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「令和」の夜明けー2019年5月特別コラムー

元号が令和に変わる。
僕は昭和生まれで、昭和、平成、令和と3つの元号を生きることになる。
昭和の記憶、平成の思い出、そしてこれから作っていく令和という未来。
これらのことに想いをはせつつ、今回はマガジン購入者様限定のコラムを書いてみようと思う。

◎国学である必要性◎

万葉集からとったとのことで、「初めて国学から採用された元号である」ということが取りざたされているけれど、僕はあまりそこには興味はない。
憲法もそうだけれど、誰が作ったとか、そういったことはどうでも良いと思っているからだ。
だいたい「日本製」であることが、そんなに立派なのだろうか?
様々な商品が周りにあふれているけれど、「日本製」ということを生活の中でどれほどの人が気にしているのだろうか?
僕は日本人だけど、アップル製品が好きだし、ユニクロよりギャップの方が好きだ。
良いものは良い。
誰が作ろうが、どこで作られようが。
アップル信者と笑われようが、多分、これから数年にわたって、僕はアップル製品を使い続けるだろう。
だいたい食料自給率が38%に過ぎない国にいて、「日本製素晴らしい!最高!」と叫ぶ方が無理だと思うのだ。
だから、この「令和の出典は万葉集だ!」だとか、「いやそのもとになったのは漢籍だ!」だとかいう議論はどうでもいいと思っている。
そんなことを言い出したら、法華経という大乗仏教の大事な経典は作者不明だ。
易経も作者不明。
万葉集も作者不明の歌が多い。
それでも、良いものは良い、じゃないか。
まずはそれよりも、内容について語ろうよ、と思うのだ。

◎令は命令なのか?◎

で、令和だ。
この「令」という字が、命令という言葉を連想させるということで、外務省は「beautiful harmony」と慌てて訳しておったわけだけど。
たしかに、漢字の深い意味を知らない外国の方からすれば、命令が日本の右傾化を思わせるのも仕方ないし、外務省がそういう懸念を持つのも仕方ないかな?と思う。
ただ、前述の「beautiful harmony」だけでは、解釈としてたしかに素晴らしい反面、全てを言い表しているわけでもない。

まず、令という字。
これは、白川静先生によれば、「神官がかしづいている形」と言われている。
すなわち、神官が神様の前で跪いている。
そこから「恭しい」という意味が出ます。
ちなみに、この令に口(=くち、ではなくサイ)、すなわち祝詞を入れた宝箱をくっつけたのが命という字だ。

人間の命というのは、やはり人智を超えた存在から、何かしら意味というか役目を与えられている。
そして、生命というのは絶対的ものだ。
やり直しは効かないし、誰一人同じものはない。
どんな人生になろうが、自分で生きていかなければならない。
環境というものに影響されるのは間違いないけれど、相対的ではなくやはり絶対的なものだ。
人間が定義できないような摩訶不思議な存在。
それが命というものなのだ。

そういった絶対的なもののことを命(めい)というわけだから、「命令」っていうのは、割と日本語でも軽く扱われているけれど、そうやすやすと使えるものではない。
神に変わって指示することを命令というわけだ。
知性の低い指導者ほど、簡単に「命令」という言葉を使う傾向があるようだ。
これは僕の経験論だから、あてにならないけれど。

◎令は霊◎

ともかくこの令という字はかしづく、その上で恭しく受け取るってことがある。
と同時に「令」は「霊」に通じる。
もともと霊っていう字が、あまりに画数が多く難しかったので、画数が少ない令の字を代替的に使ったってのは古典を読むとよくあることだ。
漢字というのは、こうやって同じ音を持つと、同じ意味、すなわち働きというか、それこそ「気」というものを持つ。
「気は音で立つ」などと言って、我々姓名鑑定を学ぶものにとっては非常に重要なのだけど。

で、この霊というのは、幽霊っていう言葉からなんとなくおどろおどろしいもののように思えるけど、本来は「神妙な、人間の理解を超えた、素晴らしさ」という意味がある。
そこから、令月だとかご令嬢などといった意味が出てくるわけだ。
ご令嬢って、信じられないくらい神がかって素晴らしい女の子、ってこと。
日本には一体どのくらい「ご令嬢」がいるんだろうか?
いや、全ての生命が絶対的でスペシャルな存在だから、女性は全員「ご令嬢」と言っても良い。
そうした自覚を世の女性には持っていただきたいと願うのは、余計なお世話かもしれない。

◎令は麗なり◎

そして、次に令は麗なり。
美しいって意味も出てくるわけだ。
で、ここでいう美しさっていうのは、造形美ではない。
それは漢字の形を見ると分かる。
これは、鹿が二頭並んで歩くって漢字だ。
鹿っていう字もそもそも中に比という字が入っている。
この「比」という漢字は人が二人並ぶっていう字で、そもそも「並ぶ」という象徴なのだ。
そして、鹿の雄というのは、非常に雄大で。
「鹿の王」っていう本があります。
この本は本当に素晴らしい本だと思うので、ぜひ読んで頂きたい。

話は逸れたけれど、日本でも天照大神の伝令として鹿が選ばれているし、中国の道教でも老子が鹿がに乗っているとされる。
東洋においては神性というか、そういうものの出現した動物として考えられている。
もののけ姫でもシシ神様は鹿だったな。
とにかく鹿というのは非常に神格が高いというか、そういった威厳を与えられている動物なわけだ。
麗という字が持つ美しさというのは、そういった気高さというか品性といううか、そういった美しさを指す。

だから令和は麗和ということで、「これは周囲の国々と並んで歩いて平和を目指す」という意味にもなるわけで、決して「日本万歳!」なんて意味ではない。
「日本素晴らしい!」ってことではなく、「世界と手を繋いで歩こう」「そのためのリーダーシップを日本がとろう」という意味だと僕は勝手に思っているわけだ。
そして、そういった姿が美しい、と令=麗という字が語っているのである。

ネット上には同じ日本人と思えないような、海外の一定の国に対する暴言を吐く輩がいるのが残念でならない。
外交なんていうのは、一般人が簡単に語り尽くせるほど単純なものではないのだから、どんな状況であっても相手への敬意を忘れることはあってはならないと思うわけだ。
本物の知性を磨き、世界に冠たる国になれるかどうか。
そういう意味で、これから教育はもっともっと重要になってくる。
学校教育だけじゃなく、様々なシーンでの教養を深めることに注力することを考えたいのだ。
そしてそれは霊和。
人間の知恵を超えた、神業だ、と。

◎学びの時代としたい◎

さらに言えば、麗というのは九星気学では九紫火星の字になる。
易経では七赤金星、つまり兌が担当している。
どちらも「学ぶ」って意味があるわけだ。
気学をやっている人からすると、「七赤金星が学ぶ???」となるだろうけれど、易の兌為沢っていう卦に「麗沢」って言葉がある。
割と現代でも使われる言葉で、麗沢大学とか聞いたことのある人は多いだろう。
これは、二つの沢が並んで存在して、地下ではその二つの沢が繋がっている形を表している。
で、片方が減れば片方から水が補われる。
お互いに潤し合うって意味になる。
誰かが不足していたら、誰かが補って。
そうやって生きていこうよ、って本当に昨今の日本を見ていると感じてしまうのは僕だけだろうか?

「自分さえ良ければ」って人があまりに多い気がする。
僕自身も、シチュエーションによってはそうやって考えてしまうこともあり、そんな自分に気づいてものすごく凹むこともあるのだが。
ともあれ、新しい世界は、みんなで補い合って歩んで行きたい。
しかもそれは、「持ってるやつが持たないものに慈悲をかける」っていう生半可なことじゃない。

なぜなら七赤金星には元々不足っていう意味があることに注目してみると分かる。
つまり、自分も足らない、相手も足らないっていうシチュエーションを表している卦なのだ。
つまり、
「お前困ってるだろ?ほら、食べろよ、遠慮せずに。こっちもお腹すいてるけどさ、困ったときはお互い様だろ?」
っていう関係を麗沢、と言うわけだ。
で、その兌為沢の中に

「麗沢は兌なり。君子もって朋友講習す。」

という文章がある。
これ、今度僕、免許の更新があるのだが、一般講習とか違反者講習とかあるでしょう。
講習という言葉の語源はここなわけだ。
またまた話がそれたけれど、互いに足りなくても、苦しくても補い合いながら学ぶことを講習と言う。
そして、朋というのは、肉月が二つ。
すなわち、身を分け合って、肉を分け合ってってことだ。
互いに身を切り合って苦しい思いをしながら学ぶことで生まれる友情を朋友というわけだ。

インターネットのおかげで、飛躍的に情報量が増えた割には、人類はそんなに頭良くなってないよな、と思うのは僕だけだろうか?
もちろん特定分野では眼を見張る発展はみせていますけど、未だに戦争すら辞めれない。
我々はそろそろ気づかなければならない。
学びというのはそんなに簡単なものじゃない。
苦楽をともにし、感動を分かち合うその先に見える本物の智慧。
そういったものに辿り着かねばならない、と令和という元号を目にしたときに感じたわけだ。
老若男女問わず、全ての人が学ぶっていうことを意識しなければ、これからの国際競争の中で、日本が勝っていくことは出来まい。

◎ゼロから歩き出すということ◎

で、最後に令は零なり。
0ってことだ。
ここをもって、姓名鑑定をやってらっしゃる方たちは「令和?令って0って意味でしょ?」なんてざわついておったわけですけれど。
漢字には陰陽、すなわち吉凶は必ず存在するわけで、令和が吉となって

「世界と手を取り、互いを潤し合い、学びあいながら歩む世界を『0から』作っていく」

という吉の元号になるのか?

「何にも無しの0になっちゃう」

という凶になるのか?
そんなことは「神のみぞ知る」であって、僕が予測できることではないけれど、僕らに出来るのは吉の時代とするために、どんな努力をするか?ってことだけだと思うわけだ。

だいたい世界を見渡せば、半世紀前に二回の大戦を経て、その反省から世界が苦心して作っていった秩序はもはや、何の意味も持たなくなってきている部分も多い。
EUだって足並みは全然揃わないし、そもそも無茶な分割の仕方をされた中東だって紛争は絶えない。
クリミア半島にロシアが武力行使をしたのだって、日本ではほとんど報道されなくなったけれど、まだまだ内戦下にある住民の方々からすれば、秩序も何もないような状態だろう。
お隣の中国の傍若無人ぶりは世界中の批判を浴びているけれど、やめる気配は全くと言っていいほどない。
アフリカの紛争も収まらないし、先進国と途上国の差は未だに大きい。

そういった現状を踏まえ、様々なことを0ベースで考え直したい。
そういう零にしたい、と僕は思うわけだ。

◎だからこそ「和」が物をいう◎

ただ、そのためには、和が絶対に大事。
これは、平和って言葉から優しさを感じさせるけれど、実は戦争をしている双方が互いの軍門の横にサイを置いて

「もう絶対に戦争をしません」

って誓う字だ。
「和」という字の偏は「禾(=か)」といって、軍門を表しているのだ。
なんとなく「禾」は「穂」を連想させて、静かな豊かな部首のように思えるのだが、このように戦争時の互いの軍門を表しているのである。
だから「和議」っていうのは、そういう戦争の最中の真剣な話し合い、約束を表している。

だから、日本は何があっても世界に対する約束を守らなきゃいけない。
ところが政治家は約束を守らない人が多い。
今年秋に消費増税があるんだけど、消費増税はこれまで二回も約束を反故にしてる。
さすがに次は無いとは思うけど、また延期の可能性も捨てきれないと僕は考えているわけで。
令和の時代の政治は約束を守る政治であってほしい。

もちろん、政治家だけでなく一般市民も約束を守らない人が多い。
昨今「バイトテロ」なんていう言葉があるけれど、ああいった動画を見るとゾッとする。
もちろん管理不足の面もあるとはいえ、おでんを口に含んで吹き出すとか、おたまを股間に当てるとか、タイヤを火のついたハンマーで叩いたり、ドロップキックしたり。
当然こんなのは逮捕されて然るべきだろうけれど、それにしてもモラルのモの字もないのか?と思ってしまう。
僕自身、会社を経営するような立場にあるから、今後こういった人々を相手にしなければならないのかと思うと、正直げんなりする。

とにかく我々一般市民も社会に対する約束を守りつつ、新しい時代を我々自身の手で作り上げるという気概を持たねばなるまい。
とりわけ今年は己亥(つちのと・い)の年であり、音読みすれば「きがい」すなわち「気概」の一年だ。
政治家も一般市民も、経営者も労働者も、総じて「これから素晴らしい時代にしよう」なんていう気概を持ちたい。

そして、「和」で思い浮かべるのが、論語の「和して同ぜず」という言葉だ。
和というのは前述したように、互いの約束を守る、その上で相手を認めて仲良くする。
同ずとは、意見をともにする。
同ぜずだから、

「意見の違いは違いとして認めた上で、相手を尊重して仲良くしなければならない」

というわけで、令和は

「beautiful harmony」

も素晴らしいのですが、以上の漢字上の意味を踏まえて

「improvement based on Responsibility 」

「責任に基づくさらなる向上・進歩」

と訳してみるのもいいんじゃないか?
そんな風に思っている。
(正直もっと良い訳があると思う。自分の英語力の無さを呪っているところだ)

◎元号に対する議論よりも、字の理解を深めよう◎

今回は「令和」という元号について、僕なりの考えをお伝えさせて頂いた。
令和は霊和であり、考案者では?と騒がれた中西先生がおっしゃっていたように、「神とか天とか呼ばれる存在」というか霊妙なる力によって考案された。
だから、誰がつけたとか詮索する必要は無い、と思うわけだ。
そんなことよりも、漢字のもつ意味合いをもっともっと理解してもらうようにマスメディアには求めたいのだけど、そんなことは無理だろうから、出来る人たちがやるしかないと思う。
僕もこういったコラムやYouTubeなどを使って、折に触れて漢字の意味というものをお伝えしていく一翼を担えたらと思っている。
こうやって考えると、「令和」良いじゃないですか。
 政治家や官僚だけでなく、きちんと一般市民も以上のような内容(が決して完璧な正解とも思わないけれど)を読んで頂いて、ご自身なりに「令和」を理解し、自信を持って他国の方々にも説明してほしいものだ。
とにかく霊妙なる元号、令和は同時に麗和でもあり、皆でともに手を取り、学びながら約束を守りながら学びを深めていきたい。
そして、零和であって、新しい時代を0から作り上げていこう。
そんな風に考えることができたら、日本はもっともっと良くなる。
そんなふうに僕は確信を持っているのだ。

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