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笑えない漫才にもストレスなく共感的に評価できる、ウェルビーイングな組織開発

ただ絶叫するだけの笑えない漫才に対しても、共感しながらその笑いを分析する審査員は、さすがにプロだと思わせます。一方で、介護施設、障害者施設、保育園といったところでの虐待の報告が、後を絶ちません。“共感力”のあることが当たり前と思っていたのに、それが担保されていないことへの驚きを伴うからでしょう。

一般に共感力とは、他人の感情や考えを理解し、自分も同じように感じることができる能力と説明されているようです。ここには、意識的に共感する認知的共感と、無意識のうちに共感してしまう情動的共感があると説明されます。ここからは、共感力が人の資質であるかのような印象を受けます。

「会社はもっと給料を上げるべきだ!」という声に対して、「そうだ、そうだ!」と応えることは、共感でしょうか? これは“同調”と呼ばれているもので、共感とは異なると理解すべきでしょう。

「会社が給料を上げるよう談判しに行こう」という誘いに対して、「私もそう思っていたよ」と応えることは、共感でしょうか? これは“同感”と呼ばれているもので、共感とは異なると理解すべきでしょう。

「今の給料じゃ子どもの学費も払えないよ…」という嘆きに対して、「そりゃ、そうだよなぁ」と応えることは、共感でしょうか? これは“同情”と呼ばれているもので、共感とは異なると理解すべきでしょう。

これらの例は、いずれも、自身が“同意”することを求められています。そして同意を強制されれば、相手は満足するかもしれませんが、自身は不満足な状態、すなわちストレス状態に陥ります。日常的にストレスを抱えるようなことを、自らの生業とすることはできないでしょう。

共感には、理解する部分と感じる部分の2つがあります。後者は個人の資質に依るものですが、前者は技術(スキル)によっても獲得できるものです。すなわち、スキルを獲得すれば、同意を必要としない受け応え方が、一応はできるということです。

「会社はもっと給料を上げるべきだ!」という声には「もっと給料を上げたいんだ」と、「会社が給料を上げるよう談判しに行こう」には「談判したいんだ」と、「今の給料じゃ子どもの学費も払えないよ…」という嘆きには「学費が大変なんだ」と応えることができます。この応答には、自身の考えが含まれていません。したがって、自身を偽る必要もなく、ストレスを抱えることもなくなるのです。

もちろん、これだけで終始するようでは、いわゆる“受け流す”ことになってしまいます。そこで、より本質的な“解”へと導く必要があります。給料を上げたいのは、なぜか? 月給は上げられなくても、ボーナスは上げられるのではないか? 副業を認めさせることはどうか? 相手が思考を深めるように手助けし、相手が納得するまで続けることが、巷間言われている“寄り添う”ということなのだと思います。換言すれば共感とは、このような本質的な“解”へ進むための入口になるものと考えられます。だからビジネス・コミュニケーションでは、スキルとしての共感も十分な効果を発揮するのだと考えます。

相手に寄り添うためには、合理ではなく感情を承認していくことが大切です。しかしそれは、決して感情に流されることではありません。感情を大切にするためのスキルとして合理を活用する組織が、ウェルビーイングな組織になるのではないでしょうか。

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