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すきなものを思い出す(日記65)

雨が降ってきた。
最近晴れ続きだったから、今日のようなおだやかな雨も、なんだかうれしい。
くもり空を眺めながら、アイスコーヒーを飲んで、ゆっくりしている。


就労移行支援は、毎日休まず、行けている。
ちょっと無理かな、しんどいかな、という日でも、とにかく玄関を出て、一歩一歩足を動かして、就労移行支援の玄関にたどり着いて、おはようございますとあいさつをして、今日は今日できることだけやろう、10%でもいいから、今日できる分だけをやろう、と、こころのなかでお守りのことばを唱えて、やり過ごすことが、できるようになってきた。


休みの日も、起きて活動する時間が、増えてきた。


この前は、何年かぶりに、ひとりで電車に乗って、新宿に行けた。
行き先はハローワークだったのだけれども、そこでも、ちゃんと必要な手続きを自分ひとりで済ませられて、少しずつ少しずつ、以前の自分が、戻ってきた。


そうやって日々を暮らしていたら、これまた少しずつ少しずつ、自分のすきなものを、思い出してきた。


わたし、お洋服が、すきだった。


調子が悪くなってから、服なんてなんでもいいといつのまにか思っていて、そのきもちが、わたしのクローゼットにそのまま反映されていて、コーディネートを考えなくてよいもの、具体的に言うと、ひとつこのTシャツと決めたら、とりあえずその色違いを何枚か買って、それをずっと着ている、みたいな、そういう数年を過ごしてきた。


考えることを、したくなかったんだと思う。
なにも考えられないから、決めたものを決めたようにしか、着られなかった。


それが最近、いろんなお洋服に目がいくように、なってきた。


わたしは、この数年で30キロ太って、いまも、153センチの73キロのままだ。


太ったことも、お洋服から目を背けるひとつの原因だったのだけれども、なぜだろう、ほんとうにここ最近、これを着てみたいな、あれを着てみたいな、と、わくわくする気持ちが、戻ってきた。


痩せることは、今は考えていない。
太って、絶望したのだけれど、すごく傷ついたのだけれど、おかしなことに、最近のわたしは、わたしのからだを、気に入っているかもしれない。


太って、おなかがまんまるになった。
全体的に、まんまるになった。
そのシルエットはまるで、冬のすずめみたいで、それならそれで、まあいいか、と、思うようになった。


そして、気がついた。
いまの時代は、太っていても着られる、かわいいお洋服が、たくさんある。


プラスサイズを売りにしているメーカーもあるし、そうじゃないメーカーでも、全部は無理でも、ちゃんとかわいく着られるものが、たくさんあるのだ。


そうだった。
わたし、お洋服が好きだったんだ。


その気持ちを思い出していることに気がついたとき、とてもとても、うれしかった。
ほんとうは節約しなければいけないのだけれど、この気持ち、この気持ちの芽吹きを、大切にしてあげたくて、かわいいな、いいな、と思ったものを、何着か、買ってみた。


買ってみたら、クローゼットが、わたしの好きな色で、わたしの好きなシルエットで、溢れるようになった。
そうしたら、決めたものを決めたとおりに着るんじゃなくて、今日は、何を着ようかな、これを着たら、これと合わせて、靴は何がいいかな、と、考えられるようになった。


夢みたい、と思った。
コーディネートを考えて、たのしくなることができるなんて、ほんとうに、夢みたい。


泣くしかできなかったあの日、眠るしかできなかったあの日、眠ることもできなかったあの日、胸を潰すようなかなしみ、それを、忘れたわけではないのに、今日のわたしは、好きなお洋服をみて、にこにこしている。


それだけでも、今日までたどり着いた甲斐があるなあと、思う。


明日は何を着て行こうかな。
明日は雨だけれども、この前、かわいい傘も、買ったのだ。
自分のすきなものに身を包む、たったそれだけのことが、こんなにも、うれしい。
よかったね、自分。
よくがんばったね。

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