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責は諸君にあらずしてこの日比翁助にあつたのである~三越の古典に学ぶ その11~

日比翁助専務は理と情を兼ね備えた経営者であった。今では問題視されてしまうだろうことだが、寝食を忘れて仕事に打ち込む従業員を見て感涙するそんな姿があった。

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◎食事時間に食事も出来ぬ多忙
客が少し多く立て込んで来ると夫れから夫れへと忙殺されて寸暇だもなくなる。併し如何に多忙であつても決して客に対し不親切の待遇を許さぬ。出来る丈鄭寧親切を旨とし客が混雑して来ると午食の時間が来ても客を置き去りにすることが出来ぬ。飽くまでも満足を与へんとするから時間を失ふ事が常である。故に食堂に行くと飛んでもない時間に食事をして居るもののみで、規定の時間に食事をして居るものは極めて少数である。

独り傍目もせず奮闘するのみならず、仕事の都合では夜業までするものもある。季節ににより又は特殊の事情に依り別に命令しなくとも必ず夜業して一日の仕事は其の日の中に始末し、翌日に持ち越さぬ様に心掛けて居る。斯く夜になつてし、燈火の下、彼等が孜々として其仕事を始末して居るのを見ると、私は一掬の感涙、彼等に感謝せざるを得ないのである。

◎店員に対して言明した私の懺悔
私は曾て店員に懺悔したことがある。私が三井呉服店(三越と改称する以前)に入つた頃、客が見えない時は店員中に或はあくびしたり爪の垢をほじつたり、互ひに空談を交へたり惰容を示すのを見、深く之を憤慨して店員に対して時々苦情を唱へたことがある。

然るに其後に至り之等の弊風は一掃された。既に売り場に就いて居る店員はキチンとして少しも乱れた所がない。何処から見ても一点の乗ずべき隙もなくなつていた。全く別人となった感がある。

私は爰に於て一日店員に懺悔した。『私は曾て諸君があくびをしたり爪の垢取りをしたり惰容を示したのを見て、常に苦情を唱へた。併し今日になつて見れば私の苦情は過つて居た。責は諸君にあらずしてこの日比翁助にあつたのである。

当時は今日に比すれば来客の数も少なく、従つて諸君も閑散の余り惰容を示したのである。且は日比翁助の経営宜しきを得ず客を吸収することが出来なかつたからで、若し今日と同じく客を吸収することを得たら諸君も亦必ず今日と同じく奮闘されたであらう』と云ふたことがある。

之は一場のお世辞でも何でもない。私の衷心よりさう信じて居る。手におへぬ程の客があるから店員も益々励みを得て愉快に奮闘して呉れるのである。

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お客様を集客できない自分が悪かったと素直に詫びる素直さが従業員から尊敬され、慕われた要因だったと思う。

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