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ハムサンドと喫茶店のマスター

 「お客さん、ハム関係?」

 他に客がいないこともあって、思わず質問してしまった。やや初老の域に入りかけたように見える二人組の男性は、一瞬驚いた様子で互いに顔を見合わせてから、一人の男が小声で答えた。

 「ええ、そうですが、それが何か?」

 すぐに目をそらしたところを見ると、あまり自分たちに関心をもってもらいたくないということか。

 二人が店に入ってきたときから、その服装にはさりげなく探りを入れていた。かつて警察官だったころの習性だ。喫茶店のマスターになって15年ほどになるが、この習性だけはどうしても抜けない。客商売なのだから、居心地のいい空気を醸し出すことが何より大事だということはわかっている。店側の人間のちょっとした視線の送り方ひとつで、店の雰囲気ががらりと変わることがあるのもわかっている。しかし身体に染みついた習慣は容易には変えられないようだ。

 その二人は、そろって目立たない薄いベージュのズボンを穿き、ゆったりとした薄いジャケット、地味な色合いのポロシャツを着込んでいる。髪はきれいに切りそろえられていてインテリの雰囲気を漂わせている。どちらも見た人の印象に残らない服装を極力選んでいるようだ。着崩しているようで、ほとんどしわが見られない服装は、やはり仕事着ということなのか。

 ハム。警察内の隠語で公安警察のことをいう。刑事警察の自分にとって、同じ屋根の下にいながら全く別世界の人間と言ってよい存在だった。「それはハムさんの案件だから」の一言で上司から捜査の進行を止められたことが何度かある。それ以上首を突っ込むなということだ。人を射すくめるような刑事たちの鋭い視線は見慣れたものだったが、遠目で見た公安警察官たちはとろんとした目つきをしていた。ある過激派組織はカルト的色彩の強いことで知られていたが、微罪で検挙したその活動家たちの目つきが公安警察のそれとどこか似ているのを不思議な思いで見つめたものだった。

 小声で話す男たちの会話の端々から、「通信」、「無線」、「チャンネル」といった言葉が切れ切れに聞こえてきた。思わす話しかけたのは、それらのことばを聞いて、公安警察に対する苦い思いとともに当時の記憶がよみがえってきたからだ。通信傍受の相談でもしているのだろうか。

 それにしても、公安が自ら「ハム」を名乗ることも、人に問われてそれを認めることなど決してないはずだ。いったいどういうことなのか?

 釈然としない気持ちのまま、男たち二人のコップに水を注ぎに行った。先に答えたのとは違うもう一人の男が話しかけてきた。

 「ハムに関心をおもちですか?」

 「ええ、昔からの知り合いに関係者がいましてね。」

 あいまいに答えた。

 「やはり時代の流れなんでしょうかね。近々、うちの支部も閉鎖することになりました。」

 支部?閉鎖?いったいどういうことだ。

 男たちが問わず語りに明かしたところによると、二人はアマチュア無線の民間組織の地方支部の幹部をしているらしい。会員数の減少に歯止めが止まらず、この地方でも組織の存続が難しくなってきたようだ。生まれたときからインターネットが空気のような存在としてある、特に若者たちに、アマチュア無線やハムの魅力をいくら語ってもなかなか心に響かないのだという。

 「災害の時なんかは結構活躍しているし、ネットにはない魅力がハムにはまだまだたくさんあるはずなんですがねー。」

 支部長だという、最初にハム関係者と答えた男は、やはりうつむき加減に語った。

 「コーヒーのお変わりはいかがですか?サービスいたしますよ。」

 「あぁ、お願いします。」

 ハムサンドが載っていた空の皿を二枚そっと引き上げてカウンターに向かった。

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