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こころの傷と、生きてゆく(日記61)

先日書いたこの記事が、多くの方に読んでいただけている。


ぽつ、ぽつ、と、日々すこしずつ増えてゆく「スキ」のお知らせに、ああ、いまこの瞬間、誰かにわたしの書いたものがたしかに届いたのだな、と、じんわりした気持ちになる。


読んでくださって、ありがとうございます。
出会ってくださって、ありがとうございます。



かなしさとうまく距離を取れずに、うずくまるしかできない日々が、今この瞬間も、たくさんの方々に降り注いでいるのだと、思います。
わたしも、そうでした。
ずっと、そうでした。


でも、いまは、すこし、ちがう様子になりました。


うれしいことが、増えました。
かなしいことがあっても、外に出せるようになりました。
むかしのわたしは、つよくショックを受けるような、こころがぽきりと折れるようなことがあると、それを咄嗟に隠していました。
自分自身に対して、隠していました。
まるでなんでもないことのように振る舞って、わたしのこころには傷ひとつないように振る舞って、わたしのこころにたしかについた傷を、ないがしろにしました。


そうすると、不思議なもので、すこしの間だけならば、傷は、まるで最初からなかったかのように、おとなしくしてくれました。
でも、人間のこころって、そんなにバカじゃないから、一度ついた傷は、隠してなかったことにしても、あとからしっかり、降ってわいたように、じくじくと痛んで、つらく、重い、かなしさを連れてきました。


わたしはそれを、何度繰り返したか、わかりません。
そうやって、傷ついたことを咄嗟に隠すことでしか、自分のこころを取り扱う術を知りませんでした。


でも、いまは、ちょっと違います。
昨日も、通っている就労移行支援の授業の中で、思いもよらぬかたちで、ぐっさりと傷ついた自分がいました。


とある会社の説明会に参加をしていたのですが、その会社の方からのお話のなかで、「就職するまでに、就労移行支援への欠席をゼロにしてほしい。たとえ調子が悪くても、予定されたプログラムを変更せずに、予定通りに受講してほしい。」という言葉がありました。



わたしは、ぐっさりと傷ついてしまいました。
こころが、ぽきりと折れた音がきこえました。


なんでそんなことで?と、人からは思われてしまうかもしれません。
でも、わたしにとっては、とっても重大なことでした。


欠席をゼロにする、というのは、双極性障害になった自分にとって、とてもとても、高いハードルです。
体調の波を日々コントロールできるように努めているけれども、それでも、今でも、調子の悪い日というのは、やってきます。
それはきっと、これから生きていく時間のなかでも、必ず、やってきます。


そういう日々の中で、いまわたしは、なんとか体調をコントロールする方法を模索中で、調子が悪くて辛い日は、就労移行支援への通所を、短い時間にしてもらったり、プログラムを受講せずに面談の時間にしてもらったりして、なんとか休まずに通っている状態です。


そんな状態のわたしからすると、欠勤ゼロ、予定されたプログラムを変更なしで受講する、というのは、自分の手の届かないような、とても高い高いハードルを設定されたような気がして、就職するためにはそんな高いハードルを超えなければならないんだ、どうしよう、どうしたらいいんだろう、今日までがんばってきたわたしはなんだったんだろう、もうこれ以上がんばれない、と、たしかに傷ついてしまったのでした。



でも、わたしは、傷ついたことを、隠しませんでした。


傷ついた気持ちを、すぐに、外に出してあげました。
具体的には、わたしを担当してくださっている支援員さんに、SOSを出しました。
会社の方の話を聞いて、ひどく不安になってしまった、お時間のあるときに、話を聞いてもらえませんかと、お願いしました。


それから、おうちに帰ってすぐに、一緒に暮らす同居人氏1に、どうしよう、どうしよう、と、溢れる不安を伝えました。
がんばっても意味がない、これ以上がんばれない、と、それはそれはおおきな声で、言いました。
同居人氏1に抱きしめてもらいながら、マンガみたいに、うわーんうわーん、と、声をあげました。
声を上げるだけで、涙は出なかったのに、たったそれだけで、わたしのこころはすこし、落ち着きました。


そして今日、支援員さんにしっかり時間をとってもらって、話を聞いていただいた今、わたしのこころについた傷は、納得してくれたように、しずかにこころにしまわれています。


こころが傷ついたときに、外に出すこと。
こころが傷ついたときに、咄嗟に隠さないこと。
こころが傷ついたときに、ないがしろにしないこと。
すごく些細なことだけれど、些細なことだからこそ、たいせつなことなのかもしれない、と思っています。


これを読んでくださった方がどうか、傷ついたときに、その傷を、外に出せますようにと願います。
話す相手がいなければ、バカみたいにおおきな声で、傷ついた、と、言ってみてほしいです。
バカみたいにおおきな声で、うわーん、うわーん、と、声をあげてみてほしいです。
それはもしかしたら、あなたのこころの傷の、ばんそうこうになるかもしれません。
ちいさなばんそうこうかもしれないけれど、あなたを守ってくれるかも、しれません。


どうかあなたのかなしさがいつか、どうかあなたのこころの傷がいつか、あなたを、あたたかな場所へ連れて行ってくれますように。
春の日に、東京の片隅で、願っています。

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