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最後のピース 1

夜10時。LINEの通知を知らせる音。

〈今セブン。家いるよね?〉

付き合って約半年の彼はいつも唐突に我が家へやってくる。前回会ったのは…もう2週間前だったろうか。付き合うってこんなもの?なんて、いつも思う。大人の恋愛はこのくらいがちょうどいい、なんて誰かが言ってたけど、私たちは初めからずっと燃えそうで燃えないし、付き合ってるけど会わなくても平気だし、でもインスタの中ではしっかりと恋人同士な表情を見せる、そんな恋愛を、している。

「はい、これ」

部屋に入るなり、彼は小さなレジ袋をテーブルの上に置いた。

「私に?」

中を見ると小さなチョコのデザート。私は彼に気づかれないくらいの小さなため息をついた。私がチョコが苦手なこと、この人はきっと永遠に覚えてくれないんだろうな。初めてのデートでチョコ味のソフトクリームを食べたせいかな。でもチョコはそんなに好きじゃないって、何度か話したはずなのに。

「チョコ、なんだね」
「うん」
「ありがと…残業だよね?おつかれさま」
「うん」

ネクタイを緩めながらベッドに腰掛け、顎のあたりを何度も撫でるように触る彼。時々スマホを取り出したり、テレビをつけてぼーっとしたり、そして合間合間に私の方をチラチラと見る。

…そっか。したいから来たのよね。

片付けを終えて手持ち無沙汰になった私を確認すると、彼は私を手招きした。

「ひかり、早くこっち来なよ」

隣に腰掛けると優しく微笑みかけ、大きな手でいたわりながら口づけしゆっくりと身体をベッドに倒して覆いかぶさる。彼の柔らかい唇と温かい鼻息が私の首筋を刺激する。ずっしりとした男の重みを全身で感じながら、私は拒絶する理由もなく、彼を受け入れる。

「てつくん、今日泊まるの?」
「うん、明日午前休貰ったし」
「そう…良かったね」

彼と唇を重ねながら、私は彼と全然関係のないことを考えた。ホットヨガ…今月まだ1回しか行ってないや…5回行かないと元取れないのに…って。そしてなんだか、私たちの関係もそんな感じだな、なんて、思ったりした。

・・・

朝、家を出る前に見た海洋汚染のニュース映像が頭から離れない。砂浜に沢山のごみ。海の近くで育った私には胸が痛む話だが、それ以上に、子供の頃の淡い思い出が突如記憶の引き出しから溢れ出てきたのだ。

私は昔から夢見がちな少女だった。いつも空想の世界に生きる、好奇心旺盛なアリスみたいな少女だった。鍵付きの日記に美味しかったお菓子の味や好きな男の子の癖なんかを書き綴り、平均的な家庭の平均的な少女でありながら毎日を映画の主人公の気分で過ごしていた。

一時期、私はガラスの瓶に手紙を入れて海に流す、という遊びにハマっていた。どんな国のどんな人に届くかわからない、そんなロマンを感じて何通も手紙を書いては瓶を海に投げ入れた。名前と年齢と、好きな本とか好きな食べ物とか、いつも何を考えているかとか、そんなことを日本語や拙い英語で書いて、確か住所まで書いて「可能ならお返事ください」なんてやっていたのだから、今考えるととても危険だ。ある日役所から「不法投棄に当たるのでご注意ください」と印字された手紙が届き、私は母にこっぴどく叱られた。

頭の中に無数に存在した夢の世界が新しい現実を知ることで一つ一つ消えていく、そんな歳の取り方をしてきた気がする。ただ、私は不器用じゃないし、順応性もある方だ。だから、周囲の変化にまごつかず、流れに背かず、進学校へ進み、化粧を覚え、恋らしきものも経験し、大学へ行き、就職した。外から見れば何の問題もない幸せな人生。

でも会社に入ってから徐々に、流されるように日々を送ることに疑問を持つようになった。社会人生活だもの、当然なのだけど、毎日似たような服で同じ電車に揺られ、そこでしか通用しない常識の中で毎日大量の業務をこなす。そんな暮らしは、ごつごつといびつな形をしていた自分の精神がカンナでうすーくうすーく削り取られていくようで、例え仕上げられた私の表面がガラスのように美しく見えたとしても、木屑として捨てられた私のかけらを恋しく思うようになった。

ある、どんよりと重い雲が広がる雨の朝。

車窓から見える景色のずっと先に雲のない隙間があって、そこにだけキラキラと檸檬色の光が差し込んでいた。私にはその場所が地上の天国のように思われた。遥か遠くに見える美しい光に目を奪われ、私は降りるべき駅を降りず、そのまま終着駅まで電車に乗り続けた。

結局、雨のない場所には辿り着けなかった。でも、私はなぜだか胸のつかえがすっきりと、天使に導かれたような気持ちになっていた。人の少ない駅のホームで、一度全部リセットして昔のいびつな自分を取り戻したいと、私は願った。今持っているものを全部捨てたら無くしてしまった私のかけらを取り戻せないだろうか。そんな馬鹿げたことを考えた。

私は上司に会社を辞めたい旨、相談のメールを入れ、てつくんには「突然だけど、別れよう」とLINEを入れた。明快な理由を言わない私に対し、意外にもてつくんは怒ったり問い詰めたりしなかった。やはり、それくらいの関係だったのだ。SNSもやめた。会社、恋人、SNS、と散らばっていた私のかけらたち。残念だけど、全部一気に捨ててしまおう。私を形成する種は私の中にまだ存在しているはずだから。

家も変え、暮らしも変える。新しい自分に出会う「旅」に出るんだ。

(つづく)

第1話CAST
てつくん: キムテヒョン

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