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わたしはプロじゃないから、好きなものの写真しか撮らない

でも最近、撮りたいと思うものが変わってきたように思う。少し前まではとにかく誰が見ても綺麗なものを撮りたい気持ちが強かった。今も綺麗なものの写真を撮るのは好きだけれど、撮りたいと強く思うのはそういうものではない。

わたしが大学に入ると同時に、私が住んでいた町は急速に発展した。発展したとは言っても地方都市なので、全国チェーンのお店が次々に建って便利になったという程度のことだけれど、それでもやはり景色の変化は大きい。帰るたびに何かが失われて何かが生まれている。また、老朽化した建物や時代に合わない規格の遊具は次々に姿を消し、更地になった。それを見た時に私はいつも(あれ、ここにあったのは何だったっけ)と思う。そして、大体思い出せないのだ。その度に寂しい気持ちになった。前に進む変化は喜ばしいことだから、永遠にそのままでいてほしいとは思わない。でも、思い出せないような景色たちは、生まれてから何年もわたしのそばにあったもので、そのまま何の感慨もなく消してしまいたくないと思った。だからこれからは、それらを写真で残したい。曲がり角のたばこ屋の日に焼けて色褪せた赤いサンシェード。おじさんが一人でやっている小さくて古い自転車屋は、薄暗くて様々な金属部品がゴチャゴチャして、機械油が流れたのか前の道路の色まで変色している。税金対策のために申し訳程度に柿の木が植えられた空き地。いつ行っても外で猫が昼寝している近所の家。子どもたちが放課後集まっては、毎日飽きもせず今は無き危険な遊具で遊んでいた公園。祖母宅の玄関脇の飾りレンガ。夏になると狭いスペースにギュウギュウにテーブルを並べてバーベキューをした庭。

そういった、昔は当たり前にあったのにいつの間にか消えてしまった、消えてしまうであろう景色を失くさないよう、これからは仕舞っておきたい。

人の多い町は、汚いものも危ないものも取り除かれ、すべてが新しく綺麗になる。みんな同じものを持ちたがるから、均質化されていく。町の色が消えていく。色に喩えるなら白もしくは鉄筋コンクリートの灰色。反対に、人の少ない町は古びるままにおいて置かれ、段々と人の暮らしが見えなくなって自然へと還る。色に喩えるなら何だろう、赤錆と草の緑だろうか。この先、町はいずれかの道を辿るんだと思う。わたしは今この瞬間、人が生きている町や家の姿を残しておきたい。日本の中の一つの町ではなく、一つの名前がある町として。名前がある一つの家、家族として。

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