へぼ侍 感想(ネタバレあり)

文庫本の背表紙に、本のあらすじが書いてあると思うのですが、以下のようにも読めると思います。

いわゆる中産階級の子として産まれた私は、長い不況により家が貧乏になり、非正規で働かざるをえなかった。
正しく転職が叶えば所得も増え、将来に希望が持てると考えた私は、意気込んで転職市場に参入することに。
しかし私を待っていたのは、他でもない現実だった。

本作の主人公である錬一郎は、物語の途中で幸運にも志を持つことが出来、立身出世が叶います。どのように出世したのかではなく、錬一郎が志を持つまでの流れが細かく描かれています。

今となっては時代錯誤と言えてしまう剣の道を純粋に目指す錬一郎。
自分の目指してきた道に疑問を抱きながら、様々な人と関わっていく錬一郎。
そして物語終盤に言論への道を選び、東京へ飛び出していく錬一郎。

これらの姿は現代の私たちにも多く重なるものと思います。
夢や目標を持ち、行動に移す。その夢や目標に魅力を感じなくなった時、それでもと諦めないのか、それともまた異なる道へ行くのか。

この物語では気持ちの良いことに、行動を起こした後に出会った人々が錬一郎に影響を与え、ついには一生を懸ける道を示した人物まで現れました。
努力(これまでやってきたこと、と置き換えても可)は無駄にならないことと、人生塞翁が馬であるという大変耳にやさしいテーマですので、読後感は爽快です。

90年代や00年代に散々言われた「ぶっちゃけ○○でしょ」という呪いに対して、跳ね返すでも受け流すでもなく、一旦負け(負けという表現も正確とは言い難いが)を認めたうえで「じゃあどうしよう」と考えられるようになる小説だと思います。

錬一郎は一旦負けを認めたうえで、「パアスエイド」(納得させる)を極めるための人生を歩み始めました。
近年では、考えは人それぞれだとして、説得という行為は押しつけであると言われがちになりました。「パアスエイド」が没落しているとも言えます。

次はどうなるでしょうか。

ぐねぐねで、まとまりのない感想でしたが、ここまで読んで頂きありがとうございました。


以下 物語とは関係のない、身も蓋もない文章になってます。

錬一郎は「パアスエイド」とやらを志し、大阪で新聞を発行しますが、売り上げのために随分と景気のいい(帝国国民の戦意高揚の一助となるもの)ことを書いたそうです。
時世が時世でもありますし、結果を知っている私が言うのもなんですが、そんなものがあなた方の言う「納得させる」なのかと思ってしまいます。

現代では新聞をはじめ各メディアへの信頼感は低下しているように感じます。ネットも怪しいものですし。
加えて、経験主義に偏っているようにも思えます。経験主義といえば聞こえはいいですが、反知性主義的なところがあるようなないような…。

はい。お目汚しでした。心配性の発作のようなものですので。
ここまで読んで頂いた方々には、重ねて感謝申し上げます。
有難う御座いました。

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