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自分が自分であることに堪えられない。

小学生のころから死にたかったけど、怖くて死ねずに泣きわめきながらここまで生きてしまった。

だから、私がいつ突然に死んだとしても誰かのせいではない。ただ、長い間考えていたことを実行に移しただけだ。

ずっと助けてほしかった。

人と関わることで死にたい気持ちから目をそらすことはできた。でも、根本的な解決にはならなかった。

私は救済を生きた人間に求めたくない。何年の付き合いがあっても人は裏切るし、それを責めるのも違うのだろうなと最近理解した。この十数年何度も何度も人に縋ろうとして失敗することを繰り返し、それが人の本質なのだとようやく諦めがついた。

助けは来ない。

助けをずっと求めてきたけれど、その「助け」が何なのか私にもよくわかっていない。もはや私の一部どころかコアになっている死にたい思いを全て払しょくしてくれるような圧倒的な生きる意味とか、たぶんそんな感じなのだけど。

みんなどうやって生きる意味を見出しているんだろう。

私は、最悪死んじゃえばいいと思って生きてきて、それを支えにずっとやってきた。学校には必ず卒業があり、学校生活は仮住まいだ。家も最終的には出ていくことが望まれている場所で、私がいなくなったところで誰の人生も揺るがすことはない。だから、その考えでも生きてこられた。

しかし、この先は違う。たとえば家庭を持ったら、自分がいなくなることで誰かの人生を大きく変えてしまう。最悪いなくなってもいい、が利かなくなる。それが怖くて仕方ない。

死にたいという感情を切り離せず、いつかは実行しようと思っている以上、本当はもう人と深く関わるべきではないのだとわかっている。恋人も友人も家族も。でも、手放せずにいる。心の底から勝手だけれど、この十数年生きてこられたのは結局のところ周囲の人たちのおかげだから。

それに報いることができない自分の不甲斐なさも死にたい気持ちを掻き立てるため、悪循環になっている。

周囲への影響を考えると死ぬのはできる限り早いほうがよくて、それって今なんだなと思ったら頭から死ぬことが離れなくなり、動けなくなった。

自分の人生を自ら捨てることを後悔する暇もなく、苦しまずに死ねる方法はないんだろうか。ずっとその方法を探している。

数年前に自分が初めて作詞作曲した曲の歌詞をふっと思い出して泣いてしまった。

「ねえ、今すぐ助けに来てよ。あの頃見ていた夢は、今でもまだ覚えてるけど波間に飲まれて消えてった」

「ああ今すぐ飛び込んじゃおうか。目の前を埋める青に。水の底にも都はあるの?答えはずっと遠くにある」

最低の終わり方をしたバンドではあったけれど、これを作ったのはまだ楽しかった時期のはずなのに、まるで遺書みたいだ。ひさしぶりに聴いたら涙が止まらなくなった。


私は今もその前も、ずっと助けてほしいと思い続けている。

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