見出し画像

「面倒くさいから考えない」人を否定しない組織開発

「なぜ?」という問を5回繰り返すと真因にたどり着く、というメソッドがあります。生産現場では、「なぜ?」が「どこで?」に向かうために具体的な解にたどり着きますが、それ以外の場面では、問題が抽象化していきます。抽象化された問題は、それが真因だとしても解決に向かう具体的な方策は生まれません。抽象化された問題から、新たに思考を展開して具体的解決策を見出すほかないのです。このように、問題解決のプロセスは、昨今の“タイパ”重視の風潮とは真逆の行為といえます。でも、だからといって思考を停止すれば、堂々巡りを繰り返し、求める解を得ることはできません。

それでも組織は、効率を求めます。そして多くのヒトもまた、思考を面倒くさいと考えます。

例えば、KPIの名の下に、達成すべき目標を数値化することで、組織もヒトもすぐに動くことができます。そこで多くの組織が、KPIを導入しています。KPIの導入には、評価制度が深くかかわってきます。そのため、一旦、KPIを導入すると、簡単には変更できなくなります。多くのKPIが、「そうであるはずだ」という推論に過ぎないにもかかわらずです。意思決定の遅延やイノベーションの枯渇といった問題は、KPI(数値管理)に頼ろうとする『問題の単純化』にこそ原因があるような気がします。

それでは、流行のAIに頼ってみてはどうでしょうか。生成AIで作成したコンテンツを再び生成AIにかけると、オリジナルにはないノイズが拡張されます。したがって、この作業を繰り返せば繰り返すほど、オリジナルとはかけ離れたものを生み出す(品質の劣化を起こす)ことになるそうです。機械学習は共通項の抽出(平均化)なので、データ数が多くなればなるほど、最大の共通項がノイズになってくるというわけです。さらにAIは、良し悪しという基準を持たないので、求める結果からかけ離れても気づきません。それでは、「なぜ?」を繰り返し問い掛ける問題解決を、AIに任せることはできるのでしょうか。

ヒトには、考えてから走るタイプと、考えながら走るタイプがあるといわれます。前者を論理的、後者を情緒的と表現することもあります。組織におけるゴーイング・コンサーンが“今”の連鎖による“結果”であると考えるなら、今、走っているという実感を持つことが必要であるように思われます。考えてから走るという思考では、考えている時間を停止しているように錯覚し、だから停止時間を短くしようという発想が生まれるのだと思います。換言すれば、論理的であろうとすると、停滞を招き、誤った方向に固執したりする危険があるということです。

考えながら走るとは、「どうなるかは、やってみなければわからない」ということです。これを実現するためには、失敗という概念を捨て去ることが必要でしょう。やりながら考えるわけですから、「やっぱり、あっちの道かな」と方向転換するだけであって、失敗ではないと捉えることです。むしろ、「あっち」がより正しそうだという“発見”をもたらしたとして評価すべきでしょう。しかし、それでは、どのくらいコストがかかるかわかりません。したがって、リスクマネジメントが重要になってきます。リスクマネジメントとは、「それはダメ」と制止することではなく、「ここまでならやって良い」と範囲を示すことです。

ちなみに、いつ達成されるのかという問は愚問です。走り続けるわけですから、ゴールなど、そもそも設定できないのです。「ゴールがなければ…」という発想は、論理に囚われているといえるでしょう。大病を克服したブーニンがピアノ・リサイタルを開きました。ブーニンは「まだまだだ…」と演奏に満足はしていません。それでもリサイタルを開き、人に感動を与えています。ゴールを目指すことは、モチベーションにはなりますが、求める”結果”ではないということです。なので、ゴールはあくまで”とりあえず”というものに過ぎず、途中でコロコロと変更するのが当たり前のものとして捉える必要があります。その点で、目標管理制度における”目標”とは、全く異なる概念です(目標管理制度そのものが、KPIに、論理に支配された幻想だと思うのですが…)。

効率が悪いということも、面倒くさいということも、単に“停止”という錯覚が生み出しているもののように思われます。だから、何かに頼ったり、わかりやすくしようとしたりする必要もないのではないでしょうか。ただ、動いている(進んでいる)という実感が持てる組織であることが必要なのだと思います。

↓↓↓ 研修・講演・執筆・コンサルティングのご照会 ↓↓↓
https://office-okajima.jimdosite.com/

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?