カードゲームのイカサマ行為はなぜ無くならないのか?【不正行為を科学する】
全国各地でトレーディングカードゲーム(以下:TCG)のイベントが再開されたのは喜ばしいことですが、残念なことに同時多発的なイカサマ行為がTCG界隈を騒がせました。
1:ONEPIECEカードゲームの大会でのマークドスリーブ(※1)
2:シャドウバースEvolveの大会でのマークドスリーブ
※1:カードを裏側から識別できるようにスリーブの裏面に印をつけること
この記事では、イカサマ行為について「イカサマはダメなこと」という当たり前のスローガンを並べるのではなく、一歩引いた目線でイカサマ行為について捉え直していきます。
1:そもそもイカサマは悪いコトなのか
イカサマが悪いコトなのかどうかについては自明な気もしますが、少しでも前提の強度を高めたいので、識者の先行研究に頼ることにします。今回は遊びについての研究としては第一人者ともいえるオランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガ(J.Huizinga)の『ホモ・ルーデンス』を参考にします。
ホイジンガは遊びの形式的特徴を5つ提示しており、そのうちの1つとして以下の要素を挙げています。
ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』は、遊び関連の研究では必ずといっていいほど引用される、極めて権威性の高い研究なので、この権威性をもって「イカサマ行為は遊びにおいて悪いことである」という前提で話を進めます。
では、ここからは歴史、心理、テクノロジー、これら3つの視点でイカサマ行為を検討していきます。(この章、必要だったか…?)
2:歴史からみるイカサマ行為
下記の記事によると、人類史上最古のギャンブルは、紀元前2300年の古代中国であり、領土問題を解決するためにサイコロが使われたとのことです。
もう少し調べると下記の記事のように、歴史上最初のギャンブラーは、石や動物の骨を投げたときの落ち方で占いを行った、原始時代の呪術師という説もあるようです。また、世界最古のカードゲームは中国発祥とのことで、14世紀頃にはヨーロッパではタロットカードを元にしたカードデッキ(のちのトランプ)が生まれていたようですが、それらもアイデアとしては、中国を訪れた冒険家や商人によって持ち帰られたとのことです。
https://www.diamond.co.jp/_itempdf/0201_biz/96093-3.pdf
チェスも元々はインドで遊ばれていたボードゲームが派生したといわれているので、アジアで生まれたゲームがヨーロッパでアレンジされて広まるのは当時の"あるある"だったのかもしれません。
また同記事内では、新大陸(アメリカ)にギャンブル文化が伝承されて以降、当たり前のようにイカサマ師の存在を示唆するような記述がされています。確証はありませんが、一旦は「少なくとも14世紀頃からイカサマ行為が存在していた」「イカサマ行為は歴史上なくなったことはない」という理解でよいかもしれません。
3:心理現象からみるイカサマ行為
ゲームにおけるイカサマ行為が今に始まったことではなく、歴史上、普遍的な行いであることがわかりました。ではどうしてイカサマ行為はなくならないでしょうか。
論理的に考えると「イカサマ行為がバレた時のリスクよりも、バレなかった時のリターンが高いから」という説明がしっくりくるように思えます。
だとしたら「イカサマ行為がバレた時のリスクをバレなかった時のリターンよりも相対的に高くする」とイカサマ行為は減るのでしょうか。
ここでその手掛かりとなりそうな、1つの有名な心理効果を検討してみます。
カリギュラ効果とは「悪いことだと分かっていても、禁止されればされるほど、やってしまう心理効果」です。この心理効果によると、イカサマ行為も禁止すればするほど、逆に増えてしまうなんてこともあるのでしょうか。だとすると、厳しいルールの制定や周知行為が逆効果ということになってしまいます。
また、窃盗症(クレプトマニア)という精神疾患も手掛かりになりそうです。窃盗症(クレプトマニア)の症状によると、万引き犯は商品が欲しいのではなく、万引きそのものが目的化しているようです。
これによると、イカサマ行為を1度やってしまうと、その行為自体が快感となり、リスク&リターンではなく「危ない橋を渡っているスリル」自体を求めて常習化してしまうといえます。
カリギュラ効果と窃盗症(クレプトマニア)を踏まえた上で、私たちはイカサマ行為についてどのような議論をするべきなのでしょうか。前者を踏まえ「万人に当てはまる心理効果だから一定確率でのイカサマ行為は仕方がない」、後者を踏まえ「病気の一種なので、イカサマ師を攻めてはならない」という極論に対して、私たちはどのような反駁ができるのでしょうか。
4:テクノロジーからみるイカサマ行為
最後に心理とは対極ともいえる、最先端のテクノロジーとイカサマ行為の関係性について考えてみます。私も最初は「どうやってテクノロジーでイカサマ行為を防ぐか?」に関する論文を調べていたのですが、偶然にも興味深い研究を見つけました。
▼Leap Motion を用いたVR麻雀での面白さとイカサマシステムの評価
http://narumi.cs.uec.ac.jp/research/images/2018/ishii_resume.pdf
端的に説明すると、VR技術を向上させて、デジタルゲームとしての麻雀ゲームに「あえてイカサマ(牌の”すり替え”行為)ができるようなシステムを実装する」提案です。この研究では、イカサマ行為ができることを「実世界に近くなった(自由度が高くなった)」としてポジティブに捉えているように思えます。
これは考えさせられる提案です。
今回の記事の発端となったイカサマ行為は、いずれもアナログゲームで起きた事象であり、デジタルカードゲームであれば起こりえなかった事象です。デジタルゲームは、アナログゲーム特有のイカサマ行為を防いでくれていると考えられ、イカサマ防止という点ではデジタル化は大きな進歩だと思っていました。ところがこの研究では、イカサマ行為も体験の一つ(アナログゲーム特有の体験)と捉えて、(あえて)デジタルゲームにイカサマ行為を取り戻そうとしているのです。
普段からアナログゲームを遊ぶ者の心境としては、(あえてイカサマ行為を実装するなんて)「流石にマッドサイエンティスト過ぎないか」と感じてしまいますが、一歩でも界隈の外に出ると全く異なる視点があるのだと気づかされます。
この論文はイカサマ行為を再現するという刺激的な内容なので、多少の嫌悪感を抱きますが、デジタルゲームにアナログゲーム特有の所作を追加するという観点では、とても興味深い研究です。
例えば、麻雀における”小手返し”という所作がありますが、それがカードゲームにおける”手札シャッフル”(シャカパチ行為)と同様であると考えると、一定の需要があるように思えます。
仮想空間を少しでも実世界に近づけたいという人類の欲望は、段階的にエスカレートしていき、やがてはイカサマ行為や犯罪行為をも仮想空間に取り戻してしまうのかもしれません。少なくとも「イカサマ行為を撲滅したい」という欲望のオルタナティブとして「イカサマができるほどの自由度が欲しい」という欲望が存在しているのは事実のようです。
さいごに
正直に申し上げますと、この記事に明確な結論はありません。毒にも薬にもならない駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
私自身もこの記事を書いていく中で、人類はイカサマ行為の前に無力であり、SNSや飲み屋でイカサマ行為に対する意見や持論を展開して「いいね」や「共感」を稼ぐぐらいしかできず、ルールや仕組みの調整程度ではイカサマ行為を減らすことも増やすこともできないように思えました。
いじめや感染症がこの世からなくならないように、私たちはイカサマ行為と共存していくしかないのかもしれません。天災のように一定の確率で発生する避けようのないもの、そこまで割り切るしかないのでしょうか。
また、この文章を書いた直後の私には、イカサマ行為を防げなかった運営側を批判することの是非はもちろんのこと、イカサマ行為をしてしまった人たちが受けている罰や対応の妥当性についても答えが出せません。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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