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これから学びたいアート構造を持つ組織開発

「組織とは、何か?」という問に対しては、バーナードの定義が語られるのではないでしょうか。確かに、産業革命以降は、合理によって事象を解釈することが“わかる”ということでした。しかし科学(合理)は、わかっている範囲の中だけで正当性を示すものであって、事象すべてを明らかにするものではありません。

組織は作為物です。その点で合理に基づく存在と言えるでしょう。しかし、それがヒトによって成される以上、その合理は自然との対話によって明らかにされるべきものだと思うのです。例えば音楽において、作為としての長調が感情として明るく受け取られ、同様に短調が暗く感じると整理され、位置づけられたように、組織もまた、事象(作為)と感情(自然)を結び付けて考える必要があるのではないでしょうか。

スタートアップ企業では、企画開発・制作・営業・経理・総務など、それぞれに役割が分担されますが、実体としては、メンバー全員が当事者として関わっていくことでしょう。しかし規模が大きくなると、それぞれが部門として独立していくことになります。そのため、他部門の状況においても当事者意識を持つ論理手段として、様々な“会議”が設定され、合意(実態はディベートによる説得)に基づく企業運営がなされていきます。さらに、それも意思決定の遅延に繋がると合理的に判断されると、事業部制、さらにはカンパニー制、ホールディング・システムと独立色を高めていくようになります。そして現在、メンバー個々人の抱く“想い”が組織運営に反映されないということが問題になっています。つまり、科学的組織運営、換言すれば作為だけで造られた組織に居ることが、自然体としてヒトには耐えられなくなっているのではないでしょうか。

アントン・ヴェーベルンは、「音楽は耳の感覚に対する合法則的な自然である」と言いました。現代アートでは、例えば千住博氏のように、偶然性の中に美を創造する作品が、多数、発表されています。翻って組織を俯瞰するなら、個人の目標と組織の目標を論理によって明示的に一致させることが組織の一体性を表す(強固にする)のではなく、その組織に居ることが個人の目的に適い、その個人が居るという状態が組織にとって必要十分であるように開発していくことが、今、求められているように感じます。そして、それがインクルージョンと表現されているのだと思うのです。

優雅に湖面を漂っているように見える白鳥も、水面下では流れに飲み込まれないように必死に水を掻いています。今、在ることは自然であり、かつ、無作為ではないということです。つまり、その連鎖が、概念としてのゴーイング・コンサーンに繋がるように思われます。これは、おそらく数値管理では成されない次元でしょう。そうであるなら、進歩・発展・革新は、その瞬間に“見て”わかるものではなく、振り返ったときに“感じる”ものとなるでしょう。そして21世紀の組織は、このような「合法則的な自然」な存在になっていくのではないでしょうか。

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