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60代ASD、初の海外(トルコ)に挑む(10) エフェソス遺跡1


エフェソスへ

2日間の休息のおかげで、体調は何とか少し戻った。朝食の席で先生に「昨日は行けなくて残念だった」と言ったら「それよりその前の日の方を見せたかった」と言われてしまった。一言もない。

私はバスの前から2番目(車酔いしづらい)に座るように言われた。ごもっともである。私は自分を過信していた。あるいはついて行けると思われたかったのかもしれない。

ともかくバスはエフェソスへと向かう。今日はこの遺跡を見て次の宿泊地ベルガマへ。また200㎞の旅程だ。

エフェソス遺跡

エフェソスは紀元前7世紀中ごろからあるエーゲ海の港町で、内陸への重要拠点として手を結ぶ勢力を次々と変え、時々位置を変えながらローマ時代まで繁栄した。だがついに川が湾をすっかり埋めてしまい、都市はすたれてしまったそうだ。

その遺跡は広大で、時代も長く、また復元もよくされている。有名なアルテミス像(後述)のあったアルテミス神殿から公衆トイレ(!)に至るまで。

案内看板。一帯すべてが遺跡だ。

ケルスス図書館

その中でも私が最も見たかったもの、それは図書館の遺跡だ。
古代のパピルス文書は多くが失われている。保存性が悪く、筆写によって受け継ぐ必要があったからだ。歴史的に有名なのはアレキサンドリア(エジプト)の大図書館で、ヘレニズム期のすべての文書がここにあったと言われている。だが、今そこには何一つ残っていない。

ヘレニズム期エジプトを舞台にした「アサシンクリード・オリジンズ」というゲームの中に、このアレキサンドリア大図書館が描かれている。このゲームは歴史考証がきちんとなされているのだが、その時参考にしたのが、このエフェソスの図書館だというのだ。これを見ずしてどうしようというのか。

図書館の入り口。知ってはいたが2階建て!すご過ぎる。

エピステーメー


そして図書館の入り口には4柱の女神像がある。その一番右の女神は「エピステーメー(知識)」なのだった。

エピステーメー像。台座にΕΠΙΣΤΗΜΗ ΚΕΛΣΟΥ(ケルソスのエピステーメー)と書かれている

「ΕΠΙΣΤΗΜΗ(エピステーメー)」というこの名前に、私は思い入れがある。
大学時代、学生協の書籍部でこのタイトルの雑誌を見つけた。ギリシャ文字に反応して(高かったが)読んでみた。背伸びというほかはない。
それは哲学の雑誌で私には難しすぎたが、当時大好きだったアニメを取り上げている記事があった。わかるものがあってとても嬉しかったので、この言葉は心に残り続けたのだろう。
40年以上たって、こんなところで再会するとは。私はこの女神の御心にかなってきただろうか。

もちろんほかにも数々の遺跡がある。いくつか写真を挙げておく。

都市がどれほど広かったか、想像するに余りある。
山からの水が都市を潤していただろう。大浴場もあった。
ギリシャ文字が彫られている柱。そこら中にある。読めなくて悔しい。
大劇場を背にした私。この旅行内で人に撮ってもらった数少ない写真の一枚。

流石にこれだけの著名な遺跡ともなると、博物館も整っている。
内容が豊富なので、記事はいったんここで切ることにしたい。

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