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退去

今日、6年間過ごした部屋を出た。

カーテンレールからレースカーテンを外しながら、初めてこの部屋に来たときは、窓のすぐ目の前に別の建物があって知らない人の部屋がある、というのがすごく嫌だったことを思い出した。

実家は田舎の住宅街の端にあった。自室の前には道路を挟んで駐車場、畑、そしてその先には田んぼが広がっていた。リビングは住宅街に面していたけれど、垣根があるのでわざわざ覗き込みでもしなければそれほど外から見えず、少なくとも昼間は窓もカーテンも開けられた。そんな環境で生まれ育ったから、昼でもカーテンが開けられない部屋は常に見張られているような感覚があって、初めのうちは安らげなかった。
自宅は学生街のマンションの一つで、周りの多くが背の高い賃貸住宅、もしくは飲食店などが入っている雑居ビルだった。無機質な高い建物たちからは人の暮らしの温度が感じられず、とても冷たく思えた。これが定住する人間が少ない街か。都会は寂しいな、と思った。一人で暮らすのが寂しいというよりは、無表情な街が無性に寂しくて地元に帰りたくなった。人の暮らしを感じたかった。鉄筋コンクリートの高い建物に比べて一軒家は情報量が多い。家の造りを見れば住んでいる人の世代が何となくわかる。止まっている自転車を見れば子どもがいる家族が暮らしていることが、お花が咲いていればマメな人が住んでいることがわかる。自宅の周りはそういう「暮らしの気配」が薄かった。今後、防犯上の理由でそういうものは地方でもどんどん隠されていくのだろうけど、それは寂しいな、とやっぱりいまでも思う。

とはいえ、灰色に思えた街も思い出が積み重なっていくにつれて少しは色づいて見えるようになった。温かいと思えるほどではないけど、悪くない。結構好きだ。人生において、一番精神的に起伏の大きい時間をここで過ごした。好きも憎いも、最低も最高も全部ここで経験した。良くも悪くも、それまでの人生全部合わせた分くらい泣いた。良かったとか悪かったとか一言では評価しようのない6年間だった。入学前に高校時代の先輩が「大学では出会えてよかったなと思う人にも、出会わないほうがよかったと思う人にも出会えるよ」と言っていたけれど、本当にその通りだった。でも、出会わないほうがよかったと思う人でさえ、この先生きていく上で何らかの糧になってくれる気が今はしている。

今の後悔も苦しみも、生きてさえいればいつか正解に変えられるかもしれない、という気づきを得られたことがこの6年での大きな成長だ。自分は進路選択を何年も後悔し続け、心折れたり腐ったりもした。しかし、その長い長い遠回りが他の誰とも違う今の自分を作った。価値があるかはわからないけれど、少なくとも今は楽しくて幸せだから、そんなことどうでもいいと思える。かつての後悔を意味あるものにできた、この経験はこの先もずっとわたしの心を支えてくれると思っている。

ありがとう、サッポロ。何となくで生き延びた日々。

いつかここで経験した全てが愛しく思える日が来るといいな、と願う。


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