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さよならだけが人生だ


祖父さんに手を引かれて行った酒場。60年以上の付き合いになる

酒が飲めるようになった息子を伴って、久しぶりの京都の店を数軒訪ねた。
「静」や「たこ入道」「たつみ」「スタンド」「サンボア」など、もう50年近く通っている店ばかりだ。中には祖父さんに手を引かれて行って、60年以上顔なじみの店もある。鹿児島に移って27年、その間年に数回しか顔を出さなくなってしまった。でも、たまに行くと、ああ、故郷京都に帰ってきたなと、ほっとすること頻(しきり)だ。
そこで息子相手に昔の話をする。自分がちょうど息子の年頃だった頃の話だ。どんなふうに酒を飲んでいたか、どんなふうに遊び回っていたか、どんな女の子と付き合っていたか、いかに適当に、いかにいい加減に生きていたか……。そんなことを自嘲しながら、楽しみながら話して聞かせる。そうして、ああ、年をとったなあと思う。

久しぶりでも笑顔で迎えてくれる

だが、ぼくは自分の父親とは終ぞいっしょに飲み歩くなどということはなかった。
「お祖父ちゃんは心残りやったやろなあ。親父と呑むのはけっこうおもしろいで」
息子はそう言って笑った。
「確かにな……」
それはぼく自身の心残りなのだ。どうしてもっとこころを開くことができなかったのだろう。
「この盃を受けてくれ!」
グラスを高々と突き出した。
「花に嵐のたとえもあるぞ」
そう言ってグラスを空けた。
「なに、それ?」息子が不思議そうに聞いた。
少々酔った勢いで出てくるのは井伏鱒二だ。歳をとったということだ。
「さよならだけが人生だ!」
どこかで父が笑ったような気がした。

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