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おだやかなひとびと(日記66)

今日は朝から雨が降っていた。
でも、わたしは、落ち込まなかった。


だってこの前、かわいい傘を買ったのだ。


つみき、と名前のついた傘は、透明の地に、透けたブルーとグリーンで、四角模様がランダムに積み重なっている。
その傘を差すのが、たのしみだった。


お気に入りの傘を携えて、家を出る。
雨の中、傘を開くと、ぱっと視界も開けた気がした。


傘をにこにこ差しながら、就労移行支援へ向かう。
今日は、午前中も午後も居る、終日通所の日だ。
以前は終日通所の日は、帰ってくると動けないほど疲れてしまったものだけれど、最近は少しずつ、慣れてきたみたいだ。


就労移行支援にたどり着き、玄関を入る。
おはようございます、と、職員さんに挨拶をする。
それから、同じように通所している、利用者さんにも挨拶をする。
これも、最初はできなかった。
今は、自然と、挨拶ができる。
おはようございます、と言い合えるだけで、なんとなく、ほっとする。


月曜日に定められたプログラムを、粛々と受ける。
今日は、パソコンをやったり、ディスカッションをしたりした。
途中、瞑想のプログラムもあって、そのときは、眠らないように、ちょっと気を張る。
最初のうちは、眠るなんてとんでもない、いつも緊張していたものだけれど、最近は、その緊張がとれて、いいのか悪いのか、瞑想中に、うつらうつらしてしまうことも、でてきた。


緊張がとれると、まわりを見ることができる。
まわりを見ることは、いつも過剰にしてしまうのだけれど、その見方とはちがって、自然と、なんとなしに、まわりを受け止められるようになった。


そうすると、いつのまにか、あんなに苦手だった雑談が、少しずつ、できるようになってきた。


体調のことや、日々のことや、プログラムのことや、就職のこと、ぽつりぽつりと、席が近くなった方と、お話できるようになった。


そうしてお話したりして、見えてきたものは、いま、わたしがいる環境は、おだやかなひとが、とても多いということ。


不機嫌が抑えられないような障害の方が、たまたま居ないということもあるのだろうけれども、今、わたしのまわりには、一緒に暮らしている同居人氏たちを含めて、みんな、おだやかで、ひととひとの距離を大切にしてくれるひとが、たくさんいる。


その環境が、わたしのこころを、溶かしてくれる。
まるで雪解けのひかりのように、わたしのなかで凝っていた部分が、はらはら、はらはら、溶けてゆく。


おだやかなひとびとは、みんな、傷をもつひとびとだ。


わたしを含めて、傷を持ちながらも、それを踏まえて、人生の歩みを、進めようとしているひとたちだ。


きっと、就労移行支援という場所だけじゃなくて、この街の、あちらにもこちらにも、そんなひとがいるのだと思う。
むしろ、傷がひとつもないひとなんて、いないのかもしれない。


そうやって思えるのも、自分のかなしみだけに囚われていたわたしの視界が、すこしずつ開けてきたからだ。
それは、まちがいなく、今わたしのまわりに居る、おだやかなひとびとの、おかげだなと思う。


これから、少しずつ元気になっても、おだやかな自分でいたい。
不機嫌をまきちらさないで、怒りをためこまないで、自分に罰を与えないで、深呼吸をして、おなかに力をこめて、おだやかさを手放さないひとでいたいなと、思う。

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