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回顧録 2014~2017年


どんな時期?

大学に入学して、サークルで出会ったジャグリング頑張ってた時期。

2014年

4月に北九州市立大学に入学
「やりたいことがあったらすぐ飛びついて全力投球しよう」
の思いで、時間を調整しやすい文学部を選びました。

大学は人生の夏休み(遊びまくれる)と聞いていたものの、
実家の生活も苦しくリーマンショックの後だったこともあり、
将来、直近だと就活に役立つ何かを求めていました。
時間を忘れるくらいハマれるものに打ち込みたいと思い、
ほとんどのサークルに見学に行きました。

ジャグリングサークルで触れた、ディアボロという道具にどハマり。
偶然高校時代からのお友達である津田くんが1年前からやっていて、
条件もいいので頑張ってやってみることに。

ディアボロ

ディアボロを始める

サークルには入っていたものの盛んではなかったことや
津田くんとの練習が何より楽しかったこともあり、
近隣で最もハイレベルだった九州工業大学のサークルに
よくお邪魔して練習に参加していました。
その時に現在の妻や、毎週遊んでいる神野くんにも出会っています。

競技者に

12月に競技会(フィギュアスケートみたいなルール)が福岡で開催され、
歴2年未満の新人が出る部門にエントリーしました。
相対的に見て結構な自信を持って挑むも、全ミスして最下位に。
しかし奇跡的に大会の主催者である齋藤さんに気に入ってもらえて、
個人的なやりとりをするようになりました。
齋藤さんはその前年から日本ディアボロ協会を立ち上げ、
いまも競技会を開いたりしながら業界の発展に尽力している人です。

この頃から、ずっと教えてくれた津田くんや期待してくれる齋藤さんに
いい演技をする姿を見てもらいたい気持ちが高まり、
これまでより熱心に練習し始めるようになっていきます。

2015年

新人戦

3月に東京で、全国の歴1年未満の新人が戦う競技会があるとの情報を受け、
それまで毎週通っていた塾のバイトを減らして頑張ることに。

塾バイト帰りや練習帰りにお世話になったラーメン屋

中3の時に半年で偏差値を33あげてくれた家庭教師とのやりとりが、
ディアボロ上達の鍵になったので紹介します。

僕「先生、英単語全然覚えられません」
「健太くん、1万回書いた?」
僕「は?」
「いいから書いて」
--------------------1万回書く--------------------
「覚えられました」
「覚えるまで書いてないのは、覚えられないんじゃなくて健太くんの怠惰です」

アホみたいな話を信じてアホみたいに練習して
3位になることができました。
思えば学生時代から、何かで目立って表彰されることなんかなかったので、
あの晩に津田くんや齋藤さん達と食べた担々麺の味は今も忘れない。
と言いたいところですが、ふわふわしていたので忘れました。

アジアカップ

新人戦の後、齋藤さんがアジアカップに誘ってくれました。
台湾で6月に開催される、アジア中のエグい奴らが出る大会。
新人の中でちょっと勢いがあったぐらいのクセに、
思うところは色々ありつつも予選に動画を送ったら通過。
通過するなんて考えてもなかったので、
日本に泥を塗らないように大慌てで練習するも本番では選外。
良くも悪くも業界内で有名人になってしまいましたが、
今でも全国各地にお友達がいるのはあの頃の挑戦のおかげですね。

台湾の街で撮ってもらった写真

大阪ディアボロコンテスト

アジアカップのための練習が少し遅れて芽を出したのか、
翌月に大阪で行われた競技会で、初めて歴を限定しない部門で
3位になることができました。
未熟な新人のアジアカップへの挑戦に心無い言葉もありましたが、
ほんとに出て良かった。

大切な思い出だから今も写真残してる

昨年のリベンジ

そんなこんなで12月を迎え、昨年最下位になった競技会が。
今度こそ地元で優勝したいと思って挑んだものの、
1ミス差で準優勝でした。
今でもあの頃の自分の闘志溢れる姿に負けてないかな?と思ったりします。

2016年

競技から離れる

体調の問題もあり、競技に出るのが徐々に難しくなってきました。
ニッチな業界とはいえ知名度が上がってきたところだったので、
なんでもいいからアイデンティティを確立したいなと思い、
まだ九州に少なかった競技会を自分で開くことにしました。

主催者として

夏に開いた世界一ダサい名前の競技会「リキヒサ杯」
2024年4月現在、力久という苗字は全国で8,731位で約900人。
その中でジャグリングを始め、競技会を開くような稀有な者が出なければ、
今後も唯一無二の存在であり続けると思います。

リキヒサ杯では、ちょっとした発案から広報をして運営をする。
当日のトラブルを想定した準備や集金方法、経費の計算など、
僕が後年に経営をする際に、少なからず役立つ経験ができました。
ちょっとクサイですが、周囲の人たちにめちゃくちゃ支えられて、
そういう喜びを味わえたのも良かったです。

この期間に学んだこと

・「経験値は変換できる」
 →勉強で生きたことがディアボロでも生きた

・「批判されても挑戦はやめないほうがいい」
 →アジアカップ挑戦して良かった!でも調子に乗っちゃダメ

・お金を集めるイベント運営の楽しさと大変さ
 →いまの経営の種になってる感じある

次回予告?

そんな風にプレイヤーとして充実した時間を過ごし、
主催者としてもいい経験をしていた3年間でした。
しかし新人の頃から実力を顧みずに競技の場に出ていたことを
快く思わない近隣の先輩や同輩なども少なくなく、
そんな中で謙虚に振る舞うどころか尊大になっていく僕を、
なんと津田くんまでもが腹立たしく思っていたことを知りました。
寂しさと驚きと若さによりお互いの不器用さが全てを悪い方に曲げ、
二人ともジャグリング界から姿を消すことになりました。

時を同じくして彼女になった今の妻。
二人でジャグリングを辞めて二人で始めた趣味の世界に飛び込むことに。
新しい世界での挑戦はどうなるのか!

前回より長くなっちゃいました。
思いのほか評判が良かったのでつい。
ご清覧ありがとうございました!

今は津田くん超仲良い。いつもアイス一口くれる。


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