だがそれは、前へ進むことを放棄した自分への言い訳ではなかったかだろうか。ノスタルジーはやがて連帯という甘えを求め、自分自身と対峙し自分自身を先鋭化させる力を鈍らせる。

連帯を求めて孤立を恐れず

ほんやら洞のテーブルのそんな落書きも一緒に焼け落ちた。
すべては幻影だったのかもしれない。
解体されるべきは、ノスタルジーに溢れる幻影に雁字搦めになっていたぼく自身なのだ。
解体を待つほんやら洞の暗闇は、そんなことを教えてくれているようだった。

ほんやら洞は様々な運動、活動、そして何より対抗文化の拠点だった

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