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60代ASD、初の海外(トルコ)に挑む(17)トロイアからイスタンブールへ


門前の吟唱

トロイア遺跡には閉門時間があった。なかったらずっといたかったがもちろんそうはいかない。
そそくさと門を出たところで、吟遊詩人のSさんが「イリアス」の第1歌冒頭部に自作の曲をつけたものを歌ってくださった。本来なら遺跡内で、との思いは歌い手も聞き手もともに持っていたであろう。
旋律だけが夕暮れの中を流れていく。リズムはもちろん長短短をつなげていく英雄六脚律。ああ、だれか太鼓を持っていればいいのに、と思った。(もちろん本来は竪琴での弾き語りということだが、竪琴を空輸するのは難しいそうだ)

トロイの木馬

「トロイア」という名前は、おそらくこの「トロイの木馬」という故事成語によって知っている方が多いだろう。むしろコンピュータ用語としてより知られているかもしれない。

(16)の博物館内写真にもあったが、トロイア遺跡には観光客向けの木馬があった(上って窓から顔を出せる)。だが、今は改装中でその姿は全く見られなかった。ツアーの同行者は遺跡に関心のある方々なので、この観光目的の木馬にはあまり関心を引かれないようだった。

改装中?の「木馬」。皆あまり興味がないふう。

しかし、もう1頭の「木馬」に私は出会うことができた。この日の宿はトロイアを擁する都市チャナッカレにある。そこへ向かう途中の海際にそれは置かれていた。まるでトロイア戦争の「木馬の計」そのもののように。

チャナッカレの海際に置かれた「木馬」

この「木馬」は2004年に制作された映画「トロイ」で使われたものだそうだ。車窓から見ただけだが、なんだか本当に神話の中にいる感じがした。

ダーダネルス海峡


翌10月3日、目の前のダーダネルス海峡をフェリーで渡って、マルマラ海沿岸沿いにイスタンブールを目指す。
8:00のフェリーに乗るために、7:15にはスーツケースを廊下に出し、7:45にはホテルを出るバスに乗るか、フェリーの出る10分前に、500m先のフェリー乗り場に行っていなければならない。

私がクシャダスで回復し、温存してきたつもりの体力は、昨日1日で使い果たしていた。それ自体はまあ、間違っていない。
問題は体力が減ると頭の回りも悪くなるということだ。

私は服装の選択でミスを犯した。遺跡の山登りがない日なので、唯一持ってきたスカートとそろいのブラウスを選んだのだ。さらに問題だったのは、その日の気温を確かめず、せっかく持ってきたストッキングをスーツケースに入れてしまったことだった。

ダーダネルス海峡には、ようやく訪れた秋の風が吹いていた。その風は私の体温を容赦なく奪った。

エーゲ海とマルマラ海をつなぐダーダネルス海峡を、西に向けて横断する。風が冷たい。

渡った先には第1次世界大戦の激戦地ゲリポルがある。そこは国立歴史公園となっていて、敵味方双方の慰霊をしている。
私はバスを降りられなかった。降りて歩く体力があるように感じなかった。

バスはマルマラ海に沿って、私たちが最初に降り立ったイスタンブール、東西の架け橋である最後の目的地へと向かった。

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