地味で真面目な女子高生が初めて行ったライブが後藤まりこだったら

いつか、羽の形の刺青を足の甲にいれたい。
いや、私は怖がりだし痛がりだし、温泉と銭湯が好きだから、多分一生しないと思うけれど。

彼女は足に羽を持っている。
彼女の2ndアルバム「m@u」のジャケットに、ちゃんとそれは写っている。
それが本物の刺青かはわからないけれど、少なくとも私はそれを間近でこの目で確かめた。

後藤まりこは、真っ白のワンピースでギターを抱えて、素足でステージと客席を駆け回って歌う人だった。

後藤まりこ、と検索窓に入れれば、「メンヘラ」とサジェストされる。
彼女はメンヘラと呼ばれているし、手首の傷に注目される。
彼女の音楽性を真直ぐ評価しようとするものから、彼女を信仰するようなものまで、彼女についての言説はネット上にもういっぱいあるんじゃないだろうか。ほとんど読んでいないから知らないけど。

すべてをさておいて、わたしが書こうとしているのは、彼女について、というよりも、彼女を見た日についてだ。

そのときの私は、CDショップはおろか本屋も無いような田舎町から、高校進学と共に札幌に出てきて生活をしていた。
夏に、同学年だけど一歳年上の友達ができた。その子は留学帰りで、校則を破って髪を染めてピアスを開けていて、いつもブラックブラックを噛んでいた。
規則をきっちり守る生徒だった私は、彼女にあこがれて、辛い物は苦手だったはずなのに、よくブラックブラックをもらった。

そして私はその友達に誘われて、後藤まりこのライブに行くことになったのだ。
正確には、当時私がほんの少し気になっていたバンドのイベントの対バンとして後藤まりこが出るから、行こうよと言ってくれたのだった。

最初は躊躇した。ライブに行けば、寮の門限を過ぎてしまう。
九時門限の寮に住んでいた私と真反対に、わけあって一戸建てに一人暮らしていたその友達が、泊めてあげると申し出てくれた。
親の承諾を得たうえで寮長の外泊許可をもらうというミッションも何とかクリアして、私はその日を結構楽しみにしていたと思う。
でも実は、友達に借りたCDで聞く後藤まりこの曲は、私にとってはめちゃくちゃで、叫び声みたいで、とても好きになれそうになかった。

当日は着替えのために帰る暇がなくて、制服のままライブハウスに向かった。
なんとなく高揚していた私は、膝がほとんど見えるくらいまでスカートを折ってみた。いつもだったら考えられないくらいの短さだった。
普段はぴったり閉じているシャツの第一ボタンをあけて、ネクタイを少し緩めた。街で先生に見つからないか怖かった。

フロアは小さいけれど真っ暗で、入場順の違った友達を見つけられないかもしれないと思ったけれど、杞憂だった。
たまたま体を落ち着けてしまったところに、おそろいのTシャツを着た三人組の大柄の男性がいて、ほとんどステージは見えなさそうで、少し不安になったけれど、それもまた杞憂だった。
彼らは私たちに気づき、「まりこちゃんは可愛い女の子たちが好きだからね!前に君たちがいたら喜ぶからさ!」と言って、最前列まで押し出してくれたのだ。

そして後藤まりこはステージに現れる。

セトリとか、MCの内容とか、よく覚えていない。
ギターをほとんど盗まれたりなくしたりしてしまって、この一本しかない、みたいなことをニコニコ笑って言っていた気がする。
彼女は羽のついた足で、何かを操作した。それがエフェクターというものだということは、あとで検索して分かった。
そうして、CD音源とは別の曲なんじゃないかと思うような音楽が次々に奏でられて、嵐のコンサートくらいしか経験のなかった私はめちゃくちゃに驚いた。
もちろんヘドバンさえ何かよくわかっていなかったから、歌っている彼女の激しい挙動にも思わず心配にならずにはいられなかった。
周りの様子をうかがいながら、合っているのか不安になりながら、右手を振ってみたりした。
最前列で、歌い狂う彼女を見上げていた。

やがて彼女は、私たちの頭上をまたいで、後ろにいた男性達の肩へに踏み出した。男性は当然のように足首を掴んで彼女を支え、周りの人が慣れた様子で彼女の動きに合わせてマイクのコードを手繰った。
ライブ前に友達から、後藤まりこは客に乗るらしい、ということは確かに聞いていたけれど、度肝を抜かれた。
彼女は観客の上を転がりながら、ギターをひっかいて歌っていた。飛んでいるのだとしたら不格好だけれど、歌っているのだとしたら美しかった。
白だった気もするし、ミラーボールみたいだった気もする。忘れたけれど、丸出しになった彼女のパンツは光って見えた。

彼女はライブの途中に、
「みんないつもしんどかったり、息をひそめて頑張って暮らしてるよな、私のライブではそういうみんなに弾けてほしい」
というようなことを言ったと思う。
本当に細かい文言を覚えていないから、私の妄想の産物のような気さえする。けど、多分言ったはずだ。

そのころの私は燻っていた。
田舎臭くて、うまくクラスメイトと話すこともできない自分に嫌気がさしていた。地元ではこんなはずじゃなかったのに、都会の子たちはきらきらしていて、うまく向き合えなかった。
強い友達から貰うブラックブラックを涙目になりながら食べて、少しでも強い気分を味わおうとしていた。
後藤まりこの音楽がわからなくても、親と寮長に外泊許可を請うのが怖くても、とにかくライブに行ってみようと思ったのは、私なりのあがきだったのだ。

でも彼女は、普段の垢抜けない私を当たり前に認めてくれた。そして、今この瞬間を楽しめと言ってくれたのだ。
こういうことをオーディエンスに叫ぶロックミュージシャンは普通にたくさんいて、それに力を貰う人間もたくさんいるということは、今ならわかる。
けれど、それはありふれたメッセージかもしれないけれど、私にそれを初めて伝えてくれたのは、確かに後藤まりこだった。

ついに、彼女は私の前に立った。
彼女は私と指を絡めて、私の目を見つめながら歌った。
呆然としてしまって、私は強く彼女の手を握りすぎていた。
あ、と思って力を緩めた瞬間、彼女はふっと手を放して、またステージの上に飛び乗った。

終演後、友達に、
「これが初めてのライブってヤバいよ、最前列でこれだよ、マジ一生自慢できるよ!!」と言われた。今のところあんまり自慢にはなっていないけれど、本当に、忘れられない夜になった。


友達はだんだん学校に来なくなって、数か月後には退学した。
「退学したよ~」とLINEが来て、その子らしさにうれしくなったことを覚えている。
私は急に友達が増えて、ずいぶん自分らしく高校生をやれるようになった。
それが果たしてあの夜のおかげと言えるかどうかは、もちろんわからないけど。

私は結局、彼女のファンにはなっていないと思う。
たまにyoutubeでライブ映像を見たりとか、少し曲を聞いたりするくらいだ。
大学に入ったらライブに行こうと思っていたけれど、その前に彼女は音楽をやめてしまった。
最近はまた少しずつ活動しているみたいだから、機会があったらいけたらいいな、くらいに思っている。

今の私は、人並みに(かそれ以上に)ルールを破る人間になった。
札幌じゃなくて京都で一人暮らしをしていて、もしも望めば毎日だってライブハウスで夜を過ごせるかもしれない。
でもやっぱり、刺青をしたら公共浴場には行けないときちんと思っているくらいには、常識的で、もしかしたら臆病だ。

16歳の、制服を一切着崩せない私は、私の奥底で息をしている。それが泣きだしたときには、彼女が私の手を握って歌ってくれた夜を思い出す。
無責任と言われるかもしれないけど、私は彼女の苦悩や葛藤を知らないし、あまり知ろうともしていない。

私にとって大切なのは、ひたすらに、あの夜の後藤まりこの音と姿なのだ。

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