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60代ASD、初の海外(トルコ)に挑む(5)大帝国ヒッタイト



ヤズルカヤ遺跡

最初に着いたヤズルカヤ遺跡は、ハットゥシャ(ヒッタイト)の聖地だ。
一塊の岩山と見えた遺跡の、狭い岩の隙間を抜けていくと、壁面には神や王などのレリーフがある。

ヤズルカヤ遺跡
本当に狭い岩の間を通っていく
レリーフは薄れているものもある。古いものは紀元前16世紀以前というから驚きだ。

こうした古代のレリーフがそのままの場所で見られることに驚いたが、この驚きはこの後ますます大きくなることになる。

ハットゥシャシュ遺跡

ハットゥシャシュはハットゥシャ(ヒッタイト)帝国の首都だ。
この画像を見てほしい。なんと、大きな山一つが丸ごと古代都市なのだ。

ハットゥシャシュ遺跡。巨大な岩山で、バスで少しずつ上って見学した。

ヒッタイトは紀元前18世紀ごろから12世紀ごろまで(つまり今から4000年近く前から3300年前ごろまで!)、トルコ中央部に栄えていた帝国で、鉄器を持ち、6本スポークの戦車を駆って広大な地域を支配していたという。彼らはアッシリア商人と交易していて楔形文字を使っていた。

私はこの古代文明のことをほとんど知らなかった。エジプトやメソポタミア、後のペルシャのことはそれなりにイメージがあっても、ヒッタイトにはあまり「文明」というイメージを持てていなかった。とんでもないことだ。

山裾からいくつにも分かれた都市遺構が広がっている。
排水溝。これがあるということは給水機構も持っていただろう。
強固な城壁には4つの門がある。これは獅子門。獅子の一方はレプリカで、本物は昨日の博物館にある。
頂上付近の壁に作られた地下道。通るかちょっと迷った。
地下道を抜けた先。こちら側は急峻な崖でになっている。右奥に水源と思われる山がある。


トラブル発生

暑い中、巨大な遺跡を歩き回って私は気づかぬうちに消耗していた。
バスに戻った時、上着を脱いで腕を見ると、何か光っていた。おそらく塩だったのだと思う。

そして、帰り道、何やらよく知っている違和感が襲ってきて、「気持ち悪い」と助けを求める暇もなく、急激に胃が反応した。
手で口を押えたが、無駄な抵抗だった。
酔い止めを朝飲んだきりだったことをいまさら思い出した。

バスは高速道路を走っていてすぐには止まれない。
周りの人が袋やらなにやらを差し出してくれている中、私はひたすら
「すみません、すみません」
と言い続けていた。ほぼパニック状態。

いくばくかして、バスはガソリンスタンドで停止し、ガイドさんが私をトイレに連れて行ってくれた。
そこで胃の中身を出し切るまで、私は動けなかった。
行程を遅らせたことと周りの人に迷惑をかけた申し訳なさでいっぱいだった。
そして、上着とズボン、それに膝に抱えていたショルダーバッグが汚れて、ひたすら気持ちが悪かった。

私は空いていた前の方の席に座るよう言われた。
ホテルへの到着時刻はだいぶ遅れてしまったが、ガイドさんが連絡してレストランを遅くまで開けてもらえるよう手配してくれた。本当にこの人はすごい人だった。感謝しかない。

旅は続く

ホテルに戻って汚れたものを脱いでシャワーで少し濯いで、それ以上の体力は私にはなかった。きちんと洗うのは次の宿にすることにして汚れ物をしまい、スーツケースを荷造りする。朝、出発の1時間ほど前に部屋の外に出しておかないと、バスに積み込んでもらえない。

ショルダーバッグの中身を丈夫な生地の手提げバッグに移し、あとは最低限の身じまいをして、私は最悪(とこの時は思っていた)の一日を終えた。

同室者のIさんは、秋物を主に持ってきたので着るものがないと困っていた。真夏の暑さがまだ続いていた。

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